ふろしき王子のブログ◎
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おたまじゃくしが、もうちょっと多く居たらいいな~って、

数日間、折を見てはあちこちに息子同伴も含めて探索していましたが
流れが速くて元々いなかったり、子どもたちが卵時代に狼藉をはたらいたり、
カモに根絶やしにされたりと、なかなか逢えずにいた。

昨日、ナンバ歩きと風呂敷講座の後に、そういえば近所の老人ホームの池に
いたような氣がする、と小川の飛び石をぴょんぴょこ跳んで
わくわくと辿り着いてみたら、

ヒキガエルの黒いおたまが、沢山おっててん、
しかし、看板にはビオトープとあり(その割には金魚も泳いでいるが)
生き物を持ち出さないこと、とあったので捕るのはやめました。

カエルになってもほとんどは生き残れない運命のおたまじゃくしだけど、
こそこそ持ち帰るのは好きじゃない。

その場所とは関係ないけれど、たとえば「オタマジャクシを捕るな」とするよりも
カエルのすみか、おたまじゃくしに逢える、自然に近いかたちの
ちょっとした水辺環境を増やして、子どもたちが身近にどこでも
当たり前の小動物と触れ合えるところを、町に、ささやかに手作りし、
のこしていくことこそが、本来の環境保護につながるだろう。

純に残酷な振る舞いをする幼児が、おたまじゃくしを少々ひねり潰したところで、
全体的には、おたまじゃくしもカエルもわんさか湧き上がってやまない環境。
要するに、中身(おたま)に目を向けるのではなく、ポテンシャルの大きい器(池)の
あるべき姿を煮詰めて掘り下げ、再構築し、管理不要の、生活とともに
循環つづける半自然たるもの。

暮らしとともにあるというのは、わざわざ、あるべきビオトープを維持するために
人手で掃除、補修、水を足す、生き物を守る、こまめに植物を調えるようなことをせず
(そのような行為自体がビオトープの主旨から外れているが)

たとえば、台所からの排水が源泉になり、ヨシ、ガマ、マコモなどが栄養分を吸って
浄化していく。その植物も、近隣の人々が利用するので、管理のための管理ではなく
価値ある財、資源として、人もまたビオトープの動植物を積極的に利用する。
それでも、生活によって循環していくので命は絶やされることなく、
ますますテリトリーを拡大する。

もしも自分がビオトープというか水のある環境を手がけるなら、
子どもやカモがどんなにオタマジャクシを狩ろうが
びくともしないような、様々な逃げ道、居場所の種類を用意したいが、
それらの環境自体も、水の流れと共に必然性があるとよい。

町内を、美しいどぶが流れていれば。
湯の流れる風呂とトイレはひとまず下水へ流れるとしても、
台所の流しからの排水は、本来そのまま小川に流しても問題のない
水種であるべき。強い洗剤を使わず、油を流さない。
せめて、排水の行く先を切り替えできたら。
そして、排水の流れるどぶは舗装せず、水生植物を生やせば
それが浄化槽になり、生き物の住みかにもなる。

狩猟本能で、生き物を見つけて捕りたくなるのは子どものごく正常な挙動であるのに、
それを、生き物を守るという大義によって「ダメ!」と注意するのは、
よほど残酷な仕打ちに対しては命の尊厳や道徳的に必要だが、
わくわくの好奇心で生き物を捕りたいと思う子どもを叱るのは、
たまたま現代の身近な環境に生き物が少ないからこその事案であり、
子どもは何も悪くないし、そんなの淋しい世の中じゃ。
全てはつながっているから、そこだけ守ろうとして守れるもんでもない。

話を舞い戻って、そのようにおたまじゃくしとはまだまだ縁のうすいわが庭ですが、
小エビ(ヌカエビ)は近所の小川でいくらでも捕れるし、既に去年息子の捕った者が
庭の池で沢山増えている。
オタマジャクシ自体はコッパのごとき実体だが、その本質はでっぷりいぼいぼの大者ヒキガエルなれば、
やはり、まずは生態系ピラミッドの土台となる、ちいさき者たちにとって十全たる環境の
調わない限り、その上の階にいるカエル君はマダ、テレポートしてこんのかな。
だんご虫は通販できるほどおるのじゃが。

現在はカナヘビが幅をきかせてい、今年はまだカマキリは出張ってなく、
アシナガバチは偵察にきてる。
水があまいのか、キジバトは何杯も何杯も、池の水を飲んでいる。

舗装された路地に挑むカナヘビは、さすが冒険家にふさわしく
一度切られて、再生されたしっぽであった。

ふろしきの記事が少なく申し訳ないのですが、毎度このように
話題にしているうちの庭も、本当に、賃貸アパートの一階の
リスのひたいほどの小さな庭なんです。
それでも、毎朝跳ね起きて訪れたくなるほどの
生の歓びにあふれ、緑色にひかっている。

部屋は基本的に、人のやったことしか表わさないが、庭は実質的にもっと生きていて、
見知らぬ花が咲いたり、予期せぬ使者が訪れたりと、毎朝まったく新しい世界に
満ちているから、飽くことなくこれからも、庭にひきこもりそうだ。
そのスケールを広げていきたい。

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