植物を育てるのに、その植物と対話することは非常に大切と思えるが、
植物からの解答は、聞く側の思いのつよさ次第で左右する、
いわば鏡のようなもの。
既に食うには困っておらず、片手間で野菜を育ててみようという人と、
自給自足で、この野菜の生育が家族の食卓を左右するから
何とかよく繁ってほしいという思いを持つ人とでは、
どうしたらよいかという、植物から教えてもらえるイメージが
異なるのは当然かもしれない。
特につよい希みがなければ、植物も次世代への種をつなげさえ
すればよいから、「お水を注いでよ」「お日さまが浴びたい」程度の声だが、
ワンサカ育ってほしい切なる思いには、
「土をもっと」「鉢をひろく」のような、別の助言が返ってくるかも。
畑をするなら、自分はベジタリアンとして生きていくから、
キミにかかってる、何とかよく育ってほしいっというくらいの
覚悟をもって、土や植物に臨むべきと思う。
現代人は、犬歯の割合32分の4=8分の1に比べて
肉食が過ぎるのと、その家畜たちは劣悪で非道なケージに詰め込まれている。
縄文時代の関東平野ではドングリとハマグリを中心に、
あとは河口でボラを漁ったり、山でいのちがけでイノシシを獲っていた
と考えられるが、そこから至っての歯のかたちだから、
ドングリ(特に、アクの少ないシイの実や栗)の率が高かったのだろう。
それが次第に米に変わったが、
はじめはアシ茂る低地、湿地を水田に変えただろう。
現代は田んぼも埋めて家を建てている。
面積あたりのカロリー生産効率はコメが最高峰。
日本は、やはり田んぼの米食を中心に、
同じ田んぼでバランスのよい生態系を守りながら、
作業のついでに獲ったイナゴやどぢゃうを食べたい人が食べ、
放し飼いのにわとりが産むタマゴも時に拾い、
木の実で冬の脂肪を得、野草を薬として生きられる風土がある。
今ほど肉を多食せずとも生きていけることと、
自らの手でその獣の首を切る覚悟があるかどうかを
胸に、同じ心ある動物、そして植物のいのちの
いただき方を忘れないでいたい。
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