ふろしき王子のブログ◎
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ソリッド(固体)でもリキッド(液体)でもある脳みそに、
この頃はいつでもナマズが悠々と泳いでいたが、
今日からは、ニワトリがつんつんつついてくる。
昨日、鶏の絵を何ジッ羽も描いたからかも。

頭に浮かぶ順に、ニワトリ、なまず、カメ、うさぎ、カニ、
えび、猫、犬、馬、牛、龍、魚、人とつづく。

もちろん、やっぱり人が一番好きではあるけど、
カエルやヘビたちの居場所を人が駆逐してきた過去があるから、
何とか生きものを助けたい思いがつよく、生きものが豊かな環境は
人にとっても、生きよいと考える。

前進もままならぬ原生林というより、田んぼで共存しているような、
大自然と人の自然がコラボ共栄している具合がよい。

人もやはり、自然の中や自然の素材と共にあってこそ、うつくしい。

100円ショップのタッパーに、キャンディーを入れて
持っている娘っちも愛らしくはあるが、

今頃採ってきた葛のつるを手で編んでみたカゴに、
栗など拾ってきた女性は、遺伝子レベル、皮膚感覚から
愛おしく感じる。

服もまた、ナイロン100%のテラテラした服も意外な魅力があるが、
一本ごとに紡がれた綿や麻の糸が、いちまいのきれに織られたのを
シンプルに仕立てた衣と、人。
植物に包まれた動物の、生(せい)のなまなましさ。
まるで血の色さえ伝わってくるような。

スマホにうつむき、人生の半分をバーチャルな世界で過ごす
現代。リアルをより豊かにさせる道具であればよいが、
実際に会わなくても、ふれあわなくても
目的を浅く達成させ、やり過ごしちゃうもったいなさがある。

生身の人の瞳に、宇宙を観る。
そこには、彼女が今まで食べてきた
幾千もの秋刀魚が泳いでる。

悲しかったこと、美味しかったこと、すべてが、
あらゆるはしばしから、何か出てくる。

見えない世界も、見える世界に顕れてくる。
目をつむっては、闇の中、自己完結の空想が広がるだけだ。

情報でも又聞きでも想像でもなく、
直接実物を見ることで、見えないものが見えてくる。

髪の毛や皮膚から感じとれることがいっぱい。

会わない人を好きになるのも、
会わない人を嫌うのも簡単だが、
空想の世界にとどまる。

インターネットも、希薄な事典に過ぎない。
例えば僕のおじいちゃんについて調べようと、
何も見つからない。
親戚の誰かに聞いたほうが百を知れる。

それでも又聞きだから、生きてるうちは本人に当たるほうがよい。

だけど、人は何かを質問された時、
相手からの期待を察して
答えたりするもの。
真実やいづこ?

いつだって、意味は変わるのだ。

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雨のお蔭で、さるすべりの葉も真下へ。
ちょっと乾いたら集めて、庭の隅に積んでいるが、
このままも綺麗なので、夕方に掃こう。

なんちて、朝から出かけて帰りが夕方なのだ。

今朝は地震があった。一瞬めしっとあり、2~3分後に揺れた。
小まめな地震が、大難を小難に変えるとよいが、
あまり標高の低い位置に建物をたてるのは心配だ。

みな丘や高台の上に住み、低地に行くに連れて畑、
田んぼ、海浜公園とすればよい。
そして、津波の通り道には各所に森をつくっておく。

地震が起きても変わらない暮らしができる町づくりが
未来の世界だ。

水道が止まっても、どこにでも綺麗な川や井戸水が得られる。
電気やガスが切れても、薪や炭や自家発電で、キャンプのようにやりくれる。

レスキューがすぐに来られなくても、町内に助け合いの輪と
訓練が行き届いている。

溺れないように仰向けに浮いている練習は必須だ。

燃えても有害ガスを出さない建材が使われている。

崩れても隙間ができて、生き埋めになりにくい、コンクリートでない
進化した木造、紙、土や漆喰の建築。

周りには田畑や木の実があって、自給自足が成り立つ。

山津波を減らすため、地盤の弱い放置植林を、本来の
植生の樹種にもどしていく。

家族が離ればなれとなりにくいように、なるべく
自宅や自宅周辺が仕事場、勤務先となり得る
社会・経済システムにする。

人災ともいえる二次災害で苦労しないように、
因果の因を、一人一人が改めながら、新しい輪を築いていきたい。

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未明に目を覚ますと、結構な雨音が鳴っている。

昨日、風呂敷講座後に配る復習用のレジュメを作った。
新しい結びを発見したりでたまに更新している。
前回は昨年の9月だった。今回のは元々、防災をテーマにした講座用に
描き書いたものだが、基本は共通であるし、命に関わるものだから
テーマを問わず使うことにする。

A4の両面に、20種の結び方イラストを何とか詰め込んでいる。
そんなスペースの都合もあり、前回載せて今回外したものもあるが、
厳選されてると思う。

考えることと動くことって、別モードで行けちゃうから、
考え抜いたよさもあるけど、それで燃焼して、実際動いて
かたちにするのが遅々となることがある。

昨日は、考えないことを意識して、ポカンとした結果、
レジュメを含めいくつかのイラストを仕上げることができた。

体が言う
「おまいさんは自分の経験則にすぎない脳みそで考えてばかりだが、
 あたいら体は、遺伝子120億年の記憶をもってして、動きながら考えることもできる。
 任されよ」

私達の暁たるアミノ酸は宇宙から降下していて、
それは地球誕生以前より存在する。

呼吸や心拍のように、考えなくても自律・制御されることがある。
料理でもイラストでも、ちょっとしたウォーミングアップや
習慣化により、考えずともオートモードに没入することができ、
そういうときは時間感覚が薄く、いつの間にかできているもの。

今日はこれから雨が止むかは知らないけど、朝から都心に出、
夕方までには帰宅して持ち寄り会がある。

相変わらず移動時間が長いけど、元々目標やテーマを持たない
たちなので、道程も目的地も意味は変わらない。
あらゆるものに、あらゆるテーマが内在しているから、
自分事につなげて、好きな意味を持たせればよいのだ。

それは後づけでも間に合うし、意味を理解しないままでも
問題ない。

日々、物を丁寧に扱い、みんなのよろこび(無生物からも)で
体が満たされていれば、為すこと全てから、愛の種が蒔かれゆく。
そこから、想定外の美しき花がひらく。

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