今朝は7時に起き25分に玄関を出て、茅ヶ崎へ向かっている。
サーフィンでもサザンのライブでも、生しらす丼でもなく
環境系の仕事で。
都心へ向かうのとは違い、電車が混みすぎてなく
途中から座れたので、こうしてゆっくりと日記を書ける。
このブログは、外出中ほど更新頻度が増す。
電車の中では、本を読むか日記を書くか、facebookやニュースを
ちょいと眺めるかしていて、またはボーッとしたり考えてみたり。
だけど、考え事は頭ん中をこね回すだけで光が射すことは多くなく、
体感したこと、人や本からのたったひと言からウワッと
目がひらくことがある。
いろんな線がきままに伸びていて、たまに線と線がふれて
水がつながり流れこんだときに、そうなるのかと。
一方的な作用だけでは、どんなに力んでもかったりとは
むすばれない。
風呂敷の結びは、左右の角がお互いからまり合うから
しっかりする。
1つの角だけを柱などに結んでも外れやすい。
相手が協力しないことは、のれんに腕押しで、
ビンを押さえずにフタを回すようなものだ。
よかれと思って先走るのは、氣がきいているようでも、
相手の希望と一致せず、かえって面倒やトラブルになることもある。
客が暑いだろうと思って冷房をつけても、実は寒がらせていることもある。
おせっかいをやめると同時に、当事者が自分の希望をキチンと、
「あたし、ちょいと暑くってよ」と伝えられる姿勢が大事だ。
教育もそうで、どんなに熱く伝えようが、受け手に知的好奇心がなければ
吸収されない。
一方で、通っている生徒もはっきりと、
それには興味ない。今はこれが知りたい!という思いを
伝えて、学べるシステムだとよい。
だからというか、僕は積極的に風呂敷を広めるべしという
アクションはせず、求められてから応える。
特に、風呂敷は易しいから、困ってから、問題が起きて必要に
迫られてからでも間に合う所がある。何でも十四、五秒で
結ぶことができるから。
だけど、コトが起こってからでは遅い、取り返しのつかないこともある。
事故で命を落とすことや干潟の埋め立てなど。
元に戻せることを前提に、物事を設計することが大切だ。
そのためには、今あるものの形は変えず、
何かとの組み合わせによって新しいものを産み出していけばよい。
せっかちな人とのんびり屋が一緒になるだけで、プロジェクトには
視点がふえて、抜け目がなくなるかもしれない。
せっかちを落ち着かせたり、のんびりを急がせても、
振りにすぎないし、かえって可動領域が減って共倒れにつながるでしょう。
せっかちと付き合う中で、のんびりはせっかちの良さも知り、
影響を受けて「より佳きのんびり」に成長し得る。
女子校の中で女らしく育てるほうが難しく、
身近にごつい男がいるほうが、男向きのことは男に任せて、
女性の体や特質に向いたことに徹することができる。
暴れ者も、引っ込み思案の人もそのままに、
メンバーの組み合わせ、配置、居場所が、
ひとりひとりに、翼を授ける。
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