ふろしき王子のブログ◎
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久しぶりに、母にtelしよう。

うっとこの両親は、もう15年くらい前かな、に離婚し、
その後それぞれ再婚したが、

母は現在、愛媛県に住んでいる。
向こうに行って、50歳過ぎて車の免許を取り、
現在は高齢者のグループホームで働いている。

旦那さまは文章と編集の仕事をしている。読みやすく人を惹きこむ
名文を書くので、今度ご指導給わりたい。

母はピアノが得意で歌も好きなので、職場でもそれを生かせているようだ。

高齢者に寄り添い、体をよく動かすだろうから、
食いしん坊の母でもうまくやっておられるのだろう。

母のすごさは、素直で影響を受けやすいが、あっさり手放せて
固執せず、僕はよく
「お母さんの思想は、今読んでいる本によって変わる」
なんて評したものだ。

保険を解約して得た1000万円を、持ちアパートのリフォームに全額使い、
そのアパートも同額くらいで売却し、
そのお金で愛媛に家を買うが、また売却。

ですので、母の所持金は、1000万円かゼロかのどちらかなのだ。

僕も似てるなあ。あれば全部使うか誰かにあげるので、
無いときはほんっとにない。
20代には、キャッシュカード3枚の残高合計しても3ケタ
(千円代)という日もよくあった。

それでも借金はなく、プラマイゼロで奇跡的に導き守られてきた。
支払い当日に、以前の報酬が振り込まれて何とかなったり。

まだ現在だとしゃれにならないので、もうちょっと落ち着いたら、
どれだけお金を持ってなかったか伝説の手記を書きたいくらいだ。

でも、だからこその助け合いや工夫や人情もいっぱい経験した。
山本周五郎さんの小説の世界みたくあった。

不思議とたのしき思い出ばかりだ。
金はなくても時間はあって、
幼かった長男を自転車にのせて、一緒に歌いながら
色々と出かけたり、

庭いじりに浸りながら、カナヘビと見つめ合った
永遠の今がある。

学校教育で得られなかったものを、イチから取り戻したような
僕の20代。遠回りの人生のようでいて、
道を見失わないうちに、いちばんの近道を選んでいるのかも。
なにせ、せっかちではっきりしてる、江戸っ子だもんで。

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僕は普段、下はワークマンの作業着のズボンを履いていることが多い。
紺色が特に氣に入ってる。

そのズボンには、ベルトではなくひもを通している。
昨日までは、風呂敷を作って余ったリネンの生地を
縫った、平たいヒモだったが、最近、寿命でホロッと
していたので、何かに新調をと考えていた。

そんな折、昨日自転車の転倒防止に張った綿ロープは、
長めに買ったので余りがある。

2m80cmのロープを輪に結ぶと、1m30cm強の二重になる。
それをベルトループに通したら、腰ひもの要領で
2回からげてから逆向きに引き、余りは挟んでおく。

このロープベルトを、股上の丹田辺りで締めると、
何とも氣がひきしまり、内より力が湧く。

元々は、それが目的というより、イザてふ時に
ロープを使えるための携帯だが、
締め心地が予想以上にいけてたので、今後の継続へと決めた。

僕はさらに、腹部に風呂敷を折りたたんだ幅広の
ぽかぽかぽけっと(腹巻)を巻いているので、相乗効果で
おしゃ~とみなぎる。

学生時代から、同じような道ばかりくるくる歩いているけど、
同じ道にも新しい発見があるから、これからもきっと
変わらず、
下駄で、
帯して、
ふんどしで、
風呂敷しょって、
よく歩いて、
下向いて生きもの探し、
忍者走りとナンバ歩きで、
絵を描き、
ふろしき縫って
いきていくのだろう。

目指すところは美しき環境。
具体的には、安全におよげる、豊かな東京湾。

ひとりひとりの力は大きく、
足せば足し算以上に広がる。

時間をかけて素直な思いを語り合い、
持ち味を生かした協力を結び広げよう。



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茅ヶ崎に住もうかな。

海すきだし。

都心まで1時間かからない。

今まで、都心へは新宿経由だったのが
横濱経由になる。
中華街もすき。

茅ヶ崎で、庭が広めで疎菜畑できて鶏も飼えそうなところを
探そう。

浅草から西へ→小平→多摩平→高幡不動ときて、
今度はそこから茅ヶ崎へ南下。

行く末は、丸を描くように東へ流れて、
いつか故郷の浅草に戻るのかもしれない。
でも畑したいから、浅草に住むなら千葉に畑を借りる?

まだ引っ越すか分からないけど、いつでも引っ越せるように
物を整理しておこう。



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今日はお昼から出かけて、田町で用事の後、隣の品川で
夕方から歯医者(高輪クリニック)。

先日詰めたのを抜き、さるべき物に詰め変えるのでしょう。

あの頃の痛み、よく堪えていたなあ。もっとも、親知らずに関しては、
堪え難きをたえるうちに、神経が完全に虫歯菌に食われて
痛みが消え、さらに歯も根元からぱっきり折れて安定してしまった。
あの頃あたしゃ、若かった。

さて、近頃は糖質制限ブームで、ご飯を減らして肉を食べよう、という向きがある。
100歳以上の長寿者が、肉を好んで食べているという記事もあった。

だけど、これらご長寿の方々は、若いころからずっと
ふんだんに肉を食べてきたのだろうか。

以前聞いた別のインタビューでは、「肉が大好き!でも貧しくて、
たまにしか食べられなかった」という老人の声があった。

卵も高級品だった時代の人にとって、お肉は特別なご馳走
だったわけで、今になっては毎日食べていても、
幼少時から沢山肉を食べてこその長寿、とはいえないだろう。

むしろ、麦ご飯(分づき米に大麦入り)と味噌汁、漬け物に
海藻や貝類を中心とする和食が多かったと推測される。

自給自足の村が多く、過食できるほど余ってなくて、発酵食品も
多かったから、内臓と酵素を温存できて、現在の長寿へつながり、
今は好きな物を食べられる余生にあるのだろう。

米の価格は1俵1万円にまで下落し、国は日本の農業を見限っているようにも思える。
TPPが適用されれば、外国からさらに安い肉が入ってくるだろう。

しかし、市場原理の中、家畜は劣悪な環境で、物として生産され、
当然病氣で倒れるところを、抗生物質の餌で維持している。
いくら安いからといって、不健康で、命の尊厳なく作られた
肉を買い求めることは、我が身のためにも、世の中全体をよくする
ことにもならないだろう。

事大主義、事なかれ主義で、裏に隠された現実を知ることなく、
何でも感謝して食べればよいという題目だけで
流されていっては、心と体は濁っていく。

生命エネルギーという視点で、元氣に育ったいのちを頂くことで
自分もげんきになることを意識し、
流行りや情報ばかりに左右されず、
大自然のげんき、自分のげんき、みんなのげんきが
循環するような仕組みを思い、それにつながる食の選択と
なればよいですね。

糖質は生きるのに不可欠な燃料。それ自体が悪のわけがなく、
食べ過ぎと運動不足で残りご飯が体内で腐ったり、
病原菌の餌となるのが問題。金魚も餌をやりすぎれば水が腐る。

そして、過食や廃棄が減れば、農業自体も量より質を大切にしながら
経営が成り立つ。

これからこそ農業だろう。まずは家庭菜園や鶏からでも。



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先日、玄関脇に駐輪している自転車の前座席(子ども用)に
3才のおてんばの長女が乗って遊んでいたのだろう、
どしんと自転車ごと倒れて、彼女は大泣き。腕を軽く擦った程度で済んだ。

妻の電動自転車で、重量もあるから危ない。

そこで、今日の中学校の風呂敷講座の帰りにホームセンターに寄った。

口を開閉できるフックのナスカンと、綿ロープを求める。

自転車が倒れないように、脇にロープを張っておくためだ。

ロープの片側は、柵に外れにくい「もやい結び」でくくり、
もう一方の先にはナスカンを付けて、柵にはめたカードリング
(英単語など覚えるためのカードを束ねるリング)
に、フックをかける。

これでOKと思いきや、ロープに万が一子どもが首を引っかけて
遊んだら、窒息してしまう。

そこで、自転車全体ではなく、カゴ部分だけロープで
留めて、余分な隙間が無くなるようにした。

だけどもう1点。
自転車が出かけているとき、残されたロープを
きちんと整えないと、それもまた遊んで首を絞めかねない。

その対策もして、何とか落ち着いた。
綿のロープにしたのは、何かで火がついたとしても
有毒ガスが出ないようにするため。

安全対策は、多方向の視点やシミュレーションが問われる。
安全のためにと行なったことが、新たな脅威を生むこともあるからだ。

つくづく感じたのは、人類の技術文化は子育てを通して進化してきたということ。

子どもを危険から守るために、あれこれこと細やかに工夫する。

技術には、攻守があり、
子育ては守る技を、狩りは攻める技を進化させた。

戦争はそのどちらも含んでいるが、攻める技術の威力、加害力が
限度を超え、大自然の手のひらの上でのささいな喧嘩と
仲直り、という規模では済まなくなり、憎悪と報復の連鎖を起こしている。

今はっきり思うのは、もはや攻めの技術は要らない。

追いかけて、騙して、奪いとる、狩りや殺しの技術がなくても、
人は温帯~熱帯を中心に、ドングリやフルーツ、稲作、
鶏の卵拾い、潮干狩り等、その地にあった無理のない農業や
その場で拾える恵みが自然と湧くポテンシャルにあるから、
そういう環境を保持する、守りの技術の進歩に徹すればよい。

そして、土地からの恵みに乏しい、寒い地域は、素材を加工する
工業に力を入れて、南と交流、交易すれば、持ちつ持たれつの
協力関係となる。

守るというのは、決して鎖国的に閉じこもることではない。
車が危ないから子どもを室内で遊ばせる、ではなくて
子どもが外でのびのび遊んでも危なくないように対策することだ。

川に近づかないのではなく、誤って川に落ちても
助かるような川の在り方、助け方、浮かび方を思い慮り
形にしていくことも守りである。

どこかへ攻めることをやめて、今いる所を生かし楽しんで
存続させる意識が、新しい時代を築きゆく。

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