ふろしき王子のブログ◎
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代々木公園で、ジャンベ(アフリカの太鼓。セネガル?)に合わせて
踊り狂いすぎた。太鼓が止むまで意地でつづけたが、
息の切れるほどの運動は心臓に毒。

ギャラリーが見てるとついやり過ぎてしまう。

だけど、右足首の捻挫から2ヶ月以上経て、
はじめての大?踊りで、何の痛みも無かったので、
祝回復じゃ。

アラフォーだから無茶せぬようにしないと。
とはいえ、19才の頃より健康かも。

当時は、ファミレスのドリンクバーで、
深夜まで悪友と馬鹿話をしながら
アイスコーヒーにシロップとフレッシュを何杯も入れて
飲みふけっていた。

また、タイ料理にするといい、ライスだけ頼んで、そこに
唐辛子とスティックシュガーとレモン汁かけて
わしわし混ぜて食べ、近くの欧米人が目をまるくしてた。

思えば中高時代、定期試験は一夜漬けで丸暗記して臨み、終了後、即忘却。
改めて、学校や教育について考えさせられる。

人は本来、子ども時代から自発的に大人のマネをし、
その上で自分なりに変化を取り入れながら、自立していくもの。

自分で憧れの大人を見つけ、真似たくなって、
やがて自分のリズムを得ていく。

そういう教育や成長のシステムは、現在の学校では
なかなか見出だせない。
生徒当人の意思に関わらず、受講すべき時間割が
カチコチに決まっている。

私にとって真の学びは、風呂敷で旅をはじめてからの、
20代まるまる、まるっと10年間。

さなる自発的なマナビを、10代のうちからやれていたら、
もっと早く大人になれていたろう。

如何なる巡りも、愛すべき人生であるが、
子どもたちには、自分で決めて動くような教育をさせたい。
否、僕自身の日々の背中が問われるのみだ。

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女子力とは、
氣が利いて、こまめにお茶を入れるとか
料理を取り分ける能力ではない。
それは甘え者の男に都合がよいかもしれないが、
ハイジに出るクララの家のお手伝いのチネッテが
女子力高いとは普通いわないので、
仕事でないのにやることが望まれているのか。

ともあれ、自分にとって女子力とは

特に何か動作をせずとも、いるだけで場が和んでやわらぎ、
ささやかでも空間がほんのり染めるような、女性的魅力であります。

それは観念的なものではなく、女性ホルモンの脂質に
満たされているゆえに曲線が多くてやわらかな、
体かたちから発現されるところのもの。
そして、その形につられた自然で必然な心持ちがあるわけで、
それら体(存在)から生じるこころ(意識)が、ありのままに
調和している人から
醸し出される、見えない雰囲氣こそが、
ちいさいけど大きなパワーとなる。

決して美形なわけではないが、なぜかモテて人氣ある子は
そんな骨のひびきを持っていて、
痩せても太っても、ドレスでもぼろでも、
寝癖でもつやつやでも、
影響なく魅力があるもの。

そうなるには、所作から紐とける。

たとえサラダを取り分けた結果、量や具のバランスがよかれども、
カツカツせわしなく音を立てていては周りを不快にさせよう。

取り分けが下手でも、
道具や食べものをやさしく扱えば、
余分な音は立たず、ひそやかに進んでいく。

丁寧に扱うから、物からの反作用も柔らかいものとなり、
それを受けて肌もこまやかになって、
その毛穴から出されるかすか過ぎる香りが、
その場に愛を授ける。

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こんどの新月前後に、川原で葛のつるを採って、
編んでみたいもの。
・鍋敷き
・みかん用のかご
・取っ手つきの買い物かご
・自転車用のかご
・うさぎの巣
・ボール

葛は、あけびや山ぶどうに比べると柔らかいのかな。
だけど、どこでも身近な素材で、毎年いくらでも
伸びてくるから、暮らしに生かしてみたい。

葛のかごを風呂敷でくるむというコラボをしたい。

葛自体、確かつるの繊維での織り物もあるから、
葛の風呂敷も可能だ。

個人的にはラミー(苧麻・からむし)も好き。
多少産毛みたいのあるから、こすれる
風呂敷としてふさわしいかは分からないが、

ラミーの服を着て旅に出るってのも時を超えてて
かっこよい。

好きな繊維の順に、
ラミー(チョマ)
ヘンプ(タイマ)
リネン(アマ)
木綿

じゃの。

丈夫で乾きやすい麻系が好きだが、
女性には木綿を藍染で丈夫にしたものも、
肌触りはやさしい。

衣服は、動物のように毛皮のない人にとって、
調湿、防御、防寒、UVカットなど大切な機能を受け持つが、
素材や形や量の選択を間違えば、抵抗力を弱める毒にもなる。

加工し過ぎたものは、見えない機能を失っていることがあるから、
なるべく自然に近い状態がよく、

防寒なら、実際の大自然の寒さに耐えている北の植物等、
涼しくするなら暑さにつよい南国の植物の繊維を使えば、
既に半分は完成といえる。
あとは最小限仕立てて着るだけ。

服じゃなくて人が主役。その人を守り、引き立てる。
日本人の肌を美しく映えさせるなら、やはり藍染が好き。
色白い人ほど濃紺が似合う。

化学建てより発酵建ての色が綺麗だが、染める人の腕も重要。

それでも、植物の藍をつかうのが目的や前提ではなく、
人をよりすてきに見せることだから、
たとえ合成のケミカルでも、環境や健康への負荷がないものであれば
一向に構わないという考えだ。
元々はみんな地球の物質。
それを以下に安定的に使わせてもらうかが大事。

静かに優しく丁寧に、大切に扱えば、
人の手が入ることで、かえって環境が豊かになることだってある。

地球にとって最もよいのは、人類が絶滅すること、という意見もあるが、
人類がいてこその、より美しくて宇宙的に有意義なちきうに
するようにしなければね。

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