北上F.C.Jr.のクラブハウス

京都のサッカー大好きGIRLSの集まり北上F.C.Jr.のサポーターです☆

むらさきちきぶ633

2019-01-21 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

遠征ともなるとこぼれ話というか、そういうのもいろいろある。

まず環境について。サブグラウンドも天然芝。アップスペースも手頃な広さで距離もいい。敷地も含めて施設全体が広々しているので、京都人は移動に疲れます。人工芝の室内アップ場も開放。ウチが野球をやっていたところね。ファミリーズが観戦するスタンドでもプレス席とか来賓席が開放されていて(勝手に入っただけだという説もある)ご満悦の様子。

決勝前「鳴門の名物って何やの?」って6年生が言ってたから「あー、鳴門金時か」「何それ」「サツマイモ。最高級品やな。高いで。」実は本部の後ろに段ボールが積み上げてあったのを目にしていたので、ちょっと言ってみました。結果的に彼女達はその鳴門金時を手にしながら満面の笑みで勝利の集合写真におさまることになったのだけど、背景にはそういうのがある。

6年生の何人かが大声で「便秘やー」って言ってましたけどもう大丈夫。食物繊維たっぷりの鳴門金時です。

昨年、ポカスタのゴールから本格的に始まったといっても過言ではない11のサッカー人生ですので、今回も何とかゴールをと思って見ていました。ま、ぶっちゃけ去年のゴールは旧10の意図があるパスがあってのごっつあんゴール。

今回、ポカスタ内でのゴールは無かったけど、素晴らしいチャンスメイクから味方のゴールを演出しました。たしか、さぬき戦。スピードに乗ったドリブルとステップでゴールラインまで進み中央へ折り返しました。うむ、それはそれで成長した姿だな。

徳島では朝の7時からサザエさんを放映している。これはいい。日本全国でやれば、犯罪率は低下する。

決勝戦は20分ハーフだから合計40分。私は開始数分で勝利を確信しました。雨と風で何があるかわからないぞと送り出しましたがすぐに「こりゃいいな」と。全員が素晴らしく集中できていました。もう見てるだけ。ふるえながら。なんか手詰まり感が見てとれたらメンバーやポジションをチェンジする感じで過ごしました。

閉会式で鳴門ポラリスの方がチーム評をされるのが恒例で、これは他には無いことで面白い。ウチは優勝だったので過分のお言葉を頂いたのですが、ひとつ補足したい。「チーム全員が高い技術を持っていて~」というお話しでしたけど、それは初めからそうなのでは決してないよということ。勝ち取ったんだよということだけは加えたい。そして見ている限り、数名はまだもう一歩上のレベルにいくだろうね。

 

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むらさきちきぶ632

2019-01-20 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

鳴門遠征2日目は1位リーグ。5チームによる手つなぎリーグの後に順位決定戦。体調不良もなく、みんな元気。私が朝食会場に入ったら「おぉー」「来たぞー」ってなりました。いつもいつも二日酔いなわけではない。

雨がパラついていましたが1位リーグはメインスタジアム内のピッチですから問題は小さい。

初戦は屋島ポニータ(香川)。夏、合宿のときにやってる。屋島のみんなも順調に育っている。夏にポテンシャルのあるチームだなと思っていたのですが、やはりその通りになっていて苦戦しました。先制するもコーナーで追いつかれ。優秀で気合い十分なGKがことごとくストップする。DFもスライディングで食い止める。こりゃ崩せそうにないなということで「もう、なんでもいいから1点取ってくれ」で、9がつま先で流し込みました。ミーティングでホメておいて良かったよ。あれがシュートテクニックだ。あとは逃げ切り。

次戦はさぬき小町みき(香川)。「どうでもいいと思っていたけど、ここまできたら優勝ねらうか」で調子に乗らせると、このゲームあたりからかな、ウチはググッときた感じ。5年生も先週の経験を経て、ずいぶん力強くなっている。それがうまく融合してきたのと同時に12や14を中心にポジションチェンジの選択肢がかなり増えた。つまり、いろいろなコンビを作ってきた成果が出てきて、それぞれのコンビが武器になってきたということ。相互理解の浸透ってやつだ。

結果4-0。RIKOもあわやゴール。時折飛んでくるミドルはGK11がジャンプでキャッチ。とうとうGKまでマスターしたぞ。

長めの休憩があり、選手は室内アップスペースでせっせと野球の練習。

決勝は鳴門ポラリス(徳島)。このゲーム、よくボールを動かすことに成功して押し気味に進めることができました。ここだけ20分ハーフだったのですが、最後までダレないで4-0。RIKOも活躍。「何分出たい?」「10分」

優勝は優勝でよくやったねという話。

ですが、北摂はメンバーが全くそろっていなかったし、北大冠はインフルで辞退。そのあたりは忘れなさんな。

 

 

 

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むらさきちきぶ631

2019-01-20 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

土日は鳴門遠征。初日は晴れ。2日目は降ったりやんだりでしたが、ポカリスエットスタジアムは水が浮くような事にはならず。でも濡れた後の強風はさすがにこたえた。結果は優勝です。去年は3位やったんやね。

初日、まずは9人。遅れて2名合流予定ということ。9人にはRIKOも入ってます。ウォーミングアップで「このヒト全然覇気がないな」「表情がたるんどるわ」という感じの選手が1名。『モチ食いすぎたろ!』って私に言われた6は直後に高熱を発し、京都へ強制送還。インフルエンザでした。ちょっと酷だわな。

RIKO入れて8人に。初日のRIKOは主にGKとしてチームを助けました。

予選リーグ。学園に1-1。学園もメンバーがそろっていないようで、スローな立ち上がり。先制するも追加点が取れず、少ないチャンスに見事なゴールで追いつかれました。次戦は板野プリマヴェーラ(徳島)。チャンスがあれば得点を重ねないといけないということで10-0。最終戦は菅田パンサーズ(愛媛)。名前だけは知ってましたが、やはり強かった。

前半リードしたものの、力強い選手が多くプレスが甘いとミドルが飛んでくる。ミドルの処理をRIKOがけんめいにやってたのですが、なんだか危なっかしいのがあった瞬間に相手選手の目がキラリと。やばい、ねらわれる。菅田はパンサーズっていうくらいだ。まさにシマウマの子どもを狙う感じ。RIKOはまだそれに気づいていない。

そんな時、受験組の4と9の2人組が「お待たせっ!」ってスタジアムに駆け込んで来たのを見て「わぁ。あぶない刑事のワンシーンみたい」ってなりました。「とりあえずGK。どっちでもいい」9が「ヘアバンドどこいった?」「もうええ、4はよいけ」でチェンジ。シマウマの子どもをベンチに確保することで危機を脱して前半は2-0。

ここで油断して、後半のGKをノコノコさんに変更したのが失敗。2失点。ノコノコさん(14ね)は、その夜のミーティング後に一発芸披露の刑となるが、それは仕方がないことだ。

攻め込むもゴールが遠い。どうにかラストに4が突破からニアにねじこんで3-2。これで得失点差の1位抜けというわけです。ま、でも見ごたえのあるゲームでした。

今年もまた、北上FC.jr徳島支部のみなさんが来てくれました。イチローおじさんは差し入れたっぷりと。デハおじさんは鳴門渦潮高校の吉成カントクを連れて来てくれました。サプライズゲストです。

ちょうど年末年始にテレビで見ていた選手も多かっただろうと「徳島代表常連校ってどこか知っているか?」にはっきりと「鳴門渦潮高校やろ?」って答えたのは11でした。へぇー。簡単にご挨拶を頂いた後、目ざとい3なんかは早速に握手を求めてました。

夜、宿舎。今年はビジネスホテル。ごはんがおいしかった。今回はしっかりミーティングもしました。内容は「良いところ探し」です。探される当人は他者の発言をひたすら筆記する流れ。

までも、国語力が無いというか。イメージを言葉に置き換える事があんまりできないね。「なんちゅうかさー」とか「アレやんアレ」ばっか。「○○ちゃんが言った事と似ているのですが」っていうのは流行しているのか?って感じだし。

唯一、日本の将来を明るく感じさせてくれたのはRIKOでした。こいつよくセンパイのプレーを見てるわ。流れるように言葉が出てくる。サッカー用語もしっかりしてるし。そして選手らの特徴をしっかりとらえている。すぐに「RIKO先生」に昇格。RIKO先生が話す時の高学年の口あんぐりが笑えました。「そう、それな」とか「いや、私もそれ言おうと思ってたで」というささやかな抵抗が精一杯。みんな、勉強せいよ。本を読みなさい。

そういやRIKOは10以外の全員を呼び捨てにしていましたな。その時は違和感ゼロだったのが悲しいぞ。

さてこの「良いところ探し」ですが、個人的にもやってて楽しい。選手らは選手らの立場で「これが助かる」「あれが良かった」などと言うのは、当然ながら私に無い視点のものも多く含まれるから。また、「そんなにないかな?このヒトのは」って思っていても、まぁ出て来ます。まるで自信の無い9なんかは「ほうか!そういうのも良いって言ってくれるんや!」「こんなに言うてくれて、ほんまありがとうー」を連発しながらせっせと記録してました。ちょっと笑えた。

次回に続く

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むらさきちきぶ630

2019-01-14 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

今日はU11の大会参加。三木防災です。こないだまで高校生の全国大会が開催されていました。

残念ながら代打筒香ら数名が参加できずでしたが、このへんが来年のメンバーだということで現在位置の確認になりました。結果、なぜか優勝してしまったので、NBAコーチと「ちょっとまずいな」と。このメンバー達は調子に乗るから。

大会が終わってから5年生4人には「来年は自分達の事に加えて、年下の選手を上達させることもやらなきゃいけないな」と話しています。仕方がないよ、やるしかないんだ。

MVPはYUNA。見るたびにフィットしていく。今日は3と共に無失点で終えました。

3のミドルシュートが、相手に当たりながらもコースを変えてゴール。女子の場合は非常にめずらしいシーンです。普通はボールの勢いが落ちるものです。まるで高校サッカーの決勝戦みたいなシュートでした。

12は最後14からのパスをねじこんで決勝点です。記憶が正しければ難しいバウンドボールを左足で流し込んだ。

14は守備よくキープよく。ゲームメイクもしっかりできていました。こちらもドリブルからの左足ゴールがありました。あれはなかなかのものです。

17はようやく第一歩という感じ。スタミナ不足はこれからの課題だけど、伸びのあるスピードで何度も突破し、長い脚で前線からボールを奪えていました。スローインは武器にしてほしいけどね。

NANAMIは中盤でもFWでも、いまひとつ。守備や技術は格段に上がっているから、もっとできるはず。たぶんもう少しでチームの中心選手になるに違いない。

MAKIは相手DFを背負いながらもスルスルっと反転抜け出し。GKとぶつかりながらもゴールを決めました。実力で決めたものとしては初のゴールだろうね。

RIKOはDFと中盤。ポジション良く、インターセプトをねらえていましたし、ばっちり決めていた。読みと思い切りがいい。

FUKAは左サイドで飛び出してGKと1対1。思い切りシュートしたらGKにはね返ったボールが顔面直撃。サッカーではあるあるだ。泣いてたけど続けさせました。早く慣れてください。ちなみにこのヒトはぜひとも順調に育ってもらいたい。

そういうわけで、4年生以下の選手も個性が輝きだしたようです。向いている方向はバラバラだけど、それくらいの方が面白い。ただし、全員練習せい!と言ってあります。もっと走れないとダメだな。まずは。

 

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むらさきちきぶ629

2019-01-13 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

昨日の北園練習はAYUMIコーチが来てくれたそうで、練習中にずいぶん声が出てたよという話です。今日も北園。風がなく最後は半そで短パンになってました。マネージャーもちょっと運動。

動きながらのタッチを練習して、あらたな可能性なんかを探ります。来年1年生になるヒトが体験に来てましたが一緒にやりました。MAKIのけったボールが顔面に当たった事はかわいそうではあったけど、ちょっとラッキーです。「近づかないと、またボールが顔に当たるぞ」ということで全力チェイスを繰り返していました。

さて、先週はしあわせの村にいたわけですが、実は小学生時代のサッカー恩師をしのぶ会がありました。選手優先の判断で欠席したのですが、それは許されるものと思っています。

お亡くなりになったのは雲井SSSの永井先生です。先生というのは、尊称でもなんでもなくて、本物のお医者さんなのです。今と違って当時はドクターバッグなんかスポーツ用品では無かった時代、往診用の皮カバンを持ってきていて、それでよくケガ人を診てくれていました。

練習も週1回。日曜日は試合がある時だけ活動。のんびりしてたな。

何を教わったかはあんまり覚えてないけど、いつも「オラ―いけー」って大声で鼓舞されていた記憶は残っています。鮮明に覚えているのは怒られたこと。私らが身体の大きな女子選手を「ゴリラ」だ「ゾウ」だとはやしたてていた時に、それはもうおそろしい形相で「オラ―!そしたらお前らはなんだ!ネズミか!ヘビか!」って大声で怒鳴られました。めちゃこわかったな。

ここ数年で雲井SSSが解散。過疎化によるものらしいです。それまでは現役で低学年コーチをされていました。低学年選手から「おじいコーチ」と呼ばれていらっしゃいましたね。いったいおいくつだったのだろう。

チームが消えていくばくもなく、お亡くなりになったということです。

今思えば、あの黄色いTシャツに「K」とだけ貼ってあるユニフォームなんかは先生のポケットマネーだったのかな。あんなユニフォームだったけど、誇らしかったものですよ。

実は滋賀県にはすでに40回以上を数える木下杯っていうU11の大会があります。今だとU11なんてめずらしくないけど、昭和50年代のことだからね。これは滋賀県のレガシーだと思っています。そしてその大会開催にご尽力されたのも永井先生だったそうです。その当時から育成のポイントを抑えておられた事に頭が下がるおもいです。

その雲井SSSには当時から女子選手がたくさんいました。今思えば彼女達は私ら男子と混じることはなく、女子は女子で練習していました。それらの女子選手が中高生になってからも集いを続けながら仲間を増やし、紫香楽レディースとして活動していたそうです。これは当時としては画期的なことでしょう。過去に、京都精華女子のコーチをなさっていた大谷未央選手のウィキにもそのチーム名が出てくるから、けっこう続いたんでしょうね。

永井先生は、中高生の女子チームへつなげる事を考えたうえで、女子は女子だけで練習させていたのかな。

今回はそう、サッカーがまだマイナースポーツだったあの時代において、すでにスポーツ医学普及の重要性を説き、また選手育成のプロセスを達観し、女子選手の可能性を真にとらえていた指導者がいらっしゃったというお話しになります。

さて、明日はたまたま5年生以下の大会参加です。なにかこう、私も少しは優しくなれそうな気がする。ないか。ないな。

 

 

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