北上F.C.Jr.のクラブハウス

京都のサッカー大好きGIRLSの集まり北上F.C.Jr.のサポーターです☆

むらさきちきぶ629

2019-01-13 | むらさきちきぶ

こんばんはKEDちちです。

昨日の北園練習はAYUMIコーチが来てくれたそうで、練習中にずいぶん声が出てたよという話です。今日も北園。風がなく最後は半そで短パンになってました。マネージャーもちょっと運動。

動きながらのタッチを練習して、あらたな可能性なんかを探ります。来年1年生になるヒトが体験に来てましたが一緒にやりました。MAKIのけったボールが顔面に当たった事はかわいそうではあったけど、ちょっとラッキーです。「近づかないと、またボールが顔に当たるぞ」ということで全力チェイスを繰り返していました。

さて、先週はしあわせの村にいたわけですが、実は小学生時代のサッカー恩師をしのぶ会がありました。選手優先の判断で欠席したのですが、それは許されるものと思っています。

お亡くなりになったのは雲井SSSの永井先生です。先生というのは、尊称でもなんでもなくて、本物のお医者さんなのです。今と違って当時はドクターバッグなんかスポーツ用品では無かった時代、往診用の皮カバンを持ってきていて、それでよくケガ人を診てくれていました。

練習も週1回。日曜日は試合がある時だけ活動。のんびりしてたな。

何を教わったかはあんまり覚えてないけど、いつも「オラ―いけー」って大声で鼓舞されていた記憶は残っています。鮮明に覚えているのは怒られたこと。私らが身体の大きな女子選手を「ゴリラ」だ「ゾウ」だとはやしたてていた時に、それはもうおそろしい形相で「オラ―!そしたらお前らはなんだ!ネズミか!ヘビか!」って大声で怒鳴られました。めちゃこわかったな。

ここ数年で雲井SSSが解散。過疎化によるものらしいです。それまでは現役で低学年コーチをされていました。低学年選手から「おじいコーチ」と呼ばれていらっしゃいましたね。いったいおいくつだったのだろう。

チームが消えていくばくもなく、お亡くなりになったということです。

今思えば、あの黄色いTシャツに「K」とだけ貼ってあるユニフォームなんかは先生のポケットマネーだったのかな。あんなユニフォームだったけど、誇らしかったものですよ。

実は滋賀県にはすでに40回以上を数える木下杯っていうU11の大会があります。今だとU11なんてめずらしくないけど、昭和50年代のことだからね。これは滋賀県のレガシーだと思っています。そしてその大会開催にご尽力されたのも永井先生だったそうです。その当時から育成のポイントを抑えておられた事に頭が下がるおもいです。

その雲井SSSには当時から女子選手がたくさんいました。今思えば彼女達は私ら男子と混じることはなく、女子は女子で練習していました。それらの女子選手が中高生になってからも集いを続けながら仲間を増やし、紫香楽レディースとして活動していたそうです。これは当時としては画期的なことでしょう。過去に、京都精華女子のコーチをなさっていた大谷未央選手のウィキにもそのチーム名が出てくるから、けっこう続いたんでしょうね。

永井先生は、中高生の女子チームへつなげる事を考えたうえで、女子は女子だけで練習させていたのかな。

今回はそう、サッカーがまだマイナースポーツだったあの時代において、すでにスポーツ医学普及の重要性を説き、また選手育成のプロセスを達観し、女子選手の可能性を真にとらえていた指導者がいらっしゃったというお話しになります。

さて、明日はたまたま5年生以下の大会参加です。なにかこう、私も少しは優しくなれそうな気がする。ないか。ないな。

 

 

コメント
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