(北海民友新聞 10月16日付け)
オホーツク圏の古代遺跡群を新たな観光のキーワードにしようと、首都圏のマスコミ記者ら5人を招いた遺跡の取材・研修会が13日から15日まで紋別市を皮切りに、北見市、網走市、斜里町などを回るコースで開催された。第一線で活躍するマスコミ記者たちからは「オホーツクの魅力は流氷だけだはないことを再認識した」などの声があがった。
オホーツク圏の各観光協会などでつくるオホーツク圏観光連盟が主催したもので「紅葉のオホーツク~遺跡と温泉の旅」として企画した。13日、一行は羽田から紋別空港入りし、紋別市立博物館、オムサロ遺跡公園、上藻別駅逓、鴻之舞金山跡などを見学。14日は北見市常呂の「ところ遺跡の森」、網走市のモヨロ貝塚、15日は斜里町の朱円遺跡堤墓遺跡(ストーンサークル遺跡)などを取材した。
オムサロ遺跡公園では、紋別市立博物館の佐藤和利館長が一行を案内。同公園は縄文時代早期から、続縄文時代、オホーツク文化時代、擦文時代、アイヌ時代と先住民族が営々と生活してきた場所で、竪穴住居跡が208軒も残されている。
小高い丘からオホーツク海を見下ろすロケーションも抜群で、一行は歓声を上げながら園内を見て回った。佐藤館長は擦文時代の復元住居の特長として「夏涼しく冬暖かい構造になっている」ことなどを解説。取材記者らも、当時の人々の食生活などについて盛んに質問を浴びせていた。
旅行作家・中尾隆之さん(東京都)は「寒い地域に暮らす人の生活ぶりがよくわかる遺跡で、観光資源としての魅力は十分ある。とくに『オホーツク文化』という名前にロマンがあるし、強い訴求力があると感じました」と感想を話していた。また雑誌「私の旅レシピ」の編集長・香月千秋さん(東京都)は「自然や風景をただ見るのではなく、歴史を知ることで、新しい発見がありました」と話していた。
http://www.minyu.ne.jp/digitalnews/091016_1.htm
オホーツク圏の古代遺跡群を新たな観光のキーワードにしようと、首都圏のマスコミ記者ら5人を招いた遺跡の取材・研修会が13日から15日まで紋別市を皮切りに、北見市、網走市、斜里町などを回るコースで開催された。第一線で活躍するマスコミ記者たちからは「オホーツクの魅力は流氷だけだはないことを再認識した」などの声があがった。
オホーツク圏の各観光協会などでつくるオホーツク圏観光連盟が主催したもので「紅葉のオホーツク~遺跡と温泉の旅」として企画した。13日、一行は羽田から紋別空港入りし、紋別市立博物館、オムサロ遺跡公園、上藻別駅逓、鴻之舞金山跡などを見学。14日は北見市常呂の「ところ遺跡の森」、網走市のモヨロ貝塚、15日は斜里町の朱円遺跡堤墓遺跡(ストーンサークル遺跡)などを取材した。
オムサロ遺跡公園では、紋別市立博物館の佐藤和利館長が一行を案内。同公園は縄文時代早期から、続縄文時代、オホーツク文化時代、擦文時代、アイヌ時代と先住民族が営々と生活してきた場所で、竪穴住居跡が208軒も残されている。
小高い丘からオホーツク海を見下ろすロケーションも抜群で、一行は歓声を上げながら園内を見て回った。佐藤館長は擦文時代の復元住居の特長として「夏涼しく冬暖かい構造になっている」ことなどを解説。取材記者らも、当時の人々の食生活などについて盛んに質問を浴びせていた。
旅行作家・中尾隆之さん(東京都)は「寒い地域に暮らす人の生活ぶりがよくわかる遺跡で、観光資源としての魅力は十分ある。とくに『オホーツク文化』という名前にロマンがあるし、強い訴求力があると感じました」と感想を話していた。また雑誌「私の旅レシピ」の編集長・香月千秋さん(東京都)は「自然や風景をただ見るのではなく、歴史を知ることで、新しい発見がありました」と話していた。
http://www.minyu.ne.jp/digitalnews/091016_1.htm