先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

■ 36年間の感謝込め、白老のミンタラで閉館セール

2009-10-25 | 日記
【室蘭民報2009年10月25日(日)朝刊】
今月いっぱいで閉館する白老町若草町の名産品・土産品販売総合センター「民芸会館(ミンタラ)」で24日、感謝セールが始まった。「36年間の感謝を込めて」の張り紙が各店に掲示されている。
 白老観光商業協同組合(壬生龍之介理事長)が同会館と周辺で営業する店舗にセール実施を呼び掛けた。全商品20―50%引きの店もあり、アイヌの民芸品などが安価で売られている。
 この日、愛媛県から訪れた観光客は「なくなっちゃうの」と残念そうな様子だった。
 セールは31日まで。11月1日から5日までに商品を撤去する。鉄骨平屋約2900平方メートルの同会館は、無償譲渡を受けた町が本年度中に解体する方針だ。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2009/10/25/20091025m_08.html

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【白老】明治から続くポロト稲荷神社の歴史に幕

2009-10-25 | 日記
(苫小牧民報2009年 10/24)
 白老町若草町の民芸会館(通称ミンタラ)入り口脇のポロト稲荷神社が、10月限りで姿を消すことになった。民芸会館の閉館・解体に伴い、氏子たちでつくるポロト稲荷大明神奉賛会(壬生龍之介会長)が移転先を探していたが見つからなかった。壬生会長は「無くなるのは残念だが、長年ポロト地区を見守り続けてくれたことに感謝したい」と話している。
 町史や文芸誌によると、ポロト稲荷神社の歴史は明治末期に始まる。当時、前浜に祭られていた稲荷大明神を、地元の商工業者らが商売繁盛の神としてポロト湖畔の丘陵に建立した社殿に移した。戦中戦後の混乱期も、奉賛会を中心に地域の人々から大切に守られたという。町史には「この地が湖畔のアイヌ民族文化と歴史の遺産を持つ観光の拠点であることから、最近では観光地ポロトの繁栄に霊験あらたか、と人気が高まり、毎年六月一日盛大に例大祭が執行されている」とも記録されている。
 ポロト稲荷神社は1999年、社殿の場所が国有林に指定されて、現在の場所に引っ越した。奉賛会も毎月欠かさず、お参りを続けてきた。老朽化はみられるものの、鈴や標柱は昭和のころから長く使われている。
 ミンタラ解体後の跡地は国のイオル(アイヌの伝統的生活空間)再生地区となる可能性が高く、神社も再引っ越しを迫られていた。
 奉賛会も解散する。ご神体は今後、白老八幡神社(本町)に祭られる予定だ。27日午前10時30分からポロト稲荷神社前で解散の会と、ご神体の魂抜きの儀式が行われ。
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09102402.html

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ムラの宝物に、浜厚真海岸やアイヌ民族博物館

2009-10-25 | 日記
(苫小牧民報2009年 10/24)
 NPO法人北海道遺産協議会(辻井達一会長)は、ほっかいどうムラの宝さがしプロジェクトの第3次登録分を決定した。厚真町浜厚真海岸のサーフスポットのほか、白老町のアイヌ民族博物館などが登録された。
 北海道各地の宝物を掘り起こして発信し、活用することで地域やまちの魅力を創造することを目的としたプロジェクト。「ムラの宝物」「ムラの売りもの」「ムラのごはん」「ムラの宝物の発掘・活用の活動事例」の4種類がある。第3次登録は「ムラの宝物」など計26件。
 この中で、「ムラの宝物」に厚真町の「北海道ナンバーワンサーフスポット『浜厚真海岸(ビーチ)』」が自然ジャンルで登録され、「体験する」がキーワード。白老町からも3件。アイヌ民族博物館(文化)、アヨロ海岸(自然)、幕末の歴史を伝える史跡白老仙台藩元陣屋跡(歴史)。「ムラのごはん」で白老バーガー&ベーグルも登録された。
 協議会は「ムラの宝物」などを積極的に活用した観光振興を望む地域があれば、旅行代理店を含めた三者で商品化やPRなどを協議、展開していく。
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09102404.html

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【まちの足跡 未来へ】幕別町ふるさと館 開館30周年<5>

2009-10-25 | 日記
(十勝毎日新聞2009年10月24日 14時58分)

イクパスイ
神への畏敬の念伝わる
 「美しくまさに芸術品」と、事業委員の小助川勝義さんがうなる。長さ約30センチ、幅約2センチの木製。アイヌの神に祈りをささげる儀式「カムイノミ」などで、神聖な酒を、すくうようにして神にささげるときに使う。
 同館で展示しているイクパスイの多くは、模様などが彫られている。その一つに、クマが両足を広げたような形で立体的に彫られたものがあり、ひときわ目を引く。「アイヌはマキリ(小刀)一つですべて彫る。素晴らしい技術」と、小助川さんは目を輝かせる。
 展示されているアイヌの道具や生活用品は、ウポポ(歌)、ムックリ(口琴)、リムセ(踊り)の伝承者だった故安東ウメ子さん(享年72)が贈ったものだ。イクパスイのほか、儀式の際に頭にかぶる冠「イナウル」、酒を作るための入れ物「シントコ」(行器)などが並んでいる。
 イクパスイは、親から子へ代々引き継がれていく。小助川さんは「アイヌにとってクマは、山の神として重要な存在。このイクパスイは見た人に作者の思いが伝わり、カムイ(神)に対する畏敬(いけい)の念を感じさせる」と話す。(平田幸嗣)
 (おわり)
http://www.tokachi.co.jp/feature/200910/20091024-0003117.php

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訃報:松本成美さん 82歳=釧路アイヌ文化懇話会長 /北海道

2009-10-25 | 日記
(毎日新聞 2009年10月24日 地方版)
 松本成美さん 82歳(まつもと・しげよし=釧路アイヌ文化懇話会長)22日、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群のため死去。通夜は24日午後6時、告別式は25日午前9時、釧路市星が浦南1の博善市民斎場。自宅は同市大楽毛南5の2の13。喪主は妻花衛(はなえ)さん。
 アイヌ文化の発掘・再評価に尽力。近年は大正時代に殉職したアイヌ逓送人・吉良平治郎氏の生涯に光を当て、06年には舞台化を実現。最近は吉良氏の伝記を執筆中だった。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20091024ddlk01060278000c.html

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釧路アイヌ文化懇会長の松本成美さん死去

2009-10-25 | 日記
(釧路新聞2009年10月24日)
釧路アイヌ文化懇話会会長の松本成美(まつもと・しげよし)さんが22日死去した。82歳。自宅は釧路市大楽毛南5の2の13。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前9時から星が浦南1の博善市民斎場。喪主は妻花衛さん。1927年高知県生まれ。旧制高知高校(現高知大学)卒業後、標茶町に移住。中学校教諭として白糠町などで勤務。退職後は、道教大非常勤講師などを務める傍ら、同懇話会では96年から会長を務め、97年には釧路アイヌ語の会を設立。アイヌ語の文献・資料の研究や文化の継承活動に力を注いだ。日韓・日朝の明日を考える「釧路かささぎの会」副会長も務めた。
http://www.news-kushiro.jp/news/20091024/200910247.html

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【白老】食の総合サイト開設

2009-10-25 | 日記
(苫小牧民報 2009年 10/23)
 白老町の食材王国しらおい地産地消推進協議会(会長・飴谷長蔵町長)が、白老産の食材に関する情報をデータベース化した「食材王国しらおい・総合サイト」を、インターネットに開設した。食材の季節、町内の生産(加工)者、レシピなどあらゆるデータがそろっており、グルメにおいしい情報がいっぱいだ。
 道のチャレンジ再生交付金を受けて開設した。2008~10年度の3カ年計画で、08年度は食の情報収集を中心に取り組んだ。
 データベースに収集された食材は生鮮品、加工品、アイヌの伝承有用食材、アイヌの伝承食材加工品の4つに分類。品目、食材名、生産者、流通時期など6つのテーマで検索し、行き着いた各食材のページで情報を得ることができる。さらに生産者のホームページや白老観光協会が10月に開設した通信販売サイト「北海道・白老ねっと商店」にもリンクし、気に入った食材があれば注文もOK。ほかに、白老バーガー&ベーグルの開発や食のイベント情報など町内の食に関する取り組みも掲載している。
 同協議会では今後、データベースを流通業者への支援や商品開発、一般消費者への情報発信手段として幅広く活用したい考えだ。
 食材王国しらおい・総合サイトは、http://www.shiraoi-foodsmap.jp/
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09102301.html

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先島住民 遺伝的に本島と近く 琉大と東大大学院研究

2009-10-25 | 日記
(沖縄タイムス2009年10月23日 社会 )
台湾先住民と近縁性なし
 先島諸島(宮古島、石垣島)の住民は沖縄本島住民と遺伝的に近く、いわゆる「琉球クラスター(集団)」の一つであることが22日までに、琉球大学医学部と東京大学大学院の共同研究で分かった。考古学的には沖縄本島と先島諸島は約1000年前まで文化的交流は少なく、先島諸島は台湾先住民を含む東南アジアの海洋民との共通点が多いとされてきた。しかし、今回の研究で現在の先島住民は遺伝的には沖縄本島に最も近く、台湾先住民との近縁性はないことが明らかになった。(黒島美奈子)

 研究は琉大医学部形態機能医科学講座解剖学第一分野研究室と、東大大学院新領域創成科学研究科が共同で実施。2007年に3代続けて住む石垣島の高校生63人、宮古島の高校生66人、沖縄本島の専門学校生95人の歯形、血液、唾液(だえき)を採取し分析した。
 結果、母方の遺伝を示すミトコンドリアDNA配列は沖縄本島、宮古島、石垣島が琉球クラスターに属し、台湾先住民とは離れた系統に位置した。同じく父方の遺伝を示すY染色体データに基づく系統樹でも3島の集団は、台湾先住民とは離れた。
 歯形の分布では沖縄本島の今帰仁、嘉手納の住民と、宮古島、石垣島の住民は、歯の幅が狭い上に唇と舌の間の歯ぐきが太く、日本や東アジアなど、ほかのどの地域とも異なる位置に存在することも分かった。
 琉球大学医学部の石田肇教授は「活発な文化的・遺伝的交流があったとされる琉球王朝時代に、琉球クラスターができあがったのではないか」と推測する。
 日本人の起源に関する研究でアイヌ民族と琉球人はともに東南アジア起源の縄文時代人の直接の子孫であるとされてきたが、石田教授は「琉球クラスターは昔からある縄文集団に、ある時点でほかからの移入があり、個性的な要素を持った可能性がある」と分析した。
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-10-23-M_1-001-1_003.html

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