先住民族関連ニュース

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「脱ダム」田中氏ら視察 平取 地元住民と意見交換

2009-10-24 | 日記
(北海道新聞10/23 15:57)
 【平取】長野県知事時代に「脱ダム宣言」した新党日本の田中康夫代表らが23日、事業が一時凍結された平取ダム(日高管内平取町)の建設予定地などを視察するため平取町を訪れ、川上満町長や地元住民らと意見交換した。
 田中代表のほか、今本博健京大名誉教授も同行、23日午前は2003年8月の台風10号で床上浸水などの被害が出た同管内日高町の沙流川下流域を視察した。平取ダムの建設に反対している地元住民から話を聞き、午後に平取ダム予定地を訪問する。
 一方、ダム建設を推進する川上町長は町役場で田中代表に対して「町民の生命や財産を守るためにも地域の声を受け止めてほしい」とダムの必要性を訴えた。
 田中代表は「ダムは事業費の大半を大手ゼネコンに持って行かれる。地域の公共事業につながる治水のあり方を探る必要がある」と語った。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/195987.html

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『シャクシャイン戦記』の感想 斉喜広一

2009-10-24 | 日記
(janjan 2009/10/22)

著者:大森光章 出版社:新人物往来社
定価:1900円+税 発行日:2002年4月30日
【シャクシャインという人物】
 本書は、寛文9年(1669年)に起きたアイヌの雄・シャクシャインによる、対松前藩との戦いを、主としてアイヌの側から、しかしほとんど感情を入れ込まず、写実的に淡々と書き上げた著である。
 アイヌについては、筆者はほとんど先入的な知識は持ち合わせていない。ただ、将来小説家にという淡い希望を抱いていた若いころ、何かの資料にでもなればと、古本屋で買った『アイヌの民俗』という本を読んで、何となく好感を抱いていたのは事実である。
 その好感の中には、温和で、従順で、強欲とは無縁で、自然と一体化して日々生活している、そうした思い込みが含まれていた。
 シャクシャインは、十勝のポンベツ(本別町)の首長の息子で、体格もよく、気性も荒く、乱暴者だった。そして20歳のとき、幼友達だった人妻と密通し、厳しい制裁(棒による殴打)を受けた後、女とともに村を追われた。
 追われた2人は、山中で孤立した生活を送り、やがて子もなすが、シャクシャインが猟に出ている間に妻子ともに餓死させてしまった。それ以後彼は放浪の旅に出る。このときの経験が、彼の後の人生に何らかの原風景として投影しただろうことは、想像できる。
 放浪の後、やがてその実力が認められたシャクシャインは、日高地方のアイヌの首長に祭り上げられる。
 筆者が最初に衝撃を受けたのは、シャクシャインが酒の上のささいな喧嘩から相手を殴り殺してしまい、それを謝罪するどころか、「相手が弱かったから死んだのだ」と言い放ったことである。
 シャクシャインはまた、単なる乱暴なだけではなく、頭脳の方も明晰であった。和人による砂金掘りで川が汚され、鮭が獲れなくなっているのを見かねて、知行主と交渉した。鮭はアイヌと知行主との交易の大事な産物である。鮭が獲れなくなることは知行主にとっても都合の悪いことであるので、シャクシャインの要望を聞き入れて、砂金採取を夏場だけに限定させた。砂金の運上金は、藩に直接入るが、交易の収益は知行主に入ることを見越した上での頭脳的な交渉であった。
 その実績も認められて、彼は首長に祭り上げられたのである。
 シャクシャイン率いる一統と、オニビシ率いる別の一統がシベチャリ(静内)川を挟んで、漁猟場をめぐり、度々抗争を繰返していた。その凄まじさは、お互い殺すまでやる、まさに死闘である。ここでも、アイヌに対する筆者のイメージはくずれた。
 松前藩としては、オニビシの方に味方していたが、それでも抗争は困る(収益源であるアイヌの産物が減る)ので、度々和解の調停に乗り出した。
 ここで印象的なのは、あれだけ戦闘的なシャクシャインも、松前藩の実力、権力、武力に対しては、これは初手からかなわぬものとして、極めて従順な姿勢を見せていたことである。
【松前藩への反抗】
 その松前藩への反抗の直接の原因となったのは、交易のレートを一挙に松前側が、1/2に落としてしまったことによる。これには、松前側に、困窮する藩財政という事情もあったろうが、アイヌ側にしてみれば極めて理不尽な要求であった。しかも、これを訴えると、松前側は暴言や暴力ではねつけた。
 このときの暴言の中に「言うことをきかぬ年寄りアイヌは皆殺しにして、若者アイヌだけにしてしまうぞ」という脅し文句があった。やがてこれが、シャモ(和人)は、交易品の酒の中に毒を入れて、アイヌを皆殺しにしてまうつもりだ、という噂になって拡がった。
 さらに、松前から訴えに行ったアイヌの長老が、病死してしまった。実際は天然痘にかかってしまったようだが、これは毒殺である、との噂が拡がった。
 ここでアイヌの側に激しい反松前感情が起き、ついにシャクシャインが松前攻撃に立ち上がった。シャクシャイン自身は、先の一件は毒殺ではないだろうとわかってはいたようだが、あえて、士気を鼓舞するためにも、毒殺説を流布した。バラバラであった各地方のアイヌを、何とか1つにまとめようとしたのだ。
 いよいよ反松前戦争が起きるが、ここで改めて筆者が衝撃を受けたのは、アイヌの戦いが、徹底した殺戮を目的にしている、ということである。緒戦で、知らずにやってきた交易船を襲い、水夫もろとも皆殺しにする。海に飛び込んで逃げようとする者をも討ち取ってしまう。そこには、生け捕り(捕虜)にするという発想が見られない。少なくとも、本書の記述からは覗えない。
 さらに、シャクシャイン自身の命で、金掘り小屋に間者を放ち、賄い夫を抱き込み、食事に毒を盛って、金掘り和人を皆殺しにし、埋めてしまう、という残酷なこともやっている。
 結局、松前藩の(和睦を装った)狡猾な謀略によってシャクシャインは殺され、アイヌの対松前戦争は終結する。
 北海道でのアイヌと松前藩の戦いは、アメリカ大陸での先住民と白人の戦い、あるいは中国大陸での中国人と日本人の戦いにも何か通ずるものを感じたのは事実だ。
 なお、松前側からいえば「乱」もしくは、「反乱」ということになるのだろうけれど、ここでは本書の表記に従って「戦争」とした。
http://www.book.janjan.jp/0910/0910201912/1.php

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日韓国際環境賞:しらいみちよさん、「虹別コロカムイの会」を支援 /北海道

2009-10-24 | 日記
(毎日新聞 2009年10月22日 地方版)
 ◇「シマフクロウの森づくり」で受賞 シンガー・ソングライターのしらいみちよさん、歌で流域の心つなげ
 「シマフクロウの森づくり」を進め、第15回日韓国際環境賞に選ばれた「虹別コロカムイの会」(舘定宣会長、73人)。活動のメーンは100年先を見据えた植樹だが、流域の人々の心をつなげる役割を果たしたのは歌だった。10年間続いた「西別川流域コンサート」に携わった山梨県都留市のシンガー・ソングライター、しらいみちよさん(49)に、森づくりへの思いを聞いた。【本間浩昭】
 シマフクロウは10メートルも離れていないニレの大木にいた。「私たちを見下ろす鋭い眼光に、凝視できないくらいのパワーを感じ、固まってしまった」。西別川流域で初めてシマフクロウと対面した95年秋のことを、しらいさんは今も鮮やかに思い出す。
 94年に山梨県でのイベントで舘さんと偶然出会って意気投合。翌95年から植樹祭に参加し、コンサートを開いてきた。「この鳥を救いたい」というただそれだけの思いで森づくりを実践している人々がいることに驚き、「歌を通してこの思いを伝えていきたい」と確信した。
 流域コンサートは、西別川源流部の釧路管内標茶町から河口の根室管内別海町まで、川を下るように移動しながら5会場で開いた。大半がしらいさんの歌とメッセージだった。
 「ここでしかない音楽を作って、歌で人が手をつなげるといいな」。そう考えるようになったころ、西別川の源流部のほとりにいると、1曲分のメロディーが思い浮かんだ。これがオリジナル曲「西別川」になった。「まるで神さまが『この歌、歌いなさい』って下さったみたいだった」。
 3年目。しらいさんは「輪が大きくなった」と感じた。流域に暮らす酪農家の姿も目立ってきた。家畜のふん尿などで川を汚しているという意識もあって、自らドアを閉めているようだった酪農家が「川を汚しているから植樹をやってみる」という方向に動き始めた。壁が破られてきた。「音楽の役割ってこういうところにあるんだ」と思った。
 流域コンサートは04年、10回目を迎えたのを契機に幕を閉じた。だが、しらいさんは毎年、西別川を訪れ、住民とともに植樹に汗を流す。「人間は捨てたものではないと思う。どんなに小さいことでも、熱い思いがあれば、不可能と思うこともやってしまう。この会がどんなに大きくなっても、どんな賞をもらっても変わってほしくない。そして未来を引き継ぐ若者がいてほしい」。しらいさんは願う。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20091022ddlk01040282000c.html

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■ 白老の能登さんが知里幸恵の等身木像制作、近く完成

2009-10-24 | 日記
【室蘭民報2009年10月22日(木)朝刊】
「アイヌ神謡集」を著し19歳の若さで亡くなったアイヌ女性、知里幸恵(1903~1922)の等身大の木像が、白老町高砂町の会社員、能登康昭さん(61)の手によって間もなく完成しようとしている。幸恵の生まれ故郷・登別で建設が計画されている記念館に寄贈することにしている。
 能登さんは25歳から趣味として彫刻を始め、クマを10年ほど彫ったのち40代は仏像、50代は裸婦像をテーマに制作を続けている。二科展は5回入選。「銀の滴降る降るまわりに」で知られる同神謡集を何度も読み返し幸恵の生き方に共感、「形に残したい」との思いが膨らんだ。
 記念館の建設母体でもあるNPO法人知里森舎の理事長で幸恵のめいにあたる横山むつみさん(登別市本町)に「彫らしてください」とことわった上で幸恵の墓参りをしたのち、今年春から制作に取りかかった。
 ほぼ等身大の幸恵像は、台座を含め高さ152センチ。帯を締めた和服の幸恵が前に手を重ねる。目は前を向いている。
 アイヌ民族博物館から丸木舟用のセンの木(直径55センチ)を譲り受け、自宅作業場でのみをふるった。「重くて堅い」センの木と向きい合い、「18、19歳という若さ、アイヌ民族の雰囲気、苦労を重ねた幸恵」を目指した。
 「特に目が難しかった」と言う。1週間たつと目の感じがまた違って見える。何度も手を加えた。幸恵の写真を張った作業場で、像に語り掛けながらの作業でもあった。ほぼ90%でき、これから台座にアイヌ文様を彫ったり、表面にろうを塗る仕上げにかかる。
 「みんな完成を待ち望んでいる。完成の弾みになれば」と願い、記念館に寄贈する。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2009/10/22/20091022m_07.html

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特集:第15回日韓国際環境賞(その2止) シマフクロウ、次代に

2009-10-24 | 日記
 (毎日新聞 2009年10月22日 東京朝刊)
 ◇営巣へ「緑の回廊」整備--虹別コロカムイの会
 「ボーボー、ウー」。夜の静寂を破るように北海道東部の森に野太い声が響き渡った。オスのシマフクロウの「ボーボー」に、メスが間髪を入れずに「ウー」と応える。鳴き交わしだ。
 「どこだい」「ここにいるよ」。虹別コロカムイの会の舘定宣会長(67)にはそう聞こえる。「お互いの存在を確認し合っているかのよう」。夕焼けの残照が漆黒の闇にのまれていく宵、そして闇が天地の支配を太陽に明け渡す暁に、鳴き交わしは繰り返される。
 アイヌ語で「コタン・コロ・カムイ(村の守り神)」と呼ばれ、アイヌ民族にあがめられてきたシマフクロウ。その神の鳥が“兵糧攻め”に遭っている。森林伐採ですみかを追われ、河川改修や砂防ダムで餌となる小魚も奪われた。
  *  *  *
 摩周湖の伏流水を源泉にしている大橋勝彦事務局長(55)の養魚場に1組のつがいが現れたのは16年前。全長60センチを超えるシマフクロウが、ドナルドソン系ニジマスを夜ごと、狙っていた。
 「神さまを救わなければ」。だが、道東の森はずたずたに伐採されていた。それでも、わずかに残る河畔林を植樹でつなげれば、シマフクロウの移動・分散に必要な「緑の回廊」だけは確保できそうだった。「いまならまだ間に合う」。有志が会を結成し、「シマフクロウの森づくり100年事業植樹祭」が始まった。
 多い年には500人が汗を流し、16年間に植えた広葉樹の苗は計5万3000本に達した。活動を支えているのは、神の鳥の無言の叫びに耳を傾けようとする人々の思いである。
 養魚場に現れたつがいのために手づくりの巣箱をかけると、すぐに営巣し2羽のヒナが生まれた。その後も毎年着実に1~2羽の子を育て、16年間に計27羽が巣立った。全道の生息数が推定130羽といわれる中で、1カ所で計27羽の巣立ちは驚異的な数字である。
  *  *  *
 会が取り組んできたユニークな活動の一つに、「西別川流域コンサート」がある。植樹に情熱を燃やすシンガー・ソングライターのしらいみちよさん(49)を招き、95年から10年連続で手作りコンサートを開催した。
 「まぼろしの森には神さまが 羽を広げ飛ぶのさ 笑いながらあの人 汗を流し 祈りささげて木を植える」。植林に汗を流す人々とシマフクロウの心の結びつきを歌った「北の大地」は源流部から河口までの人々の心を一つにつなげた。
 また、02年からは「摩周水環境フォーラム」を開催し、伏流水のメカニズムや清流の指標・バイカモの繁殖戦略などを学んできた。
 活動を始めた当時、川の水位は低下し、酪農汚水が富栄養化を引き起こしていた。沿岸漁業もふるわなくなっていた。「生態系の頂点に立つこの鳥が暮らしやすい環境を取り戻すことが、いずれ地域の再生につながる」。舘会長の発想の原点はそこにあった。
 「アンブレラ・スピーシーズ」。生態系の頂点にある動物を保護することでその生態系全体が保護されるという意味だが、こうした概念が広がる以前からここでは既に実践していたのである。会の活動は行政の補助金頼りではない。各種のファンドや財団、団体から苗木の現物支給を受け、寄付金を会員や篤志家から募って続けてきた。
 「ボーボー、ウー」。シマフクロウの鳴き交わしが流域全体で聞こえることを夢見て、舘会長は「歩きながら考え、できることからやってきた」。命をつなぐ植樹は少なくともあと84年は続く。【本間浩昭】
 ◇受賞の理由
 絶滅が危惧されているシマフクロウの生息環境を整えるため、100年先の将来を見すえ、住民主導で河畔林の復元に向けた植樹などの保護活動を実践している。
 ◇活動の概要
 人間による森林開発によって生息地の森を奪われたシマフクロウの生息環境を整えるため、1994年に北海道東部の西別川流域で「シマフクロウの森づくり100年事業植樹祭」に着手。ミズナラ、ハンノキ、シラカンバなど5万3000本の広葉樹を植え、河畔林の復元を進める。知床、根室、十勝に生息地が分断され、血が濃くなってしまっているシマフクロウ。緑の濃い河畔林が復元されれば、飛び地のような「緑の回廊」ができ、生息地間の移動・分散が容易となる。
 シンガー・ソングライターの協力を得て95年から10年連続で流域コンサートを開催。源流部から河口まで流域に暮らす人々の心を一つにつなげた。
 02年からは毎年、「摩周水環境フォーラム」を流域の自治体と連携して開催。シマフクロウを頂点とする生態系の望ましいあり方を模索している。
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 ◇過度の森林伐採、絶滅寸前--かつての生息地、復元 住民主導で始動
 ロシア極東のアムール川流域から中国東北部、サハリン、北海道、北方四島にかけて分布するシマフクロウ。全長63~69センチ、翼を広げると約180センチという世界最大級のフクロウだ。かつては北海道に約1000羽生息していたとみられるが、現在は推定約130羽。
 高度成長期の過度の森林伐採や河川改修がシマフクロウを絶滅の寸前にまで追い込んだ。国は72年に天然記念物に指定。環境省のレッドデータリストでも最も絶滅が危惧(きぐ)されている「絶滅危惧ΙA」に指定されている。
 だが、こうした指定だけでは生息数の回復にはつながりにくい。その種を絶滅のふちへと追い込んだ原因の解決が必要となるが、日本の野生生物行政はそこまで及ばない。シマフクロウの保護に関係する環境省の予算は年間2千数百万円。大半が巣箱かけや給餌、足輪装着などの保護増殖事業で消えてしまう。
 その事業も対症療法にしかなっていない。天然の樹洞の代用品として巣箱をかけ、繁殖に成功しても、若鳥には危険が待ち受ける。交通事故や電線での感電死は後を絶たない。養魚場のいけすに張った網にかかって命を落とす個体も多い。
 一方、巣に接近して撮影しようとする心ないカメラマンもいる。数少ないつがいの営巣放棄を恐れ、行政や研究者は、生息地の所在を秘した。生息数を思うように増やせず、わずかに残る緑濃い森で命を永らえている個体群を温存するだけで精いっぱいなのが現状だ。
 それだけに、「かつての生息地を復元しよう」という地道な取り組みが住民主導で始まったことは画期的だった。
 西別川の河口から約35キロ先には、日露の係争の地である北方領土・国後島の島影が横たわる。北海道の面積の6%ほどしかない北方領土には、推定70~80羽が生息しており、世界一の密度を誇る。最近は色丹島でも営巣が確認された。
 北方領土問題をかかえる日露の係争地だが、動物に国境はない。「緑の回廊」づくりが、やがて海を越えてつながり、往来が確認される日が近いかもしれない。【本間浩昭】
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 ◇日本側審査委員
 今井通子氏    医学博士、登山家。元中央環境審議会委員。83~85年チョモランマ峰北壁冬季登山隊長。
 加藤三郎氏    NPO法人「環境文明21」共同代表。環境文明研究所所長。川崎市国際環境施策参与ほか。
 C・W・ニコル氏 作家、ナチュラリスト。カナダ環境保護局環境問題緊急対策官などを歴任。
 辻井達一氏    財団法人北海道環境財団理事長。日本国際湿地保全連合会長。
 大久保尚武氏   積水化学工業代表取締役会長。日本経済団体連合会自然保護協議会会長。
 原剛氏      早大特命教授。早稲田環境塾塾頭。毎日新聞客員編集委員。日本自然保護協会理事。日本野鳥の会顧問。
 菊池哲郎氏    審査委員長。毎日新聞社常務取締役主筆。
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 ◆日本側の過去の受賞者
◇第 1回(95年) 遠山正瑛氏(日本沙漠緑化実践協会会長)、遠山柾雄氏(同副会長)、財団法人北九州国際技術協力協会
◇第 2回(96年) 菱田一雄氏(海外経済協力基金技術顧問)
◇第 3回(97年) 村本義雄氏(日本鳥類保護連盟石川県支部長)
◇第 4回(98年) 中坊公平氏と廃棄物対策豊島住民会議
◇第 5回(99年) 滋賀県環境生活協同組合及び藤井絢子理事長
◇第 6回(00年) 日本野鳥の会国際センター
◇第 7回(01年) 財団法人ニッセイ緑の財団
◇第 8回(02年) NPO法人北の海の動物センター
◇第 9回(03年) NPO法人アジア砒素ネットワーク
◇第10回(04年) ワシ類鉛中毒ネットワーク
◇第11回(05年) 日韓共同干潟調査団
◇第12回(06年) クリーンアップ全国事務局
◇第13回(07年) 石綿対策全国連絡会議
◇第14回(08年) NPO法人日本ツキノワグマ研究所
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20091022ddm010040125000c.html

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