先住民族関連ニュース

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弱い立場の人々尊重…所信表明演説全文2

2009-10-27 | 日記
(読売新聞2009年10月26日16時30分 )
 ◆いのちを守り、国民生活を第一とした政治◆
 ◆友愛政治の原点◆
 私もまた、この夏の選挙戦では、日本列島を北から南まで訪ね、多くの国民の皆さまの期待と悲痛な叫びを耳にしてきました。
 青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らのいのちを断つしか途がなかった、その哀しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年3万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触。その眼の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな「居場所」すら見つけることができず、いのちを断つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です。
 かつて、多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。
 今回の選挙の結果は、このような「もっとも大切なこと」をおろそかにし続けてきた政治と行政に対する痛烈な批判であり、私どもはその声に謙虚に耳を傾け、真摯に取り組まなければならないと、決意を新たにしております。
 ◆国民のいのちと生活を守る政治◆
 本当の意味での「国民主権」の国づくりをするために必要なのは、まず、何よりも、人のいのちを大切にし、国民の生活を守る政治です。
 かつて、高度経済成長の原動力となったのは、貧困から抜けだし、自らの生活や家族を守り、より安定した暮らしを実現したいという、国民の切実な思いでした。ところが、国民皆年金や国民皆保険の導入から約50年がたった今、生活の安心、そして将来への安心が再び大きく揺らいでいます。これを早急に正さなければなりません。
 年金については、今後2年間、「国家プロジェクト」として、年金記録問題について集中的な取り組みを行い、一日も早く国民の信頼を取り戻せるよう、最大限の努力を行ってまいります。そして、公平・透明で、かつ、将来にわたって安心できる新たな年金制度の創設に向けて、着実に取り組んでまいります。もとより、制度としての正確性を求めることは重要ですが、国民の生活様式の多様化に基づいた、柔軟性のある、ミスが起こってもそれを隠さずに改めていける、新しい時代の制度改革を目指します。
 医療、介護についても必死に取り組みます。新型インフルエンザ対策について万全の準備と対応を尽くすことはもちろん、財政のみの視点から医療費や介護費をひたすら抑制してきたこれまでの方針を転換し、質の高い医療・介護サービスを効率的かつ安定的に供給できる体制づくりに着手します。優れた人材を確保するとともに、地域医療や、救急、産科、小児科などの医療提供体制を再建していかなければなりません。高齢者の方々を年齢で差別する後期高齢者医療制度については、廃止に向けて新たな制度の検討を進めてまいります。
 子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。人間らしい社会とは、本来、子どもやお年寄りなどの弱い立場の方々を社会全体で支え合うものであるはずです。子どもを産み育てることを経済的な理由であきらめることのない国、子育てや介護のために仕事をあきらめなくてもよい国、そして、すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこうではありませんか。このために、財源をきちんと確保しながら、子ども手当の創設、高校の実質無償化、奨学金の大幅な拡充などを進めていきたいと思っております。
 さらに、生活保護の母子加算を年内に復活させるとともに、障害者自立支援法については早期の廃止に向け検討を進めます。また、職場や子育てなど、あらゆる面での男女共同参画を進め、すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、誰もが尊厳をもって、生き生きと暮らせる社会を実現することが、私の進める友愛政治の目標となります。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091026-OYT1T00753.htm

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訪ねたい:旅・まち・発見 北海道/下 阿寒湖アイヌコタン

2009-10-27 | 日記
(毎日新聞 2009年10月26日 大阪夕刊)
 ◇神の火に我が身を照らし赤面す
 北海道での最後の夜、ものがたり観光行動学会の李有師さん(54)と「阿寒湖アイヌコタン」(釧路市阿寒町)を訪れた。コタンとは村の意味。ここ阿寒湖では、36世帯約110人のアイヌが暮らす。木彫りなどの民芸品を売る店やアイヌ料理を出す飲食店が軒を連ね、年間約20万人が訪れる。
 聞けば、阿寒湖のコタンは、自然発生的にできたのではないという。戦後、一帯の地主で自然保護活動に尽力した故前田光子氏が、アイヌだけで自立して生活し、文化を継承、発展させるようにと、土地を無償貸与したのだ。「いわば、アイヌのニュータウンだね」と李さん。
 午後8時、「千本タイマツ」を見に温泉街へ向かった。近隣のホテルから観光客が続々と集まってくる。特設ステージに設けられたかがり火には、阿寒湖にすむ国の特別天然記念物、マリモの生育環境が守られるように、との願いが込められている。伝統衣装をまとった男性を先頭に、たいまつを掲げた観光客らの行列はコタンへ向かった。独特のメロディーに合わせ、商店街を練り歩く。
 コタンでは、「イオマンテの火まつり」を堪能した。98年、閑散期の集客イベントとして始めたという。「ウオーッホホホホー」。天に届かんばかりの雄たけびが闇を引き裂き、エカシと呼ばれるアイヌの長老が登場。火のついた矢を射ると、会場の真ん中に巨大な炎が現れた。燃えさかる炎にエカシがこん身の祈りをささげる。圧倒的な存在感に会場の空気は引き締まり、幻想的なアイヌの世界へといざなわれた。
 アイヌの古式舞踊には、自然をテーマにしたものが多い。男は狩りの様子を表し、女は優美な鶴になったかと思えば上下左右に激しく髪を振りかざす。その鋭いまなざしや切れのある身のこなしに、李さんは「自然に対する尊敬や恐れが痛いほど伝わる」とうなる。商業演劇ではない、暮らしに息づいた本物だからなのだろう。最後は、小さくなった炎を囲んでアイヌと観光客が輪になって踊る。客席と舞台、アイヌと「和人」の距離が一気に縮まった。
 火まつりの演出も手がける秋辺日出男・阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事(49)は、温泉街の再生を担う一人。「本物志向のアイヌ城下町にするには、施設とソフトの磨き方がまだまだ足りない」と話す。いわれのない差別にアイヌから逃げようとしたこともあったが、その精神世界に引き寄せられた。仲間内では当初、観光で売ることに「さらし者になるだけ」と反対もあった。しかし、「時代の中で呼吸できない文化は死滅する」と信じる。
 都会とさほど変わらぬ現代的な生活を営みながら、アイヌがこんなにも真剣に自然や神を感じられるのはなぜだろう。「ジェット機に乗って、携帯電話も持ってるけど、正月には神社に行くでしょ。それと同じこと」と秋辺さんはこともなげに語る。木彫りの材料を探しに山に入る時は、必ず神に祈りをささげる。「アイヌが特別なんじゃない。ただ、忘れてる人もいるだけだよ」。秋辺さんの言葉に、ふと我が身を振り返った。<文と写真・林由紀子>
==============
 ◇旅の手帳
 阿寒湖アイヌコタンでは、木彫りや刺しゅうなどの体験メニュー(要予約)も。阿寒アイヌ工芸協同組合(0154・67・2727)。「千本タイマツ」(無料)と「イオマンテの火まつり」(大人1000円)は、11月30日まで。阿寒観光協会(0154・67・3200)。
http://mainichi.jp/life/travel/news/20091026ddf012100021000c.html

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支局長からの手紙:ならまち大冒険 /奈良

2009-10-27 | 日記
(毎日新聞 2009年10月26日 地方版)
 毎日新聞BSラジオ面で掲載している「読んであげて」に、奈良町を舞台にした童話「ならまち大冒険」が登場します。スタートは11月1日で、1カ月間連日掲載します。作者は泉鏡花文学賞作家で多彩な才能を発揮されている寮美千子さん(53)です。寮さんは奈良の魅力にひかれて、3年前に首都圏から奈良町に引っ越してきました。お話を聞きながら、その言葉の端々からにじみ出る奈良への深い愛情が、奥の深い物語を生み出したことを実感しました。
 ほんの少しですが、物語のさわりを紹介します。
 関東地方に住む小学3年生の男の子の家に、大きな柏の葉っぱのはがきが届きます。そこには、奈良町に住むおじいさんの家が壊されそうになっていることが書かれていました。
 家は、築150年の町家ですが、雨漏りやすき間風のため、新しい家に建て替えようという話が進んでいたのです。しかし、その家が気に入っていた男の子は、冬休みを利用して一人で奈良町を訪ねます。そして、そこで起こる不思議な出来事を通じて、奈良町の地名の由来や奈良の歴史などにも触れられるものになっています。
 私がひざを打ったのは、物語に「不審ケ辻子(づし)」が登場したことです。私もこの春、東京から異動してきたのですが、奈良町を歩いていてこの地名を初めて見たときは、一種のカルチャーショックを受けました。
 住んでおられる方には、本当に申し訳ない思いで書くのですが、目にした瞬間は「よく、こんな物騒な地名の場所に住むな」ということでした。ところが、少し時間がたつと「この地名を、よくぞ現在まで残したものだ」という、奈良の奥深さに感心しました。
 さらに、歴史を感じさせる地名の由来を記載した看板も設置されているのには「参りました」という感じでした。いずれにしてもここは、物語の中でかなり重要な役割を果たします。事前に予想してみるのも、楽しい読み方かも知れません。
 寮さんの経歴を少し紹介します。東京生まれで、外務省職員、広告制作会社勤務などを経て、86年に「ねっけつビスケット チビスケくん」で毎日童話新人賞最優秀賞を受賞、05年には長編小説「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲」で泉鏡花文学賞を受賞しました。
 他にも、アイヌやインディアンなど先住民族に関する絵本があると思えば、ジャズの坂田明さんらの演奏と一緒に、自作の詩などを朗読する「リーディング・ライブ」も。さらに、奈良少年刑務所社会性涵養(かんよう)プログラム講師として、童話や詩を通じて更正の手助けをしているのです。
 奈良に移られた経緯や、奈良町での生活のこともお聞きしましたが、面白すぎてとても書き切れませんので、機会があれば、改めて紹介したいと思います。
 寮さんは奈良町の魅力について、こんな話をしてくれました。
 「資本主義的な拝金主義ではなく、『足るを知る』という価値観があり、物質的なものではなく文化的なものに目が向いています。今生きている人たちが面白く、そのネットワークが張り巡らされている。これからあるべき世界があるという意味で、周回遅れのトップランナーと言えるのではないでしょうか」
 最後に「ならまち大冒険」に込めた思いを聞くと、「平城遷都1300年祭が単なるお祭りではなく、本当の意味で歴史を学ぶチャンスになったらいいと思って書きました」という答えでした。この考えには、私も大賛成です。
 イラストは、今は「せんとくん」と仲良くなった「まんとくん」のキャラクターの作者、クロガネジンザさんです。ご期待ください。【奈良支局長・山内雅史(yamauchi‐m@mainichi.co.jp)】
http://mainichi.jp/area/nara/news/20091026ddlk29070222000c.html

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