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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

新世紀・世界文学ナビ:台湾編/1 李喬=ナビゲーター・山口守

2011-10-06 | 先住民族関連
毎日新聞 2011年10月6日 東京朝刊

 ◆李喬(リーチアオ)
 ◇歴史の転変を壮大な物語に
 16世紀ポルトガル人船員が「イラ・フォルモサ(麗しき島)」と感嘆したと伝えられるほど緑豊かな自然に恵まれた台湾。古代から住んでいたのはマレー・ポリネシア系民族で、中華文明圏の周縁に位置していた。16世紀以降ヨーロッパ人が植民地支配を企てたが敗退し、やがて鄭成功の亡命政権を含めて大陸から漢民族の移住が本格化する。日清戦争の結果として1895年に日本の植民地となり、半世紀の植民地統治を経て、第二次世界大戦終結後に中華民国への復帰を果たす。1949年以降は大陸で共産党との内戦に敗れた蒋介石国民党政権が戒厳令を施行して統治した。87年に戒厳令が解除され、民主化が急速に進んで今日に至っている。
 こうした歴史的経緯を眺めると、台湾社会の特徴が移住と交錯にあることに気がつく。今回取り上げる李喬は、そうした歴史の転変を、神話にも似た壮大な物語として描く作家である。李喬は郷土派として位置付けられながら実験的な作品も創作するが、代表作『寒夜』(2005年、国書刊行会)は、まだ戒厳令下にあった1980年から81年にかけて出版された長編3部作で、第1部が1890年代の客家(ハッカ)人(独自の文化を保持する漢民族の一集団)一家の入植の苦闘と日本による占領への抵抗を、第2部が日本統治期1920年代後半の農民運動と抗日活動を、第3部が太平洋戦争末期に日本軍兵士として南洋へ送られた台湾人青年の帰還への夢と死を描く。客家という漢民族の中のマイノリティの目を通した、台湾近代史の俯瞰図(ふかんず)のような大河小説であり、標準中国語の中に〓南(びんなん)語・客家語・先住民言語・日本語が入り交じった文体を見ても、台湾の歴史が凝縮したような作品である。これを原作とした客家語の連続テレビドラマが2002年から04年にかけて台湾公共テレビで放映されて評判となった。
 愛する人々と故郷を守るため、強大な敵帝国日本に抵抗を続ける強靱(きょうじん)で生命力溢(あふ)れる台湾民衆の姿を、李喬は生まれ故郷への帰還を夢見る鱒(ます)のイメージに重ねながら、「故郷とはどこか彼方(かなた)にあるものではない。心に焼き付けられた真実の存在なのだ」と郷土台湾への熱い思いを表明する。この母性崇拝にも似た台湾の大地への深い愛情は、スタインベックの『怒りの葡萄(ぶどう)』にも似て、『寒夜』3部作で最初から最後まで登場する唯一の人物が一家の母親であることにも表れているように思える。=毎週木曜日に掲載
 <作家本人から>
 ◇私のプロメテウス
 私は1934年日本統治下の台湾山間部で生まれました。8歳から12歳まで4年間日本語教育を受けました。28歳になってやっと小説を書くことに全力を注ぐようになりました。
 もちろん創作と読書は同時進行でしたが、困ったことに、中国語作品では満足できず、どうしても外国の作品を求めざるを得ませんでした。そしてウィリアム・フォークナーに魅了されたのです。『響きと怒り』や『サンクチュアリ』などが私の心の中の文学世界を揺さぶりました。
 私は抗日左派の家庭に生まれ、日本語を頼りに、幅広く文化・権力・アイデンティティ・エコロジー・ジェンダーなどの理論を渉猟し、その結果日中両国の諸相を比較できるようになりました。私自身もまた「脱植民地化」したのです。日本語は私にとって精神上のプロメテウス(人類に火を与えた神)です。
==============
 ■人物略歴
 ◇やまぐち・まもる
 1953年長野県生まれ。日本大文理学部教授。中国現代文学、台湾文学専攻。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111006ddm014070003000c.html

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日本人を文明人として描きすぎた?台湾発「セデックバレ」は反日映画か

2011-10-06 | 先住民族関連
日経ビジネス オンライン 2011年10月5日(水)

福島 香織  【プロフィール】
 先日、所用で台湾に行ってきた。その折、台北で話題の映画「賽克巴莱(セデックバレ)」(魏徳聖監督)を見てきた。前後編あわせて4時間20分、台湾史上最高額の7億台湾ドルの製作費をかけた文字通りの大作である。
 日本での公開を待たずに、いち早く見ておきたい、と思ったのは、一部でこの映画が反日映画、抗日映画だという評判が立っていたからだった。

前作はラブレターにも似た「親日映画」
 日本統治時代の1930年10月から12月にかけて起きた台湾中部の山岳先住民族(セデック族)による抗日暴動事件「霧社事件」を題材にしており、抗日プロパガンダ映画をいくつも政策してきた中国のメディアからも「殺戮場面が多すぎ、日本人を過剰に敵視している」(フェニックス・ネット)といった批判が出ていた。
 台湾といえば東日本大震災の被災地に200億円以上の義援金を送ったことからも推測されるように極めて親日的であるというのが私の理解だったので、台湾で反日映画が作られ、しかも大ヒットを飛ばしているというのが少々信じられなかった。魏徳聖監督の前作「海角七号―君思う、国境の南」は、台湾からの日本へのラブレターにも似た「親日映画」だったから、なおさらである。
 自分の目で前後編を見た上で言えば「セデックバレ」は抗日事件を題材にしながらも反日映画ではなかったと思う。誤解を恐れずに言えば、むしろ親日映画かもしれない。さらに言えば、ひょっとすると反中華映画かもしれない。
 というと、抗日映画とは何か、親日映画とは何か、という疑問が起きてくるだろう。今回は、映画の政治性というものについて考察してみたい。以下の文章では、映画の内容にも若干触れるので、自分の目で映画を見るまで先入観を持ちたくない方は注意してほしい。

差別を受けた原住民の不満はくすぶっていた
 映画の題材になった霧社事件についてはご存じだろうが、簡単に説明しておこう。
 1895年、台湾は下関条約によって清国から日本に割譲され、本格的な開拓・開発が始まった。台湾はそれまで「化外の地」(国家の教化、統治の及ばない地方)と呼ばれ、文明の恩恵に欲さない人々が自由奔放に暮らしていた。中央の山岳地域にはセデック族ら、独自の信仰と首狩りの習慣がある好戦的で獰猛な誇り高い狩猟民族(原住民)がいくつものに別れて暮らしていた。
 台湾に上陸した日本軍は「乙未戦争」と呼ばれる当初の原住民らの抵抗を平定した後、山岳地域の森林資源を開発するために、原住民の教化に取り組んだ。しかし、祖先から受け継いだ猟場を奪われ、公用語として日本語の使用を強いられ、差別を受けていたこれら原住民に不満はくすぶっていた。
 1930年10月7日、霧社の日本人巡査が移動中、セデック族の婚礼の宴の場に通りかかったところ、セデック族マヘボ社頭目モナ・ルダオの長男のタダオ・モナに酒を勧められたが、巡査は彼らの不潔を嫌ってステッキで叩いた。誇り高いセデック族はこれを侮辱と受け取り巡査を殴った。
歴史の真実を訴える映画ではないだろう
 この事件について警察からの報復を恐れたモナ・ルダオはマヘボ社ら6つの社()の300人を率いて蜂起、霧社の日本人が集まる公学校運動会が開かれる10月27日に駐在所と運動会を襲撃、女性や子供を含む140人を殺害した。日本軍と警察は航空機を含む近代兵器でこれを武力鎮圧しようとしたが山岳地域のゲリラ戦法による抵抗は苛烈を極め、現地司令官が毒ガス爆弾の使用許可を陸軍大臣に求めたほどだったという(実際に使用したかどうかは論争がある)。
 日本側は山岳ゲリラ戦に対応するため、モナ・ルダオのと敵対するのセデック族に武器を与え、蜂起部族の首級に対して報奨金を出し、同族同士を戦わせた。最終的に鎮圧は成功するが、セデック族側は700人が死亡あるいは自決した。マヘボ社の女性たちの多くが戦闘を続ける男たちの軍糧を減らすまいと集団自決するなど、凄惨を極めた。この事件後、日本の原住民政策は大きく修正された。…と言われている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20111003/222975/?P=2

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郷土の人形展:31都道府県、展示--横手 /秋田

2011-10-06 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2011年10月5日 地方版

 横手市雄物川町の雄物川郷土資料館で今月、旧市出身で仙台市に住む女性から贈られたひな人形などを中心とした「郷土の人形展」が始まった。館内は一足飛びに年を越し、春になったようなムード。12月25日まで。
 11年度第3回特別展で、北海道「アイヌ風俗人形」から東京都「江戸姉様人形」、京都府「伏見人形」、福岡県「津屋崎人形」、沖縄県「沖縄張子」まで、31都道府県・48人形など計344点が展示されている。
 女性は昨春、これらの人形類を横手市に一括寄贈。市教委は「高齢になったので散逸しないように、名前は明かさないでということだった」としている。
 担当者とともに仙台で直接受領した資料館の冨田郁巳さんは「子供を育て上げ、四十代から転勤で行った先々で求めたと聞いた」と話した。
 展示品には粘土を流し込み、焼いて人形をかたどる“門外不出”の石こうの型(計12点)も含まれており、郷土玩具「中山人形」を伝承する横手市の樋渡人形店から特別出展されたという。
 入館料は一般100円、高校・大学生50円(中学生以下無料)。月曜休館。問い合わせは同館(0182・22・2793)へ。【佐藤正伸】
http://mainichi.jp/area/akita/news/20111005ddlk05040218000c.html

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第5回文化学部『北方文化フォーラム』を10月24日開催−関東における人権教育とアイヌ文化学習−

2011-10-06 | アイヌ民族関連
札幌大学 2011.10.04

札幌大学文化学部では、学部開設以来、学生と一般市民を対象とした公開講座「北方文化フォーラム」を毎年開催しています。
今年度第5回は10月24日18時から、宇都宮大学教授の廣瀬隆人氏を講師にお迎えし、「関東における人権教育とアイヌ文化学習」をテーマに開催します。
廣瀬氏は、北海道での歴史教育や歴史研究の経験を持ち、現在は生涯教育のエキスパートとして活躍しています。北海道をはじめ全国で「まちづくり」などの助言・指導を行い、生涯学習や成人教育の第一人者でもあります。また栃木県の教育行政にも深く関わり、現在は県の教育委員長としての重責も担っています。
最近は北海道での経験を生かし、自らアイヌ民族資料を多種多数収集し、これを教材に宇都宮大学を中心に人権学習の一環として、アイヌ文化を関東に広く普及する活動を行っています。
講演では、廣瀬氏の数ある業績の中で、北海道以外でのアイヌ学習の意義や、人権教育の目指す役割などを、わかりやすくお話しいただきます。
受講料無料、事前の申し込みは不要です。
日時:平成23年10月24日(月)18時~20時
場所:札幌大学 6102教室(札幌市豊平区西岡3条7丁目3−1)
講師:廣瀬 隆人 氏(宇都宮大学教授)
演題:「関東における人権教育とアイヌ文化学習」
問い合わせ:札幌大学文化学部文化学科 池田正之研究室 TEL(011-852-9062)
http://www.sapporo-u.ac.jp/news/culture/2011/1004172742.html

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【白老】イオル体験事業で80人が地引き網漁を楽しむ

2011-10-06 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2011年 10/4

 アイヌ民族と漁業のかかわりを学ぶイオル(伝統的生活空間)体験事業が1日、白老港で行われ、地元の親子ら約80人が地引き網漁を楽しんだ。
 一般社団法人白老モシリが主催。アイヌ民族はマレクと呼ばれる「銛(もり)」でサケなどを捕まえるが、地引き網漁は同民族との交易拡大を目指す和人から約400年前に伝えられたとされる。
 この日は漁の安全を願う伝統儀式「カムイノミ」に続き、港内に仕掛けた地引き網を参加者全員で引っ張った。冷たい通り雨が打ち付ける中、やっとの思いで引き寄せた網の中にはカレイやフグなど数十匹の魚。豊漁に子供たちからは「すごい、すごい!」と歓声が上がった。昼食には白老産の秋サケ30匹を使い、伝統料理「チェプオハウ」(サケの汁物)、「チマチェプ」(焼きサケ)などが無料で振る舞われた。
 地引き網体験は8日午前10時からも同所で行われる。参加無料。対象は小中学生。小学校低学年は原則、父母同伴。申し込みはしらおいイオル事務所チキサニ 電話0144(82)6301。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11100401.html

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台湾からチャーター機 帯広

2011-10-06 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 10/04 15:00)

 【帯広】台湾・復興航空(台北)のチャーター便が2日、帯広空港に到着した。同空港への国際チャーター機乗り入れは本年度初めてで、台湾からのチャーター便は2年ぶり。乗客はアイヌ民族の舞踊などで歓迎を受けた。
 第1便で訪れたのは73人。幸福駅や十勝川温泉など管内の観光スポットを回った後、札幌や小樽、登別などに行き、函館空港から帰国するという。
 この日、到着ロビーでは、帯広カムイトウウポポ保存会のメンバー10人が民族楽器ムックリを演奏したり舞踊を披露するなどして歓迎。また、とかちアジア観光誘致推進協議会(会長・米沢則寿市長)は、六花亭のホワイトチョコレートを一人一人に手渡した。
 夫婦で訪れた楊淑芳さん(43)は「台湾にはない北海道の大自然と景色の良さを楽しみたい」と話していた。
 同チャーター便は12月29日まで計12往復23便の運航を予定している。(長谷川賢)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/322873.html


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白老で「地びき綱漁体験」子供たち“大漁”に大喜び

2011-10-06 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2011年10月4日(火)朝刊】
 
 白老町のイオル(アイヌ民族の伝統的生活空間)再生事業、地びき網漁体験が1日、町内の海岸で行われ、子供たちが地びき網やサケの解体体験を通してアイヌ民族の食文化を学んだ。
 白老モシリ(加藤忠代表)の主催で、平成19年から実施されているイオル整備のソフト事業。この日は町内や苫小牧などから児童・生徒、保護者ら約80人が参加した。
 白老港第3商港区で行われた地びき網体験では、子供たちが「よいしょ、よいしょ」の大合唱。30分ほどで揚がった網にはカレイやフグなどが掛かり、子供たちは“大漁”に大喜びの様子だった。
 また、カムイノミ(神への祈り)やサケの解体も体験。伝統料理のチマチェプ(焼き魚)やチェプオハウ(サケ汁)を試食するなど、サケを使ったアイヌ民族の食文化にも理解を深めた。
 地びき網やサケの解体を体験した渡穂果さん(7)は「網を引っ張って楽しかった。サケの解体も初めてだったし、面白かった」と話していた。(高橋昭博)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/10/04/20111004m_08.html

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「ハングル」を世界の少数民族に 韓国が「輸出攻勢」

2011-10-06 | 先住民族関連
Jcastニュース 2011/10/ 4 20:17

意味ではなく音を表す「表音文字」として知られるハングルが、国外に輸出されるケースが続いている。
「文字を持たない言葉が、このまま絶滅しまうのを防ぐため」として、インドネシアの少数民族の「公式文字」として採用されたほか、ボリビアでも同様の取り組みが始まっている。ボリビアの取り組みは、インドネシアの例を見た韓国の駐ボリビア大使が、ボリビア政府に働きかけたのがきっかけ。官民を挙げた輸出攻勢だとも言えそうだ。
独自の文字がない言語にハングル採用
初めてハングルが国外に輸出されたのは2009年。インドネシア中部のスラウェシ島のバウバウ市のチアチア族(約6万人)は独自の言語を持ってはいるものの、これを表記するための独自の文字がなく、言語自体が消滅する危険が指摘されていた。そこに、大学教授などでつくる民間のハングル普及団体「訓民正音学会」がハングルの採用を働きかけ、09年8月に公式文字として採択された。
ハングルで書かれたチアチア語の教科書を使って、小学校で授業が行われている。公式採択にあたっては、チアチア族の先生を半年間にわたってソウルに招待し、ハングルや韓国語のトレーニングを行っている。
この事例に着目したのが、駐ボリビアの韓国大使だ。ボリビアには36の先住民族がおり、国民の過半数を占める。さらに、その多くは独自の文字を持たず、スペイン語の表記を借用しているものの、発音の表記に難があるとされる。この「独自の文字がない」という点に着目した形だ。中央日報によると、在ボリビア韓国大使館は10年7月から、首都ラパスで、ボリビアやペルーに住む先住民族のアイマラ族(200万人)のコミュニティで対象にハングル教育を行っている。モラレス大統領やチョケワンカ外相がアイマラ族出身だということもあって、ボリビア側も提案に前向きな姿勢だ。
朝鮮日報が10月3日に報じたところによると、ソウル大学のラテンアメリカ研究所がボリビアの大学と「ハングル普及事業に関する了解覚書」を交わしたといい、ハングルの本格的な普及を進めたい考えだ。(続く)
http://www.j-cast.com/2011/10/04109061.html

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カナダの「水俣病」記録し上映 土本イズムを継承 熊本

2011-10-06 | 先住民族関連
朝日新聞 2011年10月4日0時50分

 水俣病の現実を世に伝える――。報道とともに優れた芸術作品がその役割を担ってきた。とりわけ大きな存在だったのは、石牟礼道子さんの「苦海浄土」、そして故・土本典昭監督の記録映画があげられるだろう。
 土本さんに私淑するカナダ在住の映像作家、大類義(おおるい・ただし)さん(57)が、記録映画「カナダ先住民と水俣病」を完成させ、9月中旬、熊本学園大学などで上映会を開いた。オンタリオ州の先住民居留地で1970年ごろ、工場排水による水銀汚染が発覚。後に水俣病に類する健康被害が確認された。大類さんは移住後の2000年ごろから取材を開始。水俣の教訓を携えた原田正純医師の調査の様子なども交え、被害の実態、背景に迫った。
 その一方で、先祖代々暮らしを営んできた土地が汚され、伝統的な食べ物や健康までもが脅かされた住民たちの怒り、戸惑いが静かなタッチで描かれている。今の日本の状況が重なり、とりわけ強く響いてくる。
 大類さんは尊敬する土本さんの作品について「知識の普及のために巡回上映されるなど、映画にとどまらない運動的な機能があった」と考える。大類さん自身、未完成映像をたびたび上映し、行政や周辺地区に問題の所在を伝えようとしてきた。来日した先住民の1人は「彼の作品は単なる記録ではない。我々に力を与えてくれた」と語った。
 水俣からカナダへ。土本さんから大類さんへ。確実に受け継がれているものがある。(西正之)
http://www.asahi.com/showbiz/movie/SEB201110030028.html

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マルセル:/270 第5章 想/33=高樹のぶ子 佐藤泰生・画

2011-10-06 | 先住民族関連
毎日新聞 2011年10月4日 東京朝刊

 「このパーコレーターはですね」
 ラコタはテーブルの上に手を伸ばす。
「……決して表の社会に出ることのない、技術者たちのプライドなのです。カスター将軍は白人社会にとっては正義でも、アメリカ先住民たちからは、野蛮な人種でしかありませんからね」
 千晶はその説得に、一瞬屈服しそうになった。なぜ絵画において、忠実な模倣は贋作(がんさく)として排斥されるのか。他の芸術世界には無いことだ。
 理由ははっきりしている。他の芸術ではコピーが高値で売買されることなどないが、絵画は本物と信じて貰(もら)えればお金になる。騙(だま)す騙される関係が生まれ、大金が動く。音楽や文学には無い現象だ。
「技術者のプライドですか」
 千晶はパーコレーターを持ち上げて、投げ捨てたくなった。それを押さえて、白ワインを口に運ぶ。強い香りに咽(む)せそうになる。咽せそうになる咽(のど)を舌で堪(こら)えていると、体の底から父が起き上がってきた。
 父もまた、山田花子が棲(す)む世界に嫌悪と憤りを覚えながら、しかしなぜ贋作を作り出すことが罪なのかを、自問したに違いない。人を騙して、あるいは国を欺いて、贋作をお金に換える人間はクズだし犯罪者だが、父を喜ばすためにルノワールの少女を描いてプレゼントした花子を、花子の技術を、父は嫌悪しただろうか。
 パーコレーターの前に屈(かが)み込んだ父の後ろ姿が蘇(よみが)る。父が向き合っていたものは、何だろう。
 不意にある想像がはたらいた。父はパーコレーターを、無理矢理(むりやり)花子から奪ったのかもしれない。もしそうなら、萩尾荘でではなく、パリで花子に再会し、贋作世界に溺れ囚(とら)われている花子を目覚めさせるために、結社の象徴を剥ぎ取った。
「……阿久根さんもラコタさんも、その裏社会の人なんですね?」
 ラコタは返事の代わりに、穏やかに笑みを浮かべると、千晶を見据えて言った。
「このパーコレーターを、千晶さんと一緒にある家に返しに行きたい。元はと言えば、これはその家の暖炉の上に置かれていたものです。ある日、突然持ち去られた。こうして取り戻すことが出来たので、千晶さんと一緒にその家に返しに行きたいのです」
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111004ddm013070027000c.html

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余録:北極のオゾンホール

2011-10-06 | 先住民族関連
毎日新聞 2011年10月4日 0時04分

 ワタリガラスは一名オオガラスとも呼ばれ、日本では北海道に渡ってくる大型のカラスである。ユーラシアと北米の広い地域に生息しているが、とりわけ北方の先住民の説話では人気者だ。この世界を創造した鳥として描く神話も多い▲北東シベリアに住むある先住民の神話では、2羽のワタリガラスのおかげでこの世に光がもたらされた。天を覆っていた厚い氷に鋭いくちばしで穴をあけ、天界の子が遊んでいたボールを奪って太陽や月にしてくれたのだ▲かといってワタリガラスが神様のように崇拝されているわけではない。神話に登場しておきて破りのいたずらを仕掛ける神や動物を「トリックスター」と呼ぶ。ワタリガラスは善悪や賢愚の両面をもつ典型的なトリックスターとされる(「世界神話事典」角川書店)▲さて今度天空にあけられた穴は紫外線によって地上の人間を脅かすから困りものだ。日本を含む9カ国の国際研究チームの観測によると、今春、北極圏上空では観測史上最大のオゾン層破壊が進行し、南極のものに匹敵する規模のオゾンホールが生じたというのだ▲南極と違う地勢や気象条件から大規模なオゾン層破壊は起こらないとされた北極である。だが今年は上空の成層圏の異常低温が続き、広範囲でオゾンの80%が失われたという。豪州などで問題化した紫外線の健康リスクだが、人口の多い北半球だけに心配は広がろう▲北極上空の異常を温室効果ガスの影響と見る声もある。いたずら者のワタリガラスも人間には疑われたくないとむくれよう。ここは全生命を代表して人間が今後の北極の監視に本腰を入れねばならない。
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20111004k0000m070124000c.html

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食人の痕跡を示す骨、メキシコで発見

2011-10-06 | 先住民族関連
National Geographic News October 3, 2011

Sabrina Valle
 現在のメキシコ北部に孤立して暮らしていた先住民が、トウモロコシの豊作を願って同族の人間の肉を食べていたという説は、以前から知られていた。
 そしてこのほど、シシメ(Xixime)と呼ばれる先住民が、実際に食人の習慣を有していたことが裏付けられたという。40本ほどの人骨を分析した結果、ゆでて肉をはがされた痕跡が見つかったのだ。
 イエズス会宣教師が残した歴史的記録によると、シシメの人々は、敵の肉体と魂を取り込み、きれいにした骨を儀式に用いることで、穀物の豊作が約束されると信じていたという。
 今回見つかった人骨は、食人が「彼らの世界観、アイデンティティにとって極めて重要な要素」だったことを示すものだとホセ・ルイス・プンソ(Jose Luis Punzo)氏は話す。プンソ氏は今回の研究を主導した考古学者で、メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)のドゥランゴ支所に所属している。
◆食べるのは同族だけ
 現在ドゥランゴ州の一部となっている山地には、かつては5000人ほどのシシメ人を含む先住民グループが居住していた。
 食人の習慣を有していたと言われるのはシシメ人と、彼らに近いアカセー(Acaxee)人だけだが、プンソ氏によると、アカセー人に関しては、これを裏付ける考古学的証拠は見つかっていないという。
「儀式、食人、および骨の収集という習慣において、彼らは『同族』と『よそ者』を明確に区別していた」とプンソ氏は言う。「同族」とはアカセー人とシシメ人のことで、「よそ者」はそれ以外の人間だ。
 プンソ氏によると、シシメ人とアカセー人は他のグループの人々と戦って相手を殺していたという。ただし、食べるのは同族の人間だけで、特に男性が対象になったという。歴史研究によると、他の先住民族の人間やスペインからの入植者は、儀式に用いる価値がなかったとみられる。
◆ゆでた骨を洞窟に貯蔵
 食人の習慣を伝える宣教師の記録を、誇張だと否定した歴史学者もいる。しかし今回、マゲイ洞窟(Cueva del Maguey)で骨が見つかったことで、懐疑論は一掃されるはずだとプンソ氏は述べている。マゲイ洞窟は崖の側面にある巨大な洞窟で、この中に先住民の村落が築かれていた。
 プンソ氏によると、1425年頃の住居から見つかった40本あまりの骨を調べた結果、ゆでられ、石の刃物で切られた痕跡が80%の骨に見つかったという。
 研究者にとってありがたいことに、これらの骨は数世紀の間、比較的そのままの状態で保たれていた。これは、マゲイ洞窟が松の森の奥深く、海抜2600メートルの孤立した場所にあったおかげだ。
◆生命のサイクル
 INAHの研究報告によると、シシメ人にとって、作物の種まきと成長のサイクルは、食人および骨の儀式のサイクルと結びついていたという。
 トウモロコシの収穫が終わるごとに、シシメ人の戦士たちは敵を狩り、彼らの肉を得るために出かけていった。
 たいていの場合、シシメ人の「獲物」になったのは、単独で野良仕事をしている他の村落の男性だった。また記録によると、森の中で小さなグループ同士が交戦することもあったという。
 シシメの戦士たちは犠牲者の遺体を村に持ち帰り、骨を折らないように遺体を関節のところでバラバラにした。遺体を丸ごと運ぶのが難しい場合は、頭部と手だけを持ち帰ったとINAHの研究報告には記されている。
 遺体は骨が肉から離れるまで鍋で煮込まれた。肉のほうは豆とトウモロコシと一緒に調理され、一種のスープとして食された。宣教師の記録によると、これは村の儀式の一環であり、儀式は歌や踊りとともに一晩中行われたという。
 儀式の後、骨は何カ月もの間、宝物庫にしまっておかれた。そして毎年の種まきの時期が近づくと、シシメ人たちは骨を屋根や木の上から吊るした。霊たちに作物の成長を助けるよう呼びかけるためだ。
「これらの習慣により、彼らはイエズス会の宣教師たちから、新世界で最も未開で野蛮な人々と称された」とプンソ氏は述べている。
 今回の研究報告は、メキシコ、パキメで今夏開催された第14回北部国境考古学会議にて発表された。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111003003&expand&source=gnews

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アイヌ舞踊で歓迎 台湾チャーター便2年ぶり就航

2011-10-06 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞社ニュース 2011年10月02日 14時53分

 台湾・復興航空(台北)のチャーター便が2日午前11時すぎ、とかち帯広空港に到着した。台湾からのチャーター便は2年ぶりで、同空港への国際チャーター便乗り入れは今年度初めて。復興航空は12月にかけて計12往復(各月4往復)23便を運航する計画。同空港ロビーには一行を迎える横断幕が設置され、帯広カムイトウウポポ保存会のメンバーがアイヌ古式舞踊を披露、一行を歓迎した。
 帯広空港への国際線のチャーター便は2008年秋のリーマンショック以降激減。今年度は東日本大震災と福島第1原発事故の影響による外国人観光客の減少もあり、ゼロとなっていた。
 地元では「とかちアジア観光誘致推進協議会」(会長・米沢則寿帯広市長)が7月に台湾への観光プロモーションを行うなど、要請活動に力を入れていた。今回は定員180人のエアバスA321を使用。北海道国際航空(エア・ドゥ)がチェックインや手荷物の積み下ろしなどの地上業務(ハンドリング)を同社として初めて担当する。
 午前11時12分に70人以上を乗せた航空機が帯広空港に到着。空港ロビーでは同協議会のメンバーが出迎え、六花亭のホワイトチョコレートを手渡した。呉佳蓉=ゴ・チャンロン=さん(26)は「北海道は初めて。おいしい料理や温泉、買い物を楽しみたい」、市空港事務所の福島政幸所長は「誘致活動の成果がすぐに表れて良かった。ANA系列とJAL系列の両チャーター便を受け入れられる環境を生かし、今後も誘致活動や情報交換に努めたい」と話していた。
 一行はバス4台に分乗し、トマムや層雲峡、十勝川温泉方面などへ向かった。道内に3、4泊し、函館から帰る予定。
http://www.tokachi.co.jp/news/201110/20111002-0010534.php

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きょうの潮流

2011-10-06 | アイヌ民族関連
「しんぶん赤旗 2011年10月2日(日)」

 ことしは、朝鮮の美術・工芸とゆかりの深い2人の人物の記念年です。1人は浅川巧。生誕120年にあたります▼彼と兄の伯教(のりたか)は、日本の植民地とされた朝鮮に渡りました。現地の人と暮らしに溶け込み、朝鮮王朝の時代の陶磁器や木工品の、世界に誇るべき美を紹介しました。もう1人は柳宗悦(むねよし)。亡くなって50年がたちます▼柳は、浅川伯教からお土産にもらった朝鮮の壺(つぼ)に心を奪われ、朝鮮にのめりこんでゆきました。先ごろ、浅川兄弟と柳、それぞれの仕事を振り返る展覧会がほぼ同時に開かれたのも、偶然とは思えません▼東京で先週まで開かれた「柳宗悦展」に、朝鮮の美と出合った壺もありました。秋草もようをあしらう8角形の白い壺。小さいけれど存在感は十分、そこはかとない気品がただよいます。直筆の原稿も並んでいました。「光化門よ、長命なるべきお前の運命が短命に終わろうしている…」▼朝鮮王宮の正門の光化門は、植民地時代、民族の心のよりどころでした。それを壊そうとした日本に抗議する「光化門よ」の訴えは、広く共感をよび、門を守りました。柳は、朝鮮の工芸品から、名もなき職人の手仕事の美にめざめ、やがて民芸運動をおこします。「素朴な器にこそ驚くべき美が宿る」と▼日本各地の民芸を掘り起こし、沖縄やアイヌの道具・装飾品のかけがえのない美をたたえました。展覧会に掲げられた彼の思想は、人や社会のあり方も問うているようでした。“美はつくられるのではなく、生まれるのだ”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-02/2011100201_06_0.html

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