毎日新聞 2011年10月6日 東京朝刊
◆李喬(リーチアオ)
◇歴史の転変を壮大な物語に
16世紀ポルトガル人船員が「イラ・フォルモサ(麗しき島)」と感嘆したと伝えられるほど緑豊かな自然に恵まれた台湾。古代から住んでいたのはマレー・ポリネシア系民族で、中華文明圏の周縁に位置していた。16世紀以降ヨーロッパ人が植民地支配を企てたが敗退し、やがて鄭成功の亡命政権を含めて大陸から漢民族の移住が本格化する。日清戦争の結果として1895年に日本の植民地となり、半世紀の植民地統治を経て、第二次世界大戦終結後に中華民国への復帰を果たす。1949年以降は大陸で共産党との内戦に敗れた蒋介石国民党政権が戒厳令を施行して統治した。87年に戒厳令が解除され、民主化が急速に進んで今日に至っている。
こうした歴史的経緯を眺めると、台湾社会の特徴が移住と交錯にあることに気がつく。今回取り上げる李喬は、そうした歴史の転変を、神話にも似た壮大な物語として描く作家である。李喬は郷土派として位置付けられながら実験的な作品も創作するが、代表作『寒夜』(2005年、国書刊行会)は、まだ戒厳令下にあった1980年から81年にかけて出版された長編3部作で、第1部が1890年代の客家(ハッカ)人(独自の文化を保持する漢民族の一集団)一家の入植の苦闘と日本による占領への抵抗を、第2部が日本統治期1920年代後半の農民運動と抗日活動を、第3部が太平洋戦争末期に日本軍兵士として南洋へ送られた台湾人青年の帰還への夢と死を描く。客家という漢民族の中のマイノリティの目を通した、台湾近代史の俯瞰図(ふかんず)のような大河小説であり、標準中国語の中に〓南(びんなん)語・客家語・先住民言語・日本語が入り交じった文体を見ても、台湾の歴史が凝縮したような作品である。これを原作とした客家語の連続テレビドラマが2002年から04年にかけて台湾公共テレビで放映されて評判となった。
愛する人々と故郷を守るため、強大な敵帝国日本に抵抗を続ける強靱(きょうじん)で生命力溢(あふ)れる台湾民衆の姿を、李喬は生まれ故郷への帰還を夢見る鱒(ます)のイメージに重ねながら、「故郷とはどこか彼方(かなた)にあるものではない。心に焼き付けられた真実の存在なのだ」と郷土台湾への熱い思いを表明する。この母性崇拝にも似た台湾の大地への深い愛情は、スタインベックの『怒りの葡萄(ぶどう)』にも似て、『寒夜』3部作で最初から最後まで登場する唯一の人物が一家の母親であることにも表れているように思える。=毎週木曜日に掲載
<作家本人から>
◇私のプロメテウス
私は1934年日本統治下の台湾山間部で生まれました。8歳から12歳まで4年間日本語教育を受けました。28歳になってやっと小説を書くことに全力を注ぐようになりました。
もちろん創作と読書は同時進行でしたが、困ったことに、中国語作品では満足できず、どうしても外国の作品を求めざるを得ませんでした。そしてウィリアム・フォークナーに魅了されたのです。『響きと怒り』や『サンクチュアリ』などが私の心の中の文学世界を揺さぶりました。
私は抗日左派の家庭に生まれ、日本語を頼りに、幅広く文化・権力・アイデンティティ・エコロジー・ジェンダーなどの理論を渉猟し、その結果日中両国の諸相を比較できるようになりました。私自身もまた「脱植民地化」したのです。日本語は私にとって精神上のプロメテウス(人類に火を与えた神)です。
==============
■人物略歴
◇やまぐち・まもる
1953年長野県生まれ。日本大文理学部教授。中国現代文学、台湾文学専攻。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111006ddm014070003000c.html
◆李喬(リーチアオ)
◇歴史の転変を壮大な物語に
16世紀ポルトガル人船員が「イラ・フォルモサ(麗しき島)」と感嘆したと伝えられるほど緑豊かな自然に恵まれた台湾。古代から住んでいたのはマレー・ポリネシア系民族で、中華文明圏の周縁に位置していた。16世紀以降ヨーロッパ人が植民地支配を企てたが敗退し、やがて鄭成功の亡命政権を含めて大陸から漢民族の移住が本格化する。日清戦争の結果として1895年に日本の植民地となり、半世紀の植民地統治を経て、第二次世界大戦終結後に中華民国への復帰を果たす。1949年以降は大陸で共産党との内戦に敗れた蒋介石国民党政権が戒厳令を施行して統治した。87年に戒厳令が解除され、民主化が急速に進んで今日に至っている。
こうした歴史的経緯を眺めると、台湾社会の特徴が移住と交錯にあることに気がつく。今回取り上げる李喬は、そうした歴史の転変を、神話にも似た壮大な物語として描く作家である。李喬は郷土派として位置付けられながら実験的な作品も創作するが、代表作『寒夜』(2005年、国書刊行会)は、まだ戒厳令下にあった1980年から81年にかけて出版された長編3部作で、第1部が1890年代の客家(ハッカ)人(独自の文化を保持する漢民族の一集団)一家の入植の苦闘と日本による占領への抵抗を、第2部が日本統治期1920年代後半の農民運動と抗日活動を、第3部が太平洋戦争末期に日本軍兵士として南洋へ送られた台湾人青年の帰還への夢と死を描く。客家という漢民族の中のマイノリティの目を通した、台湾近代史の俯瞰図(ふかんず)のような大河小説であり、標準中国語の中に〓南(びんなん)語・客家語・先住民言語・日本語が入り交じった文体を見ても、台湾の歴史が凝縮したような作品である。これを原作とした客家語の連続テレビドラマが2002年から04年にかけて台湾公共テレビで放映されて評判となった。
愛する人々と故郷を守るため、強大な敵帝国日本に抵抗を続ける強靱(きょうじん)で生命力溢(あふ)れる台湾民衆の姿を、李喬は生まれ故郷への帰還を夢見る鱒(ます)のイメージに重ねながら、「故郷とはどこか彼方(かなた)にあるものではない。心に焼き付けられた真実の存在なのだ」と郷土台湾への熱い思いを表明する。この母性崇拝にも似た台湾の大地への深い愛情は、スタインベックの『怒りの葡萄(ぶどう)』にも似て、『寒夜』3部作で最初から最後まで登場する唯一の人物が一家の母親であることにも表れているように思える。=毎週木曜日に掲載
<作家本人から>
◇私のプロメテウス
私は1934年日本統治下の台湾山間部で生まれました。8歳から12歳まで4年間日本語教育を受けました。28歳になってやっと小説を書くことに全力を注ぐようになりました。
もちろん創作と読書は同時進行でしたが、困ったことに、中国語作品では満足できず、どうしても外国の作品を求めざるを得ませんでした。そしてウィリアム・フォークナーに魅了されたのです。『響きと怒り』や『サンクチュアリ』などが私の心の中の文学世界を揺さぶりました。
私は抗日左派の家庭に生まれ、日本語を頼りに、幅広く文化・権力・アイデンティティ・エコロジー・ジェンダーなどの理論を渉猟し、その結果日中両国の諸相を比較できるようになりました。私自身もまた「脱植民地化」したのです。日本語は私にとって精神上のプロメテウス(人類に火を与えた神)です。
==============
■人物略歴
◇やまぐち・まもる
1953年長野県生まれ。日本大文理学部教授。中国現代文学、台湾文学専攻。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111006ddm014070003000c.html