先住民族関連ニュース

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フィリピンのニッケル鉱山を襲撃した武装勢力の言い分

2011-10-20 | 先住民族関連
nikkei BPnet 2011年10月20日

 10月はじめ、日本の資源関連企業の関係者を震撼させる事件がフィリピンで発生した。ミンダナオ島北東部にあるタガニート地区で、ニッケル鉱山を開発する日本企業の関連会社を武装勢力が襲撃し、操業設備に損害を与えたのである。隣接する場所には、産出されるニッケル鉱石を購入して精錬を行う別の大手日本企業の大規模なプラントが建設中であった。
「環境破壊」が襲撃の大義名分に
 この事件では、フィリピンの反政府勢力が襲撃を正当化する声明を出しているが、その内容は、大規模な天然資源の略奪と環境破壊に対して制裁を加えると、大手日本企業の名前を名指しして非難を加えるものになっている。また、鉱山の安価な賃金水準や搾取的な労働条件の存在も指摘している。これまで、反政府勢力は、鉱山の操業停止を求める書簡を地元政府や日本企業に何度も提出したものの無視された結果、今回の襲撃に至ったと説明している。
 注目すべきは、襲撃行為に大義名分を与えるためとはいえ、環境破壊、労働問題、先住民の人権問題といった、いわゆる「企業の社会的責任」の脈絡で議論されているテーマが、こうした事件の理由にされたということであろう。
 近年、とりわけ鉱山会社、石油会社などの資源関連企業の行動に対する懸念の声が高まっている。グローバルに事業を展開する資源メジャーと呼ばれるような企業には、とりわけ逆風が吹いているといえるだろう。
 資源価格の高騰で、鉱区の拡大があちこちで進んでいる。資源探査の活動が活発化するばかりでなく、これまで手がついていなかった埋蔵地域の開発やシェールガスのような新たな技術の採用も進んでいる。要するに、事業が社会や環境に与えるインパクトが、急激に大きくなっているのである。
 もちろん、企業側も静観しているわけではない。例えば、世界の大手金属・鉱業企業のトップで構成される国際金属・鉱業評議会(ICMM: International Council on Mining and Metals)は、業界団体として2003年に、10項目の基本原則を発出して、外部報告、第三者保証の要素を含むICMMの「持続可能な開発への枠組み」の実行をコミットしている。2009年10月には、「金属・鉱業界における人権/地域レベルの懸念と苦情に関する対応および解決」というレポートを発表し、「地域レベルの懸念および苦情に関する対応プロセスの策定」という人権分野の重要な課題について、ベスト・プラクティスのアプローチを提示した。そのうえで、このレポートは「パイロット版」として公開されている。ICMMの会員企業がレポートに示されたアプローチを現場で実践したうえで、今年2011年にパイロット版を改訂する予定となっている。
CSRの実践がリスクマネジメントに直結
 ただ、グローバルな資源輸出入に反対する声が大きくなっていることに、注意を払いたい。前述のフィリピン反政府勢力も、すべての大手海外鉱山企業、木材企業がフィリピンの所有する天然資源を略奪することを禁止するという政策綱領を掲げているし、先進国のなかでも、例えばオーストラリアでは地球温暖化を助長させる石炭輸出に反対する市民団体が活動を過激化させている。皮肉にも、石炭火力発電に当面、頼らざるを得ない日本の状況が、オーストラリアの湿地帯を潰してストックヤードを新たに拡張しなければならない事態を、現に作り出したりしている。
 資源小国である日本にとって、海外の石炭、石油、天然ガス、ウランといった資源の採掘・採取が止まったり、輸出が制限されたりすれば、エネルギー供給はすぐに危機的状況に陥る。海外の金属資源が手に入らなくなれば、工業製品の多くが生産できなくなる。その一方で、世界の資源争奪競争はますます激化し、途上国を中心に地域紛争の増加傾向も止まらない。
 「企業の社会的責任」が、企業のリスクマネジメントに直結する時代を迎えていることは間違いなく、さらに国の外交や安全保障政策とコインの裏表として議論される必要性も高まってきているように思えてならない。
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20111018/108861/

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能力主義の導入、改めてナジブ首相が訴え

2011-10-20 | 先住民族関連
マレーシアナビ2011/10/19 09:57 JST配信

【クアラルンプール】 ブミプトラ(マレー人と先住民族の総称)に対する優遇策をめぐるナジブ・ラザク首相の最近の発言が波紋を投げかけているが、首相は週末に行われたジュニアカレッジの同窓会で「優れたマレー人を探し出すため、能力主義の実施が必要」と、マレー人の政府依存を改めて戒めた。
発言をブログ上に掲載したのは、与党・統一マレー国民組織(UMNO)寄りのブロガーで、同窓会長のムクリズ・マハティール副通産相も発言内容を確認した。
ブログによると、ナジブ首相は「マレー人実業家が資産を処分するのをこれ以上、見たくない」などと語った。
ナジブ首相は先月末、ブミプトラに株式の30%を供与する優遇措置の撤廃に言及したが、数日後、「撤廃したいとは言っていない。過剰依存はできないとの意味で言った」と発言を後退させていた。これを受けて野党側は、国民を混乱させる発言だとして批判を強めていた。
http://www.malaysia-navi.jp/news/111018055802.html

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「モダン・アート、アメリカン」展 「アメリカらしさ」の多様性

2011-10-20 | 先住民族関連
日本経済新聞 2011/10/19 7:00

 アメリカらしい、といわれる画家がいる。
 たとえば1930年代の「リージョナリズム(地域主義)」。不況下の米国で、西部の雄大な自然や小さな田舎町の田園風景、つつましやかに生きる労働者などをテーマとする画家たちが現れた。多くの米国民がアメリカの原点だと感じ、郷愁を寄せる情景。リージョナリズムは米国人の誇りを体現したと評価され、苦境にあえぐ人々の支持を得た。
 あるいは、スーパースター、アンディ・ウォーホルを筆頭とするポップ・アーティスト。マリリン・モンローらセレブの肖像やコミックの一コマなどを大量の版画や絵画で流通させた。豊かな消費社会とメディア文化の申し子は、まさにアメリカ的と呼ぶほかない。
 では、その「アメリカらしさ」とはいったい何なのか。米国のフィリップス・コレクションの所蔵品110点を紹介する「モダン・アート、アメリカン」展を見ながら、そんなことを考えた。同展がカバーするのは19世紀半ばから60年代まで。アメリカならではのリアリズムの模索が始まり、ヨーロッパのモダン・アートを吸収しながら、初めての「米国発の絵画」とされる抽象表現主義の誕生に至るアメリカン・アートの歩みをたどる。ポップ・アートは含まれないが、エドワード・ホッパー、ジョージア・オキーフら代表的な作家のほか、米国風の印象派やキュービスムを志した画家、マイノリティーの目を持つ移民やアフリカ系、素朴派の画家もいる。「アメリカらしさ」の多様さが浮かび上がるユニークな展示だ。
 幕開けはエドワード・ヒックスの「平和な王国」(1845~46年)。幻想的な森の中で、トラなどの獣たちと少女や子供が戯れている。夢見ごこちなタッチはアンリ・ルソーのようでもあるが、ここに描かれているのは熱帯の異国の風景ではないことに注意。後方の水辺には帆船。紙を掲げて先住民族になにやら説明している男たちの姿もある。アメリカの歴史は未知の新大陸への入植とともに始まったことを、この絵は告げる。
 アメリカ開拓のシンボルである西部は画家たちの格好の題材である。オキーフのモチーフはその典型といえる。一時期はニューヨークで前衛的な芸術集団とも交流したが、やがてオキーフはニューメキシコ近郊の風景と自然に心ひかれていった。乾いた風が砂を巻き上げ、低木を揺らしながら吹き抜ける荒涼とした大地。白骨化した動物の骨や大きくクローズアップされた植物。もともと中西部の農家に生まれ、晩年はたった1人で砂漠地帯に暮らした画家が描いたのは、アメリカのフロンティア精神のようなものであった気がする。その絵の前に立つと、広大な土地に身ひとつで分け入る開拓の厳しさが、画家自身の孤高の生き方とないまぜになって、心に迫ってくるのである。
 アメリカ社会をリアリズムで描いた「アメリカン・シーン」派の代表格としてしばしば名前が挙がるホッパーは、実はリージョナリズムの偏狭な愛国心を嫌っていた。自分が描いているのは米国の風景でも、庶民の日常でもない、「自分自身の内面なのだ」と言ってはばからなかった。以前、そのホッパーの絵の「アメリカらしさ」を米文学者の青山南氏に尋ねたことがある。青山氏は意外なところに着目していた。ホッパーが描く人けのない窓辺には、外の様子をうかがう人間の気配がある、というのだ。よそ者に対する過敏なまでの警戒心、あるいは都会に暮らす孤独の表現なのか。いずれにしてもホッパーの絵にはフレンドリーさとは異なる、アメリカの寂しさが映っている。
 新聞の報道画家出身で社会派のまなざしを貫いたジョン・スローン、黒人文化の語り部としてハーレムで活躍したジェイコブ・ローレンス、気高さをたたえた抽象画のマーク・ロスコやクリフォード・スティル――。全体的に内省的で知的な印象を受けるのは、不況や戦争などといった時代の雰囲気のせいばかりではないだろう。アメリカの画家たちが表面的な題材の描写にとどまらず、人間と社会を深く見つめたためである。この後、経済の繁栄に後押しされたポップ・アートの誕生とともに、「アメリカらしさ」は劇的に変化していく。(文化部 窪田直子)
12月12日まで、東京・六本木の国立新美術館。
http://www.nikkei.com/life/review/article/g=96958A90889DE1E7E4E3E6EAE7E2E3E7E3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2EBE0E2E3E3E6E1E4E0

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【白老】ポンアヨロ台地で先祖供養祭「シヌラッパ」

2011-10-20 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 10/19)

 絶景の太平洋を望む白老町虎杖浜・ポンアヨロ台地で18日、道アイヌ協会白老支部(野本勝信支部長)主催の先祖供養祭「シヌラッパ」が行われた。地元の竹浦、虎杖両小学校の児童も招待され、儀式や踊りの体験を通じ先人の文化に興味を深めた。
 周辺はオソロコッ(神様が尻もちを付いた跡)、ヤウンクットマリ(地元の人の船着き場)などアイヌ語地名の多さは町内随一で、アイヌ神話の舞台になったり、巨大なアイヌ集落があったとの言い伝えも。神聖な場所で先祖に尊敬の念を示そうと、同所での供養祭は毎年行われている。
 儀式は民族衣装をまとった支部会員らがいろりを囲み、火の神に祈りをささげた後、神の世界と人間を取り持つイナウ(木幣)が並ぶ祭壇に日本酒や菓子を供え、先祖への思いを念じた。
 その様子を見学した竹浦小の3~6年生54人、虎杖小の4年生10人は、続いて行われたハルランナ(餅まき)、登別古式舞踊保存会によるイヨマンテリムセ(熊の霊送りの舞)に参加。寒風吹きすさぶ中、元気な歓声を響かせ、アイヌ文化への関心を深めている様子だった。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11101901.html

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【白老】民族共生のメッセージ発信 アイヌ文化フェスティバル開催

2011-10-20 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 10/17)

 アイヌ文化フェスティバル2011inしらおい(同実行委員会、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構主催)が16日、白老町中央公民館で開催された。踊り、工芸、口承文芸などアイヌ文化の継承に取り組む各団体が一堂に集い、成果を発表。約750人の観衆を前に、民族共生のメッセージを発信した。
 同フェスは今年で6回目の開催。イベントの成功と来場者の健康を祈る儀式「カムイノミ」で幕開けし、イナウ(木幣)をいろりの火に掛ける所作などが会場の大型スクリーンに映し出された。実行委員長の加藤忠・道アイヌ協会理事長、来賓代表の飴谷長蔵白老町長のあいさつに続き、ユネスコ無形文化遺産「アイヌ古式舞踊」を中心としたステージが繰り広げられた。
 白老民族芸能保存会は、白老にも伝わるクジラの舞「フンペリムセ」を披露。海岸に横たわるクジラや、それをついばもうとするカラスの姿をユーモラスに表現、会場の笑いを誘った。札幌こどもミュージカルは、ユーカラ(口承文芸)を音楽劇仕立てで発表。子供たち約60人の澄んだ歌声とかわいらしい演技に、「アンコール」の声も飛んだ。チーム・ニカオプ、アイヌ民族博物館による古式舞踊に続き、最後は元気良く跳びはねる「ヤイサマネナ」を全出演者で踊り、盛大にフィナーレを飾った。
 ロビーでは町内四つのアイヌ工芸サークルによるアイヌ刺しゅうなどの展示・実演、仙台藩白老元陣屋資料館主催のアイヌ文芸家・森竹竹市と知里幸恵の資料展などが開かれた。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11101702.html

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