朝日新聞 2011年10月12日0時50分
カナダ・オンタリオ州で水銀汚染に苦しむ先住民たち。その現状を8年がかりで記録映画にまとめた日本人がいる。カナダ在住の映像作家、大類義(ただし)さん(57)。先月、先住民とともに一時帰国し、東京と熊本で作品を公開した。20代から水俣病に関心を持ち、異国の地で同様の被害を追いかけながら、国境を超えて共通する環境汚染の問題を考え続けている。
2009年に発表した「カナダ先住民と水俣病」。約40年前に発覚した水銀汚染にさらされ、多国籍企業による森林伐採という新たな問題にも立ち向かう先住民の姿を丹念に記録した。カナダの主要80都市以上で上映されたという。
原点は約30年前に見た故・土本典昭監督の水俣病映画。「記録なければ事実なし」を持論に患者を撮り、上映を通じて支援につなげていく姿に憧れた。撮影に同行し、関連の資料を読みあさった。だが、記録映画で妻子は養えない。やむなく大学で映像を教えていた1997年、カナダ人妻が母国の大学教員に。専業主夫をしながら撮影の道に進もうと移住すると、かつて本で読んだ先住民の存在に気づいた。「国の違いが水銀事件にどう影響するかを探りたい」。小学生だった娘を助手席に乗せ、片道4時間かけて通い始めた。
しかし、撮影を始めた2001年当時、水銀問題は「終わったこと」になっていた。行政と原因企業による一応の救済制度があり、先住民の関心も生活の糧である森林の伐採反対運動に移っていた。それでもカメラを回し続けると、「(運動は)水俣のおかげ」との声が。70年代の相互訪問などで交流した、水俣病患者の訴訟や交渉の歴史から闘いの姿勢を学んでいた。
「水俣の経験をもっと伝えたい」。70年代に現地調査した水俣病の第一人者、原田正純医師らの再調査の案内役となり、未救済の水銀被害者の掘り起こしにつなげた。先住民と水俣関係者との40年近い交流に、過去を学びあいながら前に進む「希望」を感じるという。
自らの活動を「先住民支援より、水銀事件に興味があっただけ」と冷静に語る大類さん。だが、冬は零下30度という極寒の地で撮影を進め、途中で発症したパーキンソン病で体が不自由になりながらも編集に没頭した。映画には、水俣病の症状や森林利用をめぐる先住民と政府の条約などを解説する図やナレーションもふんだんに盛り込み、「若い先住民やカナダ人が事実を知る機会に」との願いも込めた。
9月中旬の東京での上映会は、立ち見も出る関心の高さだった。観客の一人で東京在住の映画監督、日向寺太郎さん(45)は「(汚染された)土地を離れては生きられない先住民の姿の痛切さが、原発事故を受けた福島と重なった」。
カナダ政府は水銀被害を水俣病と認めず、全容はつかめない。日本の水俣病に似た過ちが繰り返されている。水俣、カナダ、そして福島。大類さんは環境汚染に共通する構図をこう感じている。「被害者は学ぶが、加害者は学ばない」 (外尾誠)
http://www.asahi.com/showbiz/movie/SEB201110110026.html
カナダ・オンタリオ州で水銀汚染に苦しむ先住民たち。その現状を8年がかりで記録映画にまとめた日本人がいる。カナダ在住の映像作家、大類義(ただし)さん(57)。先月、先住民とともに一時帰国し、東京と熊本で作品を公開した。20代から水俣病に関心を持ち、異国の地で同様の被害を追いかけながら、国境を超えて共通する環境汚染の問題を考え続けている。
2009年に発表した「カナダ先住民と水俣病」。約40年前に発覚した水銀汚染にさらされ、多国籍企業による森林伐採という新たな問題にも立ち向かう先住民の姿を丹念に記録した。カナダの主要80都市以上で上映されたという。
原点は約30年前に見た故・土本典昭監督の水俣病映画。「記録なければ事実なし」を持論に患者を撮り、上映を通じて支援につなげていく姿に憧れた。撮影に同行し、関連の資料を読みあさった。だが、記録映画で妻子は養えない。やむなく大学で映像を教えていた1997年、カナダ人妻が母国の大学教員に。専業主夫をしながら撮影の道に進もうと移住すると、かつて本で読んだ先住民の存在に気づいた。「国の違いが水銀事件にどう影響するかを探りたい」。小学生だった娘を助手席に乗せ、片道4時間かけて通い始めた。
しかし、撮影を始めた2001年当時、水銀問題は「終わったこと」になっていた。行政と原因企業による一応の救済制度があり、先住民の関心も生活の糧である森林の伐採反対運動に移っていた。それでもカメラを回し続けると、「(運動は)水俣のおかげ」との声が。70年代の相互訪問などで交流した、水俣病患者の訴訟や交渉の歴史から闘いの姿勢を学んでいた。
「水俣の経験をもっと伝えたい」。70年代に現地調査した水俣病の第一人者、原田正純医師らの再調査の案内役となり、未救済の水銀被害者の掘り起こしにつなげた。先住民と水俣関係者との40年近い交流に、過去を学びあいながら前に進む「希望」を感じるという。
自らの活動を「先住民支援より、水銀事件に興味があっただけ」と冷静に語る大類さん。だが、冬は零下30度という極寒の地で撮影を進め、途中で発症したパーキンソン病で体が不自由になりながらも編集に没頭した。映画には、水俣病の症状や森林利用をめぐる先住民と政府の条約などを解説する図やナレーションもふんだんに盛り込み、「若い先住民やカナダ人が事実を知る機会に」との願いも込めた。
9月中旬の東京での上映会は、立ち見も出る関心の高さだった。観客の一人で東京在住の映画監督、日向寺太郎さん(45)は「(汚染された)土地を離れては生きられない先住民の姿の痛切さが、原発事故を受けた福島と重なった」。
カナダ政府は水銀被害を水俣病と認めず、全容はつかめない。日本の水俣病に似た過ちが繰り返されている。水俣、カナダ、そして福島。大類さんは環境汚染に共通する構図をこう感じている。「被害者は学ぶが、加害者は学ばない」 (外尾誠)
http://www.asahi.com/showbiz/movie/SEB201110110026.html