先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

間宮林蔵の足跡訪ねて サハリン最果ての村ルプロワ(動画)

2014-11-13 | 先住民族関連
北海道新聞 (2014/11/13)
 205年前の1809年、カラフト(サハリン)を探検した間宮林蔵(1780―1844年)がたどり着き、「間宮海峡」の存在を証明したサハリン最北近くのルプロワ(当時ナニオー)村。いまもサハリンの先住民族ニブヒが暮らす村は、林蔵が訪ねた当時のたたずまいを感じさせた。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=special&v=851497866002

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新宿伊勢丹クリスマスライブに15組30名様ご招待

2014-11-13 | 先住民族関連
Fashion Headline- 2014/11/12(水) 22:30
ピーター・バラカン
伊勢丹新宿店では、ヨーロッパの先住民族「サーミ」の生活や文化にフォーカスしたクリスマスキャンペーン「Life is a Gift」が開催されている。このキャンペーンの一環として、12月12日、伊勢丹新宿店メンズ館8階=カフェ リジーグにてスペシャルライブが行われる。
ライブ演奏を行うのは、ヨーロッパで最も古い音楽の一つとも言われる伴奏のない即興歌「ヨイク」の歌い手でノルウェー出身の女性ボーカリスト、サラ・マリエル・ガウブ(Sara Mariellr Gaup)と、ノルウェー出身のジャズベーシスト、スタイナー・ラクネス(Steinar Raknes)によるデュオ「アルヴァス(Arvvas)」。デュオを組んだサラとスタイナーから生み出されるヨイクとジャズを融合させた幅広い音楽の世界を楽しむことができる。
ファッションヘッドラインでは、この音楽イベントにメルマガ会員様の中から抽選で15組30名様をご招待します。応募締切は11月26日正午。当選者には11月27日にメールにてご連絡致します。また、ご招待状ハガキを郵送にてお送り致します(12月5日頃到着予定)。
メルマガ会員の新規ご登録はこちらからhttps://ssl.fashion-headline.com/mailmagazine/
応募の詳細は、平日7:30に配信中のメルマガでお知らせ致します。
【イベント情報】
伊勢丹新宿店 クリスマスライブ Arvvas
会場:伊勢丹新宿店メンズ館8階=カフェ リジーグ
会期:12月12日
時間:開場18:30 開演19:00

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日本統治時代に建立の開拓記念碑、古跡指定で修復へ/台湾・花蓮

2014-11-13 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾 2014/11/12 18:48
(花蓮 12日 中央社)花蓮県によって2012年に県指定の古跡として登録された「呉全城開拓記念碑」(花蓮県寿豊郷)をめぐり、修復などを含めた周辺整備に関する説明会が11日、現地で行われた。県は地域と連携し新たな観光スポットにしたい考えで、参加した地元の住民からは歓迎の声が上がっている。
この碑は、日本統治時代の1940(昭和15)年に当時の塩水港製糖が建立。呉全城と呼ばれるこの地域の歴史が記されている。花蓮の歴史に詳しい張政勝さんによると、1825年に台湾北部・淡水の豪商、呉全などが漢民族約200人と同地の開拓を始めたという。
開拓民らは先住民の襲撃や伝染病などに苦しめられ、集落の周囲には石垣を建設するなどしたが、呉は志半ばで病死し、生き残った人も多くが逃げ帰ったと伝えられている。
一方、日本統治時代には台湾への移民事業を手がけた山口県出身の実業家、賀田金三郎が「賀田移民村」を建設し、住民らはサトウキビ栽培に従事するなどして栄えたという。
記念碑がある場所は台湾製糖の所有地で、整備をめぐり裁判ともなったが、県文化局文化資産科の陳建村科長は、敷地全体を保存して多くの人が見学できるようになればと話している。
(李先鳳/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201411120007.aspx

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極地探検史上最悪の悲劇。フランクリン隊全滅の謎?(8)

2014-11-13 | 先住民族関連
リアルライブ-2014年11月12日 15時30分 [ミステリー] 2014年11月バックナンバー
 いまから169年前の1845年、北極探検の英雄であるフランクリン卿をはじめとする129名の探検隊が、当時最新の保存食であった缶詰をはじめとする様々な近代装備を携え、極地探検用に改装された軍艦に乗って、大西洋からカナダの北を回って太平洋へ抜ける「北西航路」の開拓に挑んだ。しかし、最新技術がむしろアダとなって、探検の初期段階から隊員たちは健康を害し、さらには氷の海で身動きがとれなくなった。やがて、フランクリン隊長などの幹部隊員が相次いで病死し、ついには探検を中止してカナダへの脱出を計ったのである。
 生存者たちはボートに食料やテントなどを乗せ、氷の上をそりのように引きずってカナダを目指した。しかし、彼らはなぜか生存には全く寄与しない多数の書籍や銀食器、歯ブラシに石鹸までボートへ積み込んでいた。加えて、艦を捨てて氷上へ進み出た生存者たちが直面した環境はあまりにも過酷で、燃料となる草木など全くないため、火をおこして暖を取ることも不可能だった。そして、すでに健康状態が悪化していたであろう隊員たちはひとり、またひとり倒れ、氷の世界に姿を消していった。
 記録やメモが発見されていないため、艦から脱出した隊員たちの様子は点々と残された遺体や遺物から推測する他ない。遺体や様々な遺物から、脱出後まもなく隊員たちの結束は崩れ、生存者たちはいくつかの小集団に分かれたと考えられている。そして、生存者たちは極度の低温と飢えに苦しみ、やがて死んだ仲間たちの遺体を食べつつ、死の行進を続けたとされる。焚き火すらできない酷寒の地で、生き残りは遺体の肉かじり、骨を割って髄をすすり、飢えをしのいだのである。
 だが、彼らもカナダ本土の小さな入江で力尽き、脱出行は全滅という悲劇的な結末を迎えたとされる。その入江では隊員たちの遺体や遺物が大量に発見されたことから、現在は「餓死の入江」と呼ばれている。
 しかし、フランクリン隊の最後は謎に包まれており、本当に「餓死の入江」で全滅したのかどうかについても議論がある。中でも、アメリカの極地探検家チャールズ・フランシス・ホールは、地元の先住民から興味深い証言を得ている。それによると、先住民からアグルーカ(大またで歩く男)と呼ばれていたフランシス・クロージャーらが、彼らの助けを得て健康を回復した後、再びカナダ本土の交易所を目指したと言うのだ。
 そして、クロージャーの遺体は発見されておらず、本当に餓死の入江がフランクリン隊終焉の地かどうかについては議論が続いている。ただし、先住民からアグルーカと呼ばれていた白人は複数存在しており、彼らの記憶違いや人間違いと推測する専門家も多い。
 いずれにせよ、新たな遺骨や遺物が発見されない限り、真相は謎に包まれたままであろう。そして、フランクリン隊が死の行進を続けた一帯では、今もなお「人肉を口にくわえた白人の亡霊」がさまよいでるという。(了)
http://npn.co.jp/article/detail/77967426/

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地球の未来を救う鍵 質も量も高く不自由ない暮らし…アマゾン先住民を研究

2014-11-13 | 先住民族関連
産経ニュース 2014.11.12 10:50更新
 南米のエクアドルとペルー国境をまたぐ奥地には、アシュアール族という先住民が暮らしている。彼らの生活と自然観を研究してきた仏コレージュ・ド・フランスのフィリップ・デスコラ教授が今年の「コスモス国際賞」(国際花と緑の博覧会記念協会主催)を受賞し、10月30日の授賞式に来日した。
 デスコラ教授の研究は、アマゾン密林の未踏の世界を照射し、数千年にわたって息づく自然と人間の共生の姿を浮かび上がらせた。環境問題が深刻化する欧米型の現代社会に、新たな発想からの解決の糸口をもたらす可能性が期待されている。

 アシュアール族は、われわれと同じモンゴロイド系の先住民だ。焼き畑農耕と狩猟で暮らしているが、労働時間が極めて短いにもかかわらず、不自由のない日々を送っている。
 「焼き畑と狩猟生活からは困苦や貧しさを連想しがちですが、彼らは質も量も高い暮らしを営んでいたのです」
 デスコラ教授によると男性は主な仕事の狩猟に平均で毎日3時間半を使う。ものを作ったり修繕をしたりには約1時間。
 女性の場合は畑仕事と家事で約5時間働くが、男女とも睡眠を含む自由時間は、18時間前後と長い。
 以上は台地の村人の暮らしだが、川辺の村人の男性の場合は狩猟と漁労が各1時間半前後となる違いはあっても、男女の自由時間は19時間前後で、やはりたっぷり休んでいる。
 「それでいて彼らは十分な栄養を摂取しているのです」
 平均すると毎日、3408キロカロリーと104・5グラムのタンパク質という食事になっている。ともに国連食糧農業機関(FAO)の基準値を上回っているから驚きだ。
 デスコラ教授がアマゾンの奥地にアシュアール族を訪ねたのは1976年のことだった。
 同じく文化人類学者の夫人を伴い、3年間密林でアシュアール族と生活を共にした。
 当時は、彼らと外部社会との接触が始まって間もないころで依然、好戦的な気風が濃厚だった。それでも夫妻が受け入れられたのは「害のない人間とみなされ、もの珍しさが働いたためらしい」ということだ。
 アシュアール族は、ヒヴァロア語という特殊な言語を使うが、片言のスペイン語を話す若者がいたので彼を仲立ちに、言葉を覚えながら彼らの生活を文化人類学の視点で研究した。
 彼らは動物性タンパクを得る狩猟に吹き矢を使う。獲物は鳥やサル、イノシシに似たペッカリーなどだ。シカもいるが、狩猟の対象外。死者の魂を宿しているとみなされているためだ。
 約3メートルの長さがある吹き矢の筒は、堅いヤシの木を2枚、貼り合わせて作る。ピラニアの歯で加工した矢の先にはクラーレという植物性の神経毒が塗られていて、刺さった矢を動物が抜こうとすると折れて体内に残る構造になっている。
 2本刺さるとペッカリーも倒れるそうだ。二の矢は頭髪に挿しているので、間髪を入れずに吹ける。弓矢は使わない。
 漁労では、えらを麻痺(まひ)させる毒を川に流してナマズなど30~40種の魚を取る。2メートルもの大物も含まれるということだ。
 焼き畑農耕地では、女性がマニオクやトウモロコシ、サツマイモなど約60種の栽培種とともに40種を超える野生種を育てることで食用植物の密度は原生林より格段に高くなっている。
 数千年にわたる人々の働きかけが、自然を破壊することなく、広大な森林の姿を維持したまま、農耕地としての機能を兼備させ、発達させたのだ。
 作物は女性の親族とみなされる。狩猟獣は母方のオジやイトコとして扱われる。こうした自然の認識は、人間の側からのみ一方的に自然の利用を進めてきた欧米式の流儀とは異質の知の体系の産物だ。
 地球と人類の将来は環境問題ひとつをとっても、従来の延長線上での存在が難しくなっている。自然との永続的な共存を可能にする新たな哲学が必要な時代に私たちは生きているのだ。
 デスコラ教授へのインタビューを通じて日本の里山が連想された。人間の適度な介入が豊かな生態系を存続させてきた好例だ。マタギの伝統的狩猟でも獲物と自然に深い敬意が払われている。教授はアイヌ民族にも関心があるという。文化人類学の知の地平は、地球規模の広がりを持っているようだ。
http://www.sankei.com/life/news/141112/lif1411120023-n1.html

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旅先はむかわ町のム・ペツ館 自然の旅会員30人がアイヌ文化に触れる

2014-11-13 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 11/12)
 小樽に事務局を置く自然の旅クラブがこのほど、むかわ町にあるム・ペツ館を訪れ、館内の展示物を観覧し、アイヌ民族の文化に触れた。
 クラブは札幌、小樽の70歳代の市民を中心に約100人で組織。スタッフが持つ各地の自然愛好者団体などとネットワークを生かして、さまざまな場所を訪問。ウオーキングで地域の自然を楽しんだり、食を満喫している。
 クラブの30人ほどが参加。鵡川地区の市街地付近を散策した後、ム・ペツ館を訪れ、むかわアイヌ協会の押野千恵子さんから説明を受けながら、熱心に展示物を見学していた。
http://www.tomamin.co.jp/20141118902

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伊達・レガシーさんバチラー研究の博士論文まとめたい

2014-11-13 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月12日(水)朝刊】
 カナダ・ビクトリア大学の大学院生、ジョエル・レガシーさん(35)が伊達市噴火湾文化研究所で博士論文をまとめている。2012年(平成24年)4月にも同研究所で調査、研究を行ったが、今回は10月から来年3月までの半年間を予定。伊達市内に住み、歩いて研究所通いを続けている。
 レガシーさんは同大大学院で比較文化論を専攻。20世紀初頭の北海道開拓における文化比較、アイヌ民族と和人の交流、この時代の政治、文化、社会に影響を与えた人物などを研究している。
 12年4月には同研究所で、市内有珠地区に居住した英国人宣教師ジョン・バチラー(1854~1944年)と、養女のバチラー八重子(1884~1962年)に関する遺品を調べ、研究を進めた。アイヌ民族へのキリスト教布教に生涯をささげたバチラー一家の遺品が海外の研究者の研究史料に使われたのは初めて。
 帰国後もバチラー研究などを続けてきたが、博士論文の取りまとめにはさらに道内での探究が必要と判断。国際交流基金の研究奨学金を受け、半年間の予定で来日。同研究所が受け入れ機関となった。
 滞在中は研究所の一室を借り受け、ほぼ毎日通って作業に集中。来月は北大アイヌ・先住民研究センター(札幌)を訪れる。バチラー一家の関係者に会うことも考えている。
 同研究所の伊達元成学芸員らが支援、協力しており、「お世話になっている伊達市にも研究成果を還元したい」としている。
(伊藤教雄)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/12/20141112m_06.html

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登別の山岳ガイド・寺口さんがアイヌ語辞典を作成

2014-11-13 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月12日(水)朝刊】
 登別市在住の山岳ガイドの寺口一孝さん(68)が、日常用語や地名をまとめたアイヌ語辞典「イランカラプテ」を作成した。日本語の意味からアイヌ語を引く方式で、道内の地名の由来を探る基礎資料などとして役立ちそうだ。
 寺口さんは日本山岳ガイド協会認定や道公認のアウトドアガイド審査認定員など登山関連の資格を持つ山の専門家。山好きが高じて、8年ほど前から道内に点在する山の名前を調べる研究にライフワークとして取り組んでいる。
 これまで道内の5千以上の山の標高と名前を調査し、実に9割がアイヌ語に由来することが分かった。一方、同一の山が文献により名称が異なることも判明し「一つの資料としてまとめられないか」と自身の調査で参考にする複数の図書、文献から単語と地名を整理し、1冊に集約した。
 イランカラプテには「北海道蝦夷(えぞ)語地名解」(永田方正著)や「地名アイヌ語小辞典」(知里真志保著)ほか10冊の文献、図書から444ページにわたり、2万8600語のアイヌ語を収録。日本語解釈で50音順に並べた。発音が異なり同じ意味を表す単語もすべて載せた。
 作成を通して分かったのは、例えば山は「ヌプリ」「ピッテク」「シル・クル」「リシル」など地域や大きさ、形状により表現が使い分けられていたり、読みが同じで漢字が違う地名や、語源となるアイヌ語が複数あることなどが明らかになったという。
 巻末には地名と動物、植物名からアイヌ語を引く索引も載せた。寺口さんは「山の名前を調査する中で生まれた副産物。道内のアイヌ語地名を調べたり、観光ガイドで地名の由来解説などに役立てられれば」と話している。
 100部印刷し、一部5千円。問い合わせは寺口さん、電話・ファクス0143・86局5795番へ。
(菅原啓)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/12/20141112m_05.html


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白老町の歩みと写真を年表で…60周年記念誌を作製

2014-11-13 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月12日(水)朝刊】
 白老町は写真と年表で60年間の歩みを伝える町制施行60周年記念誌(A4判、11ページ)を作製した。町内全戸に配布する。
 写真は完成直後の役場庁舎、萩野にあった映画館、白老を走る蒸気機関車、ミス白老発表会、大昭和製紙白老の都市対抗野球全国優勝、仙台市との姉妹都市調印式、第1回牛肉まつり、ポロト湖を会場にしたどさんこ冬まつり、天皇陛下アイヌ民族博物館訪問など。年表は60年間の主な出来事を網羅した。
 「今」を伝えるのは四季彩街道(道道白老大滝線)、道内地方港湾中貨物取扱量が7年連続してトップの白老港、日本航空学園の学生がフライト実習している白老滑空場、2020年にポロト湖畔に開設される「民族共生の象徴となる空間」など。
 表紙は記念事業として実施、「とびっきりの笑顔」をテーマにしたフォトコンテストの入賞・入選作品8点を掲載、巻末のページには町民憲章、町の木・花、60年間の人口と世帯数の推移を載せた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/12/20141112m_08.html

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「北海道」の名付け親・三重出身の松浦武四郎に関心集まる

2014-11-13 | アイヌ民族関連
産経ニュース 2014.11.12 07:00更新
 三重県松阪市出身で「北海道」の名付け親として知られ、幕末から明治にかけて活躍した探検家・松浦武四郎(1818~88)の特別展が北海道白老町のアイヌ民族博物館で開かれ関心を集めている。アイヌ文化を紹介して共生を目指し、和人による迫害の実態も告発した武四郎の功績をたたえている。
 博物館などによると、武四郎は伊勢国須川村(現松阪市)の生まれ。28~41歳まで蝦夷地に6回渡り、アイヌと寝食を共にしながら深い信頼関係を築き、地理やアイヌの文化、生活をつぶさに記録した。
 また、アイヌが被害者になった和人による不公平な取引や強制労働を告発し、時には和人から命を狙われながらもアイヌ民族への理解と権利擁護を訴え続けた。
 アイヌの古老から民族を指す古語を「カイ」と教わり、明治政府に蝦夷地の名称を上申する際、アイヌへの敬意を込めて「北加伊道」と提案。これが「北海道」が生まれるきっかけになった。
 博物館は10月25日に武四郎の故郷、松阪市にある松浦武四郎記念館と姉妹提携した。特別展では11月30日まで武四郎が収集した小刀や盆などアイヌの民具(複製)や、残した書籍、自筆で描いたアイヌの風俗画など約40点を展示している。
 アイヌ民族博物館の野本正博館長は「今から約170年も前に武四郎は多文化が共生する社会を目指した。『北海道の名付け親』になった背景も含め、その生涯に光を当てたい」と話している。
 姉妹提携を記念し、アイヌ民族博物館には、武四郎の肖像と功績が刻まれた石碑も設置された。
http://www.sankei.com/region/news/141112/rgn1411120013-n1.html


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アイヌは先住民族か疑念と道議 議会で発言、関連団体が批判

2014-11-13 | アイヌ民族関連
2014/11/11 18:49 【共同通信】
 北海道議会の自民党・道民会議に所属する小野寺秀議員(51)が11日の道議会で「アイヌ民族が先住民族かどうかには疑念がある」と発言し、道が現状のままアイヌ政策を進めることを問題視しているとの見解を示した。
 衆参両院は2008年6月、アイヌを先住民族と認める決議を全会一致で採択している。北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「9月には国連本部で開かれた『先住民族世界会議』に日本政府代表団の一員として参加したばかりで、非常に残念だ。経緯をきちんと勉強してもらいたい」と発言を批判した。
http://www.47news.jp/CN/201411/CN2014111101002014.html

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