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JR北海道、列車愛称「はやぶさ」と「はやて」

2014-11-21 | アイヌ民族関連
スポーツ報知 2014年11月20日19時49分
 JR北海道は20日、2016年春に開業予定の北海道新幹線(10両編成)の列車愛称を運転区間に応じ「はやぶさ」と「はやて」にすると発表した。いずれも東北新幹線の愛称と同じ。独自の愛称を付けなかった理由を「東京から北へ向かう列車愛称として定着している」と説明している。
 シロハヤブサや北海道の形をモチーフにした車体に付けるロゴや、在来線の函館駅と新函館北斗駅(北海道北斗市)を連絡する列車(3両編成)のデザインも発表した。
 はやぶさは東京・仙台(仙台市)―新函館北斗を直通運転。はやては盛岡(盛岡市)―新函館北斗を直通運転し、新青森(青森市)―新函館北斗も結ぶ。詳しい運行体系はまだ決まっていない。
 この日は建設中の函館総合車両基地(北海道七飯町)で車両の内装を報道陣に初公開。カーペットなどのデザインで北海道らしさを演出した。
 普通車8両の定員は658人。カーペットに雪の結晶柄を取り入れ、ブラインドにはアイヌの文様風の柄をちりばめた。グリーン車は1両で定員55人。流氷の海明けを思わせるグレーがかった青色のカーペットと、雪の結晶をデザインしたブラインドが特徴だ。
 最高級車両「グランクラス」は1両で定員18人。大沼など沿線の湖沼の水面が輝く様子をカーペットにデザインした。
 東北新幹線のE5系車両と異なり、車内には消費電力が少ないLED照明を導入。車体の外装にはロゴを10か所にあしらう。
http://www.hochi.co.jp/topics/20141120-OHT1T50066.html


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アイヌ文化を笑顔で伝え32年 民族博物館の高橋さん退職へ

2014-11-21 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 11/20)
 白老町のアイヌ民族博物館の伝承課で32年間にわたって働いてきた高橋志保子さん(64)が、27日の博物館勤務と月末の移動博物館での演舞披露などを最後に退職する。朗らかな笑顔で来館者を出迎え、旅行者はもとより旅行会社の添乗員などからも人気。同館のムードメーカー的存在で、退職を惜しむ声も少なくない。高橋さんは「最後の踊りで胸がいっぱいになるかも。それでも頑張って最後のお仕事を勤め上げたい」と話している。
 高橋さんが現博物館の前身である白老民族文化伝承保存財団に就職したのは1968(昭和43)年。最初に担当したのは駐車場からツアー客をポロトコタンまでの案内誘導係で「当時は50以上の土産物店が並ぶ間を通り抜けた」と言い、活気のある時代を経験した。
 その後、受付係を経て古式舞踊を担当。当時は夏期営業のみで「冬は10人以上のグループで千葉県や鳥取県、熊本県などの観光地ホテルに数カ月滞在し、踊りを披露する出稼ぎもした」と振り返る。
 22歳の時に結婚。2児に恵まれ、子育てのため15年ほど仕事から離れたが、一区切り付いた43歳の時に家族を説得して仕事に復帰した。アイヌ文化の普及が急速に進んだ時代と重なったことで活動範囲が一気に拡大。海外に行く機会も増え、先住民がいるフィンランドや台湾をはじめ、イギリスやフランスなど7カ国を訪れた。「いろんなところに行かせてもらった。博物館に来るツアー客の添乗員さんとも仲良くさせてもらって本当に楽しいことばかりだった」と語る。
 高橋さんの魅力は何と言っても人懐っこい笑顔。外国人観光客に対しても「言葉は分からないけど一緒に記念写真を撮ったり、ムックリ(民族楽器)を教えたり。ポロトコタンと踊りが本当に大好きで、この場所でいろんな国の人と交流した」と話す。
 1人でも多くアイヌ文化を知ってほしいという思いが強く、自宅に飛び込みの営業電話が掛かってきた時には「アイヌ民族って知ってる?」と逆質問。電話口でムックリ演奏を聴かせることも「しょっちゅうありますね」。それがきっかけでアイヌ民族博物館まで足を運んでくれた人もいるといい、バイタリティーあふれる人柄が人気の秘訣だ。
 5年前に60歳の定年を迎え、延長雇用の5年もあっという間。博物館の勤務は今月27日までで、29、30日に名古屋と三重県松阪市の移動博物館で披露する古式舞踊が最後の仕事になる。
 32年という歴史を振り返り、「楽しいことばかりでアイヌ民族に生まれて本当によかった。職員としては最後になるが頑張って踊りたい」といつもの笑顔で語ってくれた。
http://www.tomamin.co.jp/20141119158


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(2)地域連携

2014-11-21 | アイヌ民族関連
朝日新聞-2014年11月20日
■進学・商談、地元感覚で
■青函交流、互いに熱視線
 「北海道新幹線で青森まで1時間」。スタッフがそんなアピールをする会場は、熱気に包まれていた。
 今月3日、函館市のホテルであった進学相談会。函館市や道南から大勢の高校生が詰めかけ、各ブースで学科や学費などについて聴き入った。
 待ち受けたのは、青森県内の全17大学・短大と専門学校の計30校などだ。入試担当者らだけでなく、現役学生も参加し、授業内容や学生生活などについての相談に親身に応じた。
 PRの中心は、青森県の「身近さ」だ。北海道新幹線の開業により、特急で約2時間かかる函館―青森間の所要時間は約1時間に短縮される。
 道南の高校生の進学先は、函館以外では札幌か首都圏が中心。青森県側は「新幹線が開通すれば、青森への親近感が増すと思う。地域の魅力も発信し、進学先の選択肢にしてほしい」と語る。
 東北新幹線の終着駅・新青森駅が開業したのは2010年12月。3カ月後に東日本大震災が起きた。開業効果を生かし切れなかった青森県にとって、北海道新幹線の開業は、まさに「第2の開業」だ。
    ○  ○  ○
 北海道側も青森県に熱い視線を向ける。
 青森県のスーパー「ユニバース」が函館市内で10月末に開いた青函連携商談会には、道南の食品製造業者など52社が参加し、自社商品をPRした。ユニバースは青森県を拠点に北東北で51店を展開。商談会で発掘した商品などを、11月下旬から全店で開く「青函フェア」で取り扱う予定だ。道南の企業は「函館に来ないと買えなかったものが、青森でも日常の商品になる」と期待する。
 1988年に青函トンネルが開通し、青函連絡船で約4時間を要した時代は終わりを告げた。翌89年に始まった青森、函館両市の「青函ツインシティ提携」では100を超える交流事業が展開され、文化やスポーツなどの交流が続く。四半世紀に及ぶ青函の地域連携は、新幹線開業で一層拍車がかかることになる。
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 ピンチをチャンスに変える。その一心で、地域連携を進めているのが、道南から離れた日高地域と胆振地域の14市4町だ。
 北海道新幹線は将来、札幌駅まで延伸される。新函館北斗駅から長万部駅を経てニセコ方面へ。羊蹄山のふもとを走り、小樽を経由して札幌へ向かう。
 「観光客の足が遠のき、さびれてしまうのでは」。そんな危機感を早くも抱いているのが、新幹線のルートから外れる洞爺湖や登別温泉などの観光地を抱える胆振地域だ。日高地域も呼応して昨年10月に発足したのが、14市4町と観光協会、民間企業など官民66団体でつくる「北海道新幹線×日胆(にったん)地域戦略会議」だ。
 会長は岩倉博文・苫小牧市長が務め、下部組織として今年7月には、動画制作や観光商品の開発に取り組む民間組織「ディスカバー日胆プロジェクト」、略して「DNP」も発足した。
 9月には、日胆から初めて足を外に踏み出し、函館市へも乗り込んだ。函館最大級の食の祭典「はこだてグルメサーカス」に日胆のブースが初めて設けられ、洞爺湖有珠山ジオパークや白老町のアイヌ文化など、日胆の観光を紹介。地場の菓子店のチーズやプリンはあっという間に売り切れた。
 事務局を務める苫小牧市政策推進課の担当者は言う。「地域と地域が手を携えることで、新幹線開業をチャンスに変える。交流人口を増やしていくことでしか、人口減少社会の中で私たちの地域が生き残る方法はない」
 (泉賢司、日比野容子)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20141120011360001.html

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神々の国へ(釧路市)

2014-11-21 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年11月19日
 アイヌのユーカラの世界では、人間の住むコタンを守護し、人と神を仲介するフクロウ神が住むという。人々は願いを伝えるため、神に手紙を出す。その手紙はフクロウ神の使いによって、神々へと届けられる。
 この神話をベースに制作されたのが床ヌブリの「神々の国へ」だ。重さが240キロもある巨大な板3枚からなるレリーフで、カツラの分厚い合板は、神話世界を表現するに十分な重量感を持っている。
 床ヌブリは身長をはるかに超える巨大な板を前に、一心にノミを振るった。左にフクロウ神、中央に神に遣わされた鹿に乗る女の子、右に少女を迎える太陽神を配し、男性的なノミ跡と女性的な木肌の滑らかさを組み合わせ、表情豊かでダイナミックな作品に仕上げた。風を感じさせる動きのある構図と、神々の荘厳な表情が、ユーカラの幻想的な世界観を伝えている。
 本作は釧路市民文化会館の開館翌年の1980年に有志市民により寄贈された。床ヌブリ氏は先月亡くなられた。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 (瀬戸厚志・釧路市立美術館)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20141119011150001.html

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