先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

就活生応援ステッカー無料配布 エア・ドゥ

2020-03-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/26 05:00

エア・ドゥが無料配布する就活生応援ステッカー
 AIRDO(エア・ドゥ)は25日、高校生や大学生らを対象にした就活支援割引運賃利用者に対し、応援ステッカーとメッセージカードの無料配布を始めた。
 ステッカーは名刺サイズで、同社のキャラクター「ベア・ドゥ」とアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)のPRキャラクター「トゥレッポん」のイラストとともに「自分らしく!頑張ってね」のメッセージも。カードは縦7センチ、横10センチで「がんばりが実を結ぶように」などのメッセージを添えている。配布は7月16日まで。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/406036

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ウポポイ路線を新設 道南バス、4月24日から

2020-03-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/26 05:00
 【室蘭】道南バス(室蘭)は25日、胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」と登別温泉、札幌を結ぶ路線バスの運行を4月24日から始めると発表した。
 登別温泉―ウポポイを新設し、1日1往復運行する。既に運行している登別温泉―札幌駅前、登別温泉―新千歳空港の2路線は、各1往復でウポポイを経由する。ウポポイまでの片道料金は登別温泉からが720円、札幌駅前からが1680円、新千歳空港からが850円。
 同社は新型コロナウイルス感染拡大の影響で室蘭―札幌など都市間バス4路線を17~31日の予定で減便しており、減便期間を4月23日まで延長することも決めた。新たに伊達―札幌の全1往復、浦河―札幌の全6往復(金曜のみ7往復)中1往復を1日から23日まで運休する。(今関茉莉)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/406035

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<北の事始め 発祥の地あれこれ>ニシン漁 道外農業支えた肥料供給 漁獲激減、復活へ努力

2020-03-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/26 05:00
 体長30センチ余りのニシンが掛かった網が次々と巻き上げられていきます。2月の石狩湾沿岸での光景です。北海道のニシン漁は19世紀末に最盛期を迎えました。当時は水産業が最大の産業で、ニシン漁はその筆頭でした。しかし1950年代末には漁獲が激減してしまいました。現在はニシン漁復活のための放流事業などが行われ、資源保護の意識も高まっています。
 ニシン漁の最初の記録は1447年に松前で和人が行ったと伝えられるものです。アイヌ民族は柄の付いた袋状の網などでニシンを取っていましたが、和人の入植者が増加すると、網の目に魚をからめて取る刺し網漁が普及しました。
 「ニシン漁は当初、南端の松前や江差で行われていました。不漁をきっかけに18世紀初頭から19世紀半ばにかけて、歌棄(後志管内寿都町)、石狩、増毛、留萌以北へと広がっていったのです」。こう話すのは、よいち水産博物館(後志管内余市町)の浅野敏昭館長(54)です。
 浅野さんによると、松前藩の場所請負制の下で、商人らは沿岸各地に漁場を開発し、出稼ぎ漁民らが労働に従事。海中に網を張って大量に誘い込む定置網漁も行われるようになりました。明治に入るとニシン漁は著しく発達し、明治初期に20万~40万トンだった漁獲量は1897年(明治30年)には97万トンに達しました。これは2018年の漁獲量1万3194トンの約70倍です。「定置網の親方の住居に出稼ぎ者を収容する大型の番屋も増え、ニシン場独特の風景が各地に見られるようになりました」と浅野さん。
 ニシン漁発展の背景にはどのような事情があったのでしょうか。北海道博物館の会田理人学芸員(45)は「道外での農業の発達に伴うニシンの搾粕(しめかす)(搾りかす)の需要増大です。近世半ば以降、水田開発や藍・綿花といった商品作物などの栽培に肥料として用いられました。本州産のイワシの魚肥などだけでは足りなくなったのです」と指摘します。
 例えば1880年(明治13年)には、ニシンの加工品のうち搾粕が全体の6割を占め、食料の身欠きにしんは1割に過ぎませんでした。搾粕の作り方は、ニシンを大きな釜で40分ほど煮てから圧搾器で水分と油を搾り出し、むしろの上に広げて乾燥させ、これを砕いて俵に詰めます。
 「搾粕を詰めた俵の重さは26貫(約98キロ)。担ぐには相当な力が要るため、ここで働いたヤドエ衆(秋田からの出稼ぎ者)は最年長で36~37歳でした」。明治期から定置網漁が行われた「旧余市福原漁場」(余市町)の元ボランティア説明員、菅原一也さん(89)は話します。
 ニシンの大群が産卵のため沿岸に押し寄せ、雄の精子で海が白く濁る群来(くき)が見られても「ここぞという時、親方と若い衆の心がつながらなければ、いい漁はできませんでした。そのため最盛期には50人以上が100日間、寝食を共にして働きました」と菅原さん。
 20世紀に入ると漁獲は伸び悩み、1938年(昭和13年)には1万3千トンに減少。54年には石狩湾以南で、58年にはその以北でも漁獲が途絶えました。余市町にある道立総合研究機構中央水試の滝谷明朗主査(48)は「海水温上昇など海の環境変動や乱獲など諸説がありますが、原因ははっきり分かりません」。
 2月中旬、石狩湾漁協(石狩市)所属の「厚福丸」に乗船しました。ニシンの掛かった刺し網をドラムで巻き上げていた漁師の中井健太さん(37)は「きょうは豊漁。ニシンが戻ってきてくれて、ありがたい」。同漁協は資源確保のため、毎年6月ごろにニシンの稚魚約70万尾を放流しています。歴史から学ぶ姿を感じました。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/405940

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アイヌ工芸 新機器で表現豊かに 平取・ウレシパ UV印刷機など導入

2020-03-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/26 05:00

新たに導入されたUVプリンターを使って製作されたメノコイタのサンプル(右)
【平取】町二風谷の町アイヌ工芸伝承館「ウレシパ」は、立体的な造形物などにフルカラーの印刷ができるUV(紫外線)プリンターを初めて導入した。素材を切断したり模様を施したりできるレーザー加工機も2台目を導入。アイヌ工芸品の新たな商品開発や製作体験プログラムの拡充につなげたい考えで、若手工芸家の制作の幅が広がることなどが期待される。
 導入費はUVプリンターが680万円、レーザー加工機が960万円。国のアイヌ政策推進交付金を活用した。
 ウレシパは昨年4月、若手工芸家らの育成や観光客の集客などを目的に開館。来館者は、木彫りや刺しゅうの実演を見学できるほか、アイヌ文様入りのペンダントの組み立てや、オリジナルタンブラーの製作などの体験ができる。
 UVプリンターは、割れたりひびが入ったりしにくい高性能インクを噴射し、紫外線をあてて固める。木材や樹脂など多彩な素材にフルカラーで印刷が可能。レーザー加工機は木やアクリル、皮革などの切断や金属への印刷に活用でき、これまでアイヌ文様をあしらったバッジやコースターの製作に使用されている。
 二風谷工芸館などで1月末から販売が始まった、お盆やまな板として使うアイヌ伝統の生活民具「メノコイタ」もUVプリンターとレーザー加工機で作られている。このメノコイタは東京五輪・パラリンピックの公式ライセンス商品に認定されており、東京大会の公式ロゴマークなどが精緻に施され、好評を博しているという。今後はウレシパでもこうした商品が作れるようになる。
 観光客の技術指導にも当たるウレシパ職員の大石英司さん(54)は「機械の導入で工芸品の表現の幅が広がり商品化の可能性が高まる。汎用性も高く、工芸家の作業効率の向上も期待できる。二風谷のアイヌ工芸に貢献できれば」と話している。

 ウレシパは新型コロナウイルス感染拡大防止のため31日まで臨時休館中。問い合わせは(電)01457・3・7501へ。(川崎博之)
◆ウレシパのシは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/405906

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江戸の標津、生き生きと精緻に 番屋屏風の複製完成 「箱館港」とお披露目

2020-03-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/26 05:00

新たに制作された箱館港屏風の複製。会津藩は函館の近くに陣屋を構えていた
 【標津】町教委が制作を進めていた、幕末に会津藩の絵師によって描かれた「標津番屋屏風(びょうぶ)」と「箱館港屏風」の複製が完成し、町生涯学習センターで25日、地元関係者向けに内覧会が開かれた。
 屏風はそれぞれ高さ1.6メートル、幅3.6メートル。北方警備を担った会津藩の絵師が、蝦夷地(えぞち)の様子を藩主に伝えるため、1864年(元治元年)に制作された。標津番屋屏風にはアイヌ民族が大量のサケを運ぶ様子などが、箱館港屏風には函館山と港にひしめく北前船や黒船が描かれている。
 町教委は昨年11月から制作に着手した。原物の屏風を、所蔵する新潟県西厳寺から京都市の美術印刷会社に運び、30億画素の高精度スキャナーでデジタル化して和紙に出力。質感まで再現して印刷された和紙は屏風職人の手で仕上げられ、今月11日に完成した。制作費は計530万円で、国のアイヌ政策推進交付金を活用した。
 内覧会には、町の歴史文化研究会の会員やガイドなど約20人が来場した。ポー川史跡自然公園で展示している標津番屋屏風の簡易複製と比べ、来場者は「精細さ、鮮やかさが全然違う」と出来栄えに驚いていた。町教委は早ければ5~6月ごろ、企画展で一般公開する予定。町内での常設展示や、京都や会津などゆかりの地での展示も検討している。担当の小野哲也学芸員は「標津という地をPRするのに力を発揮するツールになる」と期待している。(長谷川史子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/405884

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北海道阿寒湖畔でアイヌ民族の案内ツアー 6月から

2020-03-27 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2020/3/26 15:56
阿寒アイヌ工芸協同組合(北海道釧路市)は6月から、釧路市阿寒町の阿寒湖畔でアイヌ民族が案内役を務める体験ツアーを販売する。自然豊かな周辺の森や湖を散策したり、アイヌ民族の伝統デザインの刺しゅうや木彫りを製作体験したり異文化体験が楽しめる。同組合が運営する特設サイトを通じて、4月30日から予約を受けつける。

アイヌ文様の刺しゅうを体験できるツアー(釧路市提供)
ツアーの名称は「Anytime,Ainutime!」で、自然散策や製作体験など全4種類を用意する。いずれも小学生以上が対象で定員は10人(最少催行人数2人)。料金は1人あたり4290~7700円。国のアイヌ政策推進交付金を活用する。
道内では4月に白老町でアイヌ文化を学べる民族共生象徴空間「ウポポイ」が開業予定だ。アイヌ文化への関心の高まりも予想され、有力な観光資源に育てる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57261720W0A320C2L41000/

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国分北海道、道産素材使用のウポポイ応援2品発売 アイヌ文化復興拠点へ

2020-03-27 | アイヌ民族関連
日本食糧新聞 2020.03.25 12029号 06面

チセをイメージした「じゃがこんクッキー」のパッケージ
 国分グループのエリアカンパニー・国分北海道はアイヌ文化の復興拠点である「ウポポイ」(民族共生象徴空間)を応援する関連商品の第3、4弾として北海道産ジャガイモと白老町虎杖浜産昆布を使用した「じゃがこんクッキー 6枚入り」「同12枚入り」、北海道産のサケとばの皮を使用した魚介乾製品「鮭かわチップス」を発売する。  4月24日に北海道白老町にオープン予定のウポポイに関連する商品開発を行い、特産物を使用して白老町を活気づけられる商品を目指した。ウポポイとはアイヌ文化復興などのナショ{続きあり)
「鮭かわチップス」
https://news.nissyoku.co.jp/news/shinoda20200317115620486

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多様なカルチャーを横断する「振動」の絵画。角田純インタビュー

2020-03-27 | アイヌ民族関連
美術手帖 3/26(木) 7:58配信
 角田の作品は、非常にミニマムな抽象絵画でありながらも、同時にカウンターカルチャー特有の軽快でエッジーな感覚が宿っている。淡い色彩からは一見素朴な印象を受けるが、サイケデリックな怪しさや神秘性も感じさせる。
 2019年11月に東京のPARCELで開催された個展「A New Career In A New
Town」での大作《WOOLSOUL》は、薄く色が塗り重ねられた下地に、スプレーで文字らしき記号が軽快なタッチで描かれている。一見すると日差しによって色あせた落書きが残る壁の表面を、薄く剥がしてキャンバスに貼り付けたかのようだ。しかしよく見れば書道のように「間」を際立たせながら、グラフィティのスプレー画法の大胆なタッチでそれらの「記号」が描かれていることがわかる。ミニマムな画面に絶妙のバランスで緊張感と躍動感を同時に表現することで、「静と動」の関係を生成し、絵のなかに独特なリズムを生み出しているのだ。
「私は、絵を通して『音と形のあいだにあるもの』を描こうと考えています。音も色も振動の波形なので、似たような存在です。例えば、スーフィズム(イスラム神秘主義)という、9世紀頃にイスラム教の世俗化や形式化を批判した改革運動では、イスラムでは珍しく音楽を用いる儀礼がある。その儀礼には楽譜のようなものがあって、字と字の『行間』で『リズム』を表現しています。インドのタントリズムにも類似した表現がありますが、音と形の関係については、これらつの思想からも影響を受けました。絵を描くことを音楽に例えると、筆致がリズムで、色はトーン。音楽の構造ではリズムはトーンの後からくるのです」。
 角田の作品には、サイケデリックな印象のものもあるが、バランスの良い色彩配置や繊細なタッチのなかに、同じように静かなリズムがあるものが多い。それは降り始めの雨がポタポタとアスファルトの表面に落ち、流れていくような静かな音の感覚だ。このような角田の表現は、先にふれたように書道やカリグラフィ、またはグラフィティのような、反復の鍛錬から最善の一筆を探し出そうとする文字表現に基礎をなしており、その点において角田は非常に熟練した表現者なのである。
カウンターカルチャーとアートの交わり
 しかし角田はそのキャリアの長さに対して日本の現代美術の世界において広く認識されていない、いわゆる知る人ぞ知る存在である。それには明確な理由がある。じつは角田はグラフィック・デザイナーとして長く活動しており、デザインの仕事のほうが広く知られているからだ。映画『バグダッド・カフェ』のメインヴィジュアル、小沢健二や忌野清志郎のCDジャケットのデザイン、建築雑誌『HOME』やカルチャー誌『BARFOUT!』のアート・ディレクション、奈良美智のポスター、リチャード・プリンスや五木田智央の画集デザインを手がけた。
 しかし角田は「元デザイナーのアーティスト」ではない。そもそもずっとアーティストでありながら、デザインをアーティストならではの視点で展開してきたのだ。それは昨年PARCELで展示された作品を含め、30年以上描きためられてきた膨大な量の絵画作品が証明している。
 また同時に角田は、カルチュアル・アクティヴィストとして、90年代の東京のカルチャーシーンの発展に大きな功績を残す人物である。そもそも筆者が角田を知ったのは非常に遅く、2014年の暮れに東京・神田にあるカフェギャラリー「TETOKA」での角田の個展「looking for water」で初めて彼の作品を見た。TETOKAは古物や古本を扱っていることもあり、展覧会には作品だけでなく角田のスタジオに飾られているオブジェや資料、ほかのアーティストの作品などがインスタレーションのように配置された。ほかには、角田の書道、数々の珍しい鉱石や結晶、メキシコの十字架、自身で掘ってきたという縄文土器なども展示。また同時に、リチャード・プリンスの写真、インテリア・デザイナー木村二郎の家具、五木田智央やエリック・パーカーのドローイングも見ることができた。
 スピリチュアリズムやグラフィティ、縄文や南米文化──角田の表現はそのような多様な文化様式を独自に解釈・参照した絵画で、展覧会においてもバラバラのものが集まる実際の空間に調和を生み出し、その展示空間は独特な思想地図のように感じられた。それは謎めいた内なる世界観ではなく、いまの日本におけるカウンターカルチャーの価値体系を記す地図と呼べるものであった。
 この展覧会で印象的だったのは、そのような展示構成の方法、作品の質はもちろんのこと、角田の多様なカルチャーへの関わりの経緯だ。角田はかつてデザイナー兼ディレクターとして『Jammin』などの実験的なカルチャー誌にも関わってきた。
 その活動のなかで多様なカルチャーシーンから新しい才能を発掘し続け、例えばリー・マッギー(TWIST)とESPOとREASがジェフェリー・ダイチのギャラリーで企画した展覧会「STREET
MARKET」のアートブックを企画・制作し(同インスタレーションは後にハラルド・ゼーマンのキュレーションにより、2001年のヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ館で展示されている)、またファッションブランド「poetry
of sex」のディレクターとして、国内外で活躍する多くのアーティストたちの一点物のTシャツを発表し、ファッションとアートをつなぐ道筋を開拓した。
 当時パリの先駆的なセレクトショップ「コレット」に商品がフィーチャーされたり、エレン・フライスがディレクターを務めたファッション誌『パープル』と親密な交流があった。90年代から国内外を問わず、角田の存在はつねにカウンターカルチャーとアートの歴史のクロスポイントにあり、そのデザイナー兼アーティストとしての独特な立ち位置は特筆すべきものであろう。
マスのデザインからスピリチュアリズムへ
 しかし角田はどのようにして、その独特な立ち位置で仕事をするようになったのだろうか。
「そもそもアーティストを志した理由は、サイ・トゥオンブリーに影響を受けたことだったけど、自分は(ジャン・ミシェル=)バスキアと同じ年で、高校生の頃はパンクスだった。でも時代的にグラフィティなどが生まれてきた時期で、自分も屋外で絵を描いたりしていた。美術大学に入ったけど、当時日本のアーティストとして生計を立てているのが、自分の知るかぎり横尾忠則さんだけだったので、自分もグラフィック・デザイナーをやりながら絵を描くことにした。20代で運良く、コムデギャルソンやソニーなど大きな仕事を担当したけど、80年代はデザインはマスに向かっていく時代だったんだよね。でも自分はもっと人間にとって本質的なことについて考えたくなって、マスのデザインから距離を置くようになった」。
 90年代の日本のカウンターカルチャーでは、スピリチュアリズムやヒッピー文化が盛んであった。その影響もあり、角田は90年代初頭からスピリチュアリズムに興味を持ち、神秘学者のジッドゥ・クリシュナムルティに会いにインドへ行ったりもする。結果的に彼には会えなかったのだが、山梨に瞑想を教えてくれる人がいると聞き、山梨に引っ越すことになる。
「結局瞑想は何年かしてやめちゃうんだけど、引っ越した先の山梨の北杜市で木村二郎さんや三好悦子さんと出会って、2人が93年にギャラリートラックスを始めたのをきっかけに、そこで作品を展示してみることにしたんだ。それまでは人に見せるというより、ただ勝手に描いているだけだったから」。
 ギャラリートラックスは、地方にありながら、多くの国内外で活躍するアーティストをいち早く展示・輩出するギャラリーとして知られており、建築は、そのオーナーであった木村二郎の作品のような空間を特徴としている。角田は当時から年に一度は展示に参加しているが、彼の紹介で高橋恭司、五木田智央、川内倫子、できやよいなどのアーティストの展覧会が開催されている。
「山梨での生活は楽しかったけど、デザインの仕事もしないと食べていけないので(笑)、東京に戻ることにした。そこでグラフィティや街の看板に興味を持って、メキシコやアメリカに写真を撮りに行ったり、街でESPOに突然話しかけられて仲良くなって、ストリートカルチャーに関わる仕事を始めた。でもその後、2004年に木村二郎さんが亡くなったことをきっかけに、自分の人生短いし絵を描くことに集中しようって思ったんだよね」。
絵画、音、文字に見られる振動
 その後角田は少しずつデザイナーとしての仕事から離れ、本格的にアーティストとしての道を歩み始める。2012年にDIC川村記念美術館で開催された「抽象と形態」展において、角田の作品はジョルジョ・モランディの静物画と対比されて展示された。モランディの作品は一見静物画でありながら、配色のバランスによって色面と色面の境界線に揺らめきを表現しているが、角田の作品もまた、色面構成されたバックグランドに細かく描かれるドットや線描が、画面のなかに揺れるような動きを感じさせる。静によって動を生み出す表現に2人の共通性を見出すことができるが、角田の場合は瞑想や幻覚体験(ハルシネーション)の影響が強く感じられる。
 それは歴史的、批評的に検証されることは少ないが、スピリチュアリズムやサイケデリック・アートに通じる表現であり、近現代の美術に大きな影響を及ぼしている分野だ。2018年にグッゲンハイム美術館で回顧展が開催されたヒルマ・アフ・クリントは角田と同じくスピリチュアリズムに傾倒した作家であり、色彩や画面構成など非常に類似点が多い。またスピリチュアリズムの系統で考えれば、植物やその種子を思わせる角田の初期作品に関してもルドルフ・シュタイナーのドローイングに共通性を感じられる。
「さっきも言った通り、自分は作品に関して音を重要だと考えているけど、音は振動、つまり揺らぎなんだ。最近はムックリ(倍音を奏でるアイヌの楽器)にはまっているけど、最近知った面白い話だと美空ひばりの『川の流れのように』は倍音が出ているらしいね。倍音の振動に人は惹きつけられるんだ。あと、ここ数年は書道に興味を持っていて草書のようなものを描き始めた。言葉が文字になり、文字が形を崩しながら振動になる。完璧に独学なんだけど」。
 角田の実践はスピリチュアリズムやサイケデリア、書道からグラフィティまで、アウトサイダーとされる「外側の知性」を、「振動」を切り口に数珠つなぎに連結していく絵画だ。それはまるで多様な文化(トーン)の音楽をもブレイクビーツの上でつなげて披露するDJのような作法である。そういう意味では、角田は、近代的価値観が否定してきた外側の知性に、社会学や民俗学とは異なる絵画の観点から向き合い、秘められた文脈を発掘し、未知なる感覚への扉を開ける数少ない表現者だと言えるであろう。
(『美術手帖』2020年4月号「ARTIST PICK UP」より)
文=松下徹(アーティスト/SIDE CORE ディレクター)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200326-00000002-btecho-cul

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臨時休校で学習機会が減った子どもに世界の文化を学ぶ機会を提供 愛知県犬山市のリトルワールドが無料招待

2020-03-27 | 先住民族関連
名古屋テレビ 3/26(木) 19:28配信

 臨時休校で学習の機会が減った子どもたちに、世界の文化を学ぶ機会を無料で提供します。
 愛知県犬山市の「野外民族博物館リトルワールド」が、小中学生の無料招待を実施しました。
 通常料金は中学生が1100円、小学生が700円ですが、新型コロナウイルスによる臨時休校で減った学習の機会を提供しようと無料にしました。
 26日はアラスカの先住民族の家で学芸員による青空教室が開かれ、参加した約50人は質問に手を挙げて答えるなど意欲的に学習していました。
 無料招待は3月31日から4月2日にかけても実施されます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200326-00000012-nbnv-l23

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