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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

赤れんが庁舎を一般開放へ 東京五輪の期間中

2020-03-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/18 19:36
 道は18日の道議会予算特別委員会で、今夏開幕する東京五輪の期間中、現在閉鎖中でマラソン競技のコース沿いにある赤れんが庁舎を一般公開することを明らかにした。マラソンの開催日には道内の子どもを招き、間近で観戦してもらう。
 赤れんが庁舎は昨年10月以降、改修のため閉鎖しているが、男女サッカー予選が始まる7月22日から五輪最終日の8月9日は特別に開放する。マラソンが実施される8月8、9両日には道内のスポーツ少年団に所属する子どもたちを招き、競技を観戦してもらう。
 赤れんが庁舎内には、アイヌ文化や観光情報を発信するスペースを設け、近くの札幌市地下歩行空間などと連動させて北海道の食と観光をアピール。道庁敷地内で地場食材を使った料理を提供したり、アイヌ古式舞踊や地域の郷土芸能を披露したりする計画もある。北海道結志会の赤根広介氏(登別市)への答弁。(安倍諒)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/403700

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アイヌとともに時間を過ごす、阿寒湖ガイドツアーが6月から開催。

2020-03-19 | アイヌ民族関連
colocal 2020.3.18
アイヌ文化に直接触れ、森林散策と楽器演奏を楽しむ
アイヌという文化、阿寒という土地、両方を守るために
阿寒摩周国立公園の原生林に囲まれた、ひがし北海道屈指の美しさを誇る湖、阿寒湖。
そのほとりには複数の温泉宿が立ち並び、
阿寒湖温泉街として多くの観光客を受け入れています。
この温泉街の一角にあるのが日本の先住民族アイヌによってつくられた
工芸と芸能の集落〈阿寒湖アイヌコタン〉。
釧路空港から約1時間のこの地は、民芸品と飲食店が軒を連ね、
アイヌの文化を伝えています。
2020年6月1日から、自然を敬い、阿寒湖で生きてきたアイヌの案内で
自然散策、ものづくりを楽しむガイドツアー「Anytime,Ainutime!」が開催されます。
4月30日から予約受付開始というこのガイドツアーの内容を見てみましょう。
観光とアイヌ文化が交わるこのまちで
釧路市には約1,100人のアイヌの人々がいます。
阿寒地区のアイヌコタン(コタンとは“集落”のこと)には、36戸に約120人が暮らし、
北海道で一番大きいアイヌコタンです。
昭和9年に国立公園に指定されるなど、湖畔の景観は四季を通じてすばらしいものがあり、
昭和30年代の観光ブームが到来しても変わらず、
ヒグマや鳥、人間などを題材にした木彫りの工芸品などで人々は自活をしてきました。
この観光ブームで、阿寒湖畔でもホテルの新築、増設が相次ぎ、温泉需要も増大。
『阿寒に果つ』(著・渡辺淳一)など、
阿寒周辺を舞台にした小説がベストセラーになったのも、追い風となりました。
阿寒はもともと狩り場(イオル)だったという歴史もあり、
先祖代々住み続けているという家は多くはなく、
「よそ者が多い」ことは、アイヌ文化を観光に活用する際にプラスに働いているのです。
アイヌの人々は自然に語りかけながら植物を採集したり、大切な人を思いながら、
自然をモチーフにした文様を木彫、刺繍します。
こうして、人と人、モノ、自然との関係性を大事に育んできたのです。
今回のガイドツアー「Anytime,Ainutime!」というコンセプトには、
このすばらしい文化を、「体験」を通して伝え継ぎたいという思いが込められています。
ガイドをするのは阿寒で暮らすアイヌの人々。
普段は木彫作家、民芸店の店主、伝統舞踊の踊り手など、職業はさまざま。
それぞれが受け継いできたアイヌの伝統や民話を伝えながら、ツアーは展開されます。
散策とムックリ演奏を通じて、阿寒の森に出合う旅
ツアーは「森の時間」「湖の時間」「創る時間(木彫・刺繍)」の大きく分けて4種類。
「森」と「湖」は、実際に阿寒国立公園を散策しながら、
アイヌの逸話などを聞いていくツアー。
「創る」は刺繍や木彫を体験するツアーです。
特にこのツアープログラムは、普段エネルギッシュに働いている都会の人にこそ
体験してもらいたいのです。
「森の時間」の舞台は、イオルの森。
木立を風が抜け、倒れた木から若葉が芽吹く。
光射す阿寒の森は、生命の気配に満ちています。
この森は、アイヌ文化が受け継がれるよう、
イオル(アイヌの伝統的生活空間)再生事業が行われている森です。
ガイドと一緒に森を歩き、
「アイヌが森からどんなインスピレーション、知恵を受け取ってきたか」を追体験した後、
ムックリ(口琴)演奏のワークショップを行います。
ムックリは、薄い板についている紐を引っ張ることで弁を振動させて音を出し、
これを口の中に共鳴させ倍音を響かせます。
演奏のコツを習ったら、ガイドと一緒につくったムックリで、
自由に音を鳴らして遊んでみましょう。
森に息づくものたちと、響き合う時間を楽しむプログラムです。

アイヌ民族の伝統楽器ムックリの演奏を体験。
1時間30分のプログラムで、何を得られるか。
それは、アイヌの思想や暮らしの知恵です。
生きるヒントとして心に宿り、旅が終わってからも続く、
豊かな時間を届けてくれることでしょう。
ツアーを担うガイドたちが願うのは、日本の先住民族であるアイヌが、
阿寒摩周国立公園とアイヌ文化の両方を守りながらガイドを続けていくこと。
教科書でしか知らなかったアイヌのことを、知るきっかけになった。
阿寒に来て、ツアーでガイドとの時間を過ごすうちに心がほっとしていた。
アイヌの考え方を通じて『そういう考え方もあるんだ』と知れた。
そんな気づきが参加者に芽生えることを期待してーー
阿寒の植生とアイヌの叡智に触れ、
自分と向き合う時間を愛おしんでみてはいかがでしょうか。
阿寒湖ガイドツアー「Anytime,Ainutime!」
森の時間
森と生きるアイヌの精神に触れる旅
大人・子どもともに(1名)5,610円(税込)
時間/約1時間30分 対象/小学生以上 最少催行人数/2名(定員10名)
催行期間 6月~翌3月
湖の時間
アイヌが愛する湖岸の景色と出合う旅
大人・子どもともに(1名)7,700円(税込)
時間/約2時間30分 対象/小学生以上 最少催行人数/2名(定員10名)
催行期間 6月~翌3月
創る時間
カムイからいただく材料を使って、大事な人のために願いを込めてつくります。
どちらかひとつをお選びいただけます。
刺繍体験(コースターにアイヌ文様を刺繍する体験)
木彫体験(トンコリのかたちをしたチャームを製作する体験)
大人・子どもともに(1名)4,290円(税込)
時間/約1時間 対象/小学生以上 最少催行人数/2名(定員10名)
オプション「食の時間」
〈民芸喫茶ポロンノ〉で伝統的なアイヌ料理をいただきます。
※「森の時間」「湖の時間」「創る時間(刺繍体験・木彫体験)」のいずれかに参加された方のオプションです。
大人・子どもともに(1名)3,300円(税込)
時間/約1時間
対象/小学生以上
最少催行人数/2名(定員10名)
催行期間 通年
予約について:
2020年4月30日から予約受付開始予定。ツアーの催行は2020年6月1日から。下記の公式HPで予約が可能です。また、ツアー内容は変更になることがございます。最新の情報や詳細については公式HPをご覧ください。
https://www.anytimeainutime.jp
https://colocal.jp/news/132878.html

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今も終わらぬ戦い  「絶滅」した先住民の子孫 オーストラリア

2020-03-19 | 先住民族関連
共同通信 2020.3.18 18:43
 オーストラリア・タスマニア島南東部ホバート近郊のなだらかな丘陵。南に穏やかな湾を望む一帯の草原には小型カンガルーのワラビーやウォンバットなどの野生動物が時折姿を見せ、オーストラリアの田舎らしいのどかな風景が広がる。
 「年長者や子どもたちが丘の上から追い込んだワラビーを、やりを構えた男たちが下で仕留める。ここは狩猟に最適な場所だったんだ」。タスマニア・アボリジナル・センターの文化コーディネーター、デウェイン・エベレットスミス(32)が祖先の先住民アボリジニに思いをはせた。
 だが、リスドンコーブと呼ばれるこの地域は、かつてタスマニアのアボリジニと英国人入植者の間で起きた衝突「ブラック・ウォー」(1820~30年代。期間は諸説)に先駆けて、1804年に入植者が初めてアボリジニを大量虐殺したといわれる場所だった。最近の研究により数百人が犠牲になったとされる。
▽衝突激化
 氷河期にはオーストラリア本土とタスマニア島の間のバス海峡が陸続きで、約4万年前には本土からタスマニアにアボリジニが渡ったという。氷河期が終わり、海面が上昇するとタスマニア島は孤立。以来、タスマニアのアボリジニは外部と隔絶された中で独自の文化を守って生活していた。
 1770年に英国人探検家ジェームズ・クック(通称キャプテン・クック)がオーストラリア本土に上陸し、英国領を宣言。88年に英国からの最初の船団がシドニー付近に到着し移民が始まった。英国は1803年に囚人らを連れてタスマニア島でも入植を始めた。
 当時、島には数千人のアボリジニが暮らしていた。「部族ごとに九つの“国”に分かれ、狩猟採集の生活を送っていた」(エベレットスミス)。
 そんな中、英国からの入植者たちはアボリジニの狩猟場にも農場を作ろうとし、衝突が激化。エベレットスミスは「入植者たちはタスマニアのアボリジニを本土の先住民よりさらに下層に位置付けた。ゴリラと人間のミッシングリンク(進化の欠落部分)と見ていたほどだ」と語る。
 ▽ジェノサイド
 1824年までにタスマニア島の入植者は1万2千人を超えた。対立は島の広範囲に及び、英国人はアボリジニの一掃を企てた。ブラック・ウォーでは、約千人のアボリジニが殺害されたほか、約200人の入植者もアボリジニの反撃で命を落とした。
 タスマニアアボリジニから先祖伝来の聖地や文化的遺産を根こそぎ奪ったこの戦闘は、オーストラリア軍を巻き込むことがなかったため、オーストラリア政府は「戦争」とは認めていない。
 先住民の歴史に詳しい同国ニューキャッスル大教授のリンダル・ライアン(76)は「オーストラリア人にとっては耳をふさぎたくなるような話だろうが、タスマニアで起きたことはジェノサイド(民族大量虐殺)と言える」と指摘する。
 生き残った約130人のアボリジニはタスマニア島を追われ、北東部のフリンダース島に強制移住させられた。その後も再移送されたタスマニア島内のオイスターコーブなどへ移転を余儀なくされるうちに、入植者が持ち込んだ疫病にかかるなどして減少し、76年に最後の一人、トルガニーニが64歳で死亡。純血のタスマニアアボリジニは絶滅したとされる。
 エベレットスミスは浅黒い肌に平べったい鼻というアボリジニ特有の容貌とはかけ離れている。白人との混血だからだ。かつて九つあった国の一つのリーダーの娘の子孫と教えられて育った。
 「トルガニーニが最後のタスマニアアボリジニ」。学校でそう習った時、エベレットスミスは違和感を覚えた。混血とはいえ「自分はれっきとしたタスマニアアボリジニ」との思いからだ。
▽「偽者」のレッテル
 「タスマニアにもうアボリジニはいない」と思っているオーストラリア人は多い。エベレットスミスは「偽者」のレッテルを貼られることが屈辱だという。
 オーストラリアでは本土で移民が始まった1788年1月26日を「オーストラリアデー」として祝う。だがアボリジニにとっては「侵略を受け、悲劇が始まった日」。「オーストラリアの歴史は、英国人の入植以降に焦点が当てられすぎだ」。エベレットスミスはオーストラリアデーの変更を訴える。
 一方で両親や祖父母から「過去を否定的に振り返るより、文化の保護を考えるべきだ」と教えられてきた。今、力を入れているのは言語の復活だ。ほとんど書き残されず、断片的にしか伝わっていない言語をつなぎ合わせて次代のためにいくつかの辞書を作った。
 「奪われたままになっている土地も取り戻さなければならない。私たちにとって戦いは決して終わっていない」。エベレットスミスは自分に言い聞かせた。(敬称略、文・板井和也、写真・仙石高記)
取材後記
徹底的な差別
 今や「多文化国家」を誇るオーストラリアだが、1970年代までは白人優先の白豪主義を掲げていた。先住民アボリジニは徹底的に差別され、67年の憲法改正まで人口統計にも含まれていなかった。
 今回の取材を通じ、タスマニア島のアボリジニが本土以上に厳しい状況に置かれ、絶滅までさせられていたことを知り、何度も言葉を失った。
 アボリジニは今も貧困、平均寿命の短さ、失業率や若年層の自殺率の高さなど多くの社会的不利益を抱えている。そんな中で2019年、アボリジニの閣僚が初めて誕生。ケン・ワイアット先住民問題相(67)がその人だ。就任に際し、アボリジニの生活改善実現に強い意欲を示した。一筋の光明だと思いたい。
https://www.47news.jp/4625895.html

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