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山崎育三郎は歌うのか?最終前週を締める「イヨマンテの夜」【今週の「エール」豆知識】

2020-11-15 | アイヌ民族関連
日刊ゲンダイ 2020/11/14
【今週の「エール」豆知識】
 第22週を観て懐かしい思いを募らせた朝ドラファンも多かったのではないだろうか。過去に鮮烈な印象を残した俳優が2人、登場した。1人目は村野鉄男(中村蒼)と29年ぶりに再会する弟を演じた泉澤祐希(27)。「ひよっこ」(2017年度上期)ではヒロイン(有村架純)と一緒に集団就職で上京する、ちょっと気弱で誠実な同級生を好演した。2人目は古山裕一(窪田正孝)の弟・浩二(佐久本宝)と結ばれるリンゴ農家の娘を演じた志田未来(27)。「とと姉ちゃん」(16年度上期)では、ビアホールで酔い客に乱暴されそうになったヒロイン(高畑充希)を助ける不良少女。芯の強さが光った。
 放送から3〜4年しかたっていないので、懐かしいというのは当たっていないかもしれない。ただ、コロナ禍の中で時間的な感覚がだいぶおかしくなっていて、少し前のことが遠い昔だった気がしてくる。今回の「エール」にしても、スタートからずいぶん時間が経っているような錯覚におちいる視聴者も少なくないだろう。途中で2カ月半もの中断があったのだ。ともかく、ようやくゴールが間近になった。
 残すところ、あと1週になった第23週(11月16日〜)では伊藤久男(ドラマでは佐藤久志=山崎育三郎)が歌って大ヒットした「イヨマンテの夜」が登場する。作曲は古関裕而(古山裕一)、作詞は菊田一夫(池田二郎=北村有起哉)。戦後の古関メロディーの中で、もっともヒット曲を生み出した黄金コンビである。
 もともと、この曲は菊田が脚本、古関が音楽を担当したラジオドラマ「鐘の鳴る丘」で使われた劇中歌。奥多摩の山奥で木を切っている山人が「アーアー」とメロディーを口ずさんでいるという設定だった。これがあまりにも評判がよかったので、レコード化する話になり、急遽、菊田が歌詞をつけたのだ。
■「熊送りの祭り」を意味するイヨマンテ
 イヨマンテとはアイヌ語で「熊送りの祭り」を意味する。狩猟の神に、山や海からの恵みをもたらしてほしいと祈るアイヌの儀式である。3日間にわたって行われるという。菊田がアイヌ語を使った理由は、ちょうどそのころ、アイヌの取材をしていたからだ。北海道先住民の暮らしに興味を持ち、ドラマでも生かそうと考えていたのである。
 それが実を結んだのは「君の名は」。1952年からラジオドラマ(NHK)がスタートし、平均聴取率は49%。放送が始まる木曜午後8時半になると、銭湯の女湯が空っぽになるという空前の人気ドラマだった。翌年には岸恵子(88)をヒロインに映画化され、こちらも大ヒットした。いずれも菊田が原作、古関が音楽を担当した。
 菊田のアイヌ取材の成果が出たのは映画版の第二部である。アイヌのうら若き女性ユミが登場し、主人公・春樹(佐田啓二)を慕う切ない乙女心が描かれる。ユミを演じたのは故・石原裕次郎の夫人、北原三枝(現・石原まき子)だった。(田中幾太郎/ジャーナリスト)
https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-683122.html


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アイヌ文化の授業、道内で広がる 保存会と連携も

2020-11-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/15 05:00
 道内の学校で、アイヌ民族の文化や歴史を授業に取り入れる動きが広がっている。高校の全教科に盛り込んだり、地域のアイヌ文化保存会との連携も進む。アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業により、児童生徒の関心が高まっていることも好機と捉え、深い理解につなげようとしている。
 「なぜアイヌ語に文字がないのか考えてみよう」。札幌市南区の札幌新陽高で10月下旬に行われた国語の授業。細川凌平教諭が約30人の生徒に問いかけた。生徒はグループに分かれ、インターネットで調べながら、「文字が必要なかったのでは」「世界の言語の半数以上は文字がない。アイヌ語もそうだったのかな」などと意見を出し合った。
 細川教諭は「文字は他者を支配するとも言われ、アイヌ民族には必要なかった」など三つの仮説があることを紹介。2年の金山もも花さんは「初めて学ぶ言語は面白かった。アイヌ民族の古老に会って直接話を聞いてみたい」と振り返った。
 授業は2年の「探求コース」の中で10月から12月まで行い、全教科にアイヌ民族に関する内容を取り入れる。理科では植物を使った化学反応によるアイヌ民族の染め物について、英語では世界の先住民族についてなどだ。札幌大の本田優子教授(アイヌ文化)が助言し、細川教諭は「さまざまな分野から学べるよう、試行錯誤したい」と話す。
 私立校を所管する道学事課によると、アイヌ文化を全教科に取り入れる例は「聞いたことがない」。小学校の学習指導要領は本年度から「先住民族であるアイヌの人々には独自の伝統や文化があることに触れるようにする」と明記。中学と高校の指導要領でも来年度以降、同様の内容が盛り込まれる。教科書によって記載される量に差があり、授業にアイヌ民族が関わるかなどは現場任せだ。
 千歳市では一部の学校が行うアイヌ文化学習を来年度以降、全小中学校に広げることを検討中だ。千歳アイヌ文化伝承保存会の支援の下で体験学習などを行い、市企画部は「各校で実施内容をまとめたい」とする。
 千歳市立末広小は1996年からアイヌ文化学習に力を入れる。保存会の協力で、伝統料理や人権問題などを6年かけ計100時間学ぶ。10月には5年生が祭事に使うイナウ(木幣)を作り、保存会の石辺勝行会長(75)は「幼少期から文化に触れることで、アイヌ民族への差別や偏見がなくなる」と期待を込める。
 先住民族教育に詳しい北大大学院メディア・コミュニケーション研究院のジェフ・ゲーマン教授は「先住民族に関して学ぶ機会が増えることは素晴らしい」と評価する。その上で「アイヌ民族の古老や地域を巻き込み、体験型の授業を行えるかが理解を深める鍵になる」と指摘している。(田鍋里奈、金子文太郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/481680


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地名を起点に、地理、日本史、世界史の知識も深まる! 地図研究家・今尾恵介さんに聞く“地名さんぽ”の楽しみ方【後編】

2020-11-15 | 先住民族関連
散歩の達人 2020/11/14 11:00
こんにちは、吉玉サキです。 方向音痴の克服を目指すこの連載。 前回に引き続き、地図研究家の今尾恵介さんに、地名の魅力について語っていただきます。 家を建てるなら、どんな場所を選ぶべき? 方向音痴の今尾さんが、旅先の予習をしない理由は? 今尾さん流・地元の人に怪しまれないように田舎の地名を調査する方法とは? 目からウロコが落ちまくりの後編です!
地名に惑わされちゃダメ? 土地を買うなら見るべきは……
吉玉 : 地名から土地の安全性ってわかりますか? たとえば、この文字がついている地名は危険とか……。
今尾 : いえ、地名で安全性を判断することはできません。たまに「サンズイのついている地名は浸水しやすい」とか言われますけど、そんなことないですよ。たとえば池袋。池にサンズイがついてるけど、ほとんど台地の上で、9割以上は浸水の心配がない土地です。
吉玉 : 地名からわかることもあるけど、惑わされちゃいけないんですね。
今尾 : そう。サンズイの中でも「沼がつく地名は危ない」なんて説もありますけど、昔そこが沼だったとしても、沼に人が住んでたわけじゃない。カッパじゃないんだから。沼を見下ろす小高い場所に集落があって、その地名に沼がつくことも多いんです。
吉玉 : では、家を建てるときどうやって土地を選べばいいんでしょう? 建てる予定はないですが。
今尾 : たとえばこれ、国土地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/)で、土地条件図が簡単に見られますよ。
吉玉 : アプリですか?
今尾 : いえ、サイトです。インストールしなくても、誰でもすぐ見られます。このサイト、「土地の成り立ち」や「土地利用」「地形分類」ってカテゴリがあって、ふつうの地図だけじゃなくいろいろ見られるんですよ。
今尾 : これ、地図に土地条件図を重ねたんですけど、色がついて標高がわかりますね。オレンジ色のところは台地で浸水しないし、黄色いところは自然堤防で少し高いんですよ。昔から続いている川沿いの集落では、そこだけ土砂が堆積して少し地面が高くなっていて、それを自然堤防と呼ぶんです。
吉玉 : 標高が高いところは災害リスクが低いですか?
今尾 : 浸水リスクは低いけれど、場所によっては崖崩れなどがありますね。あと、気をつけたいのは丘陵地。丘を造成したところは、山を削って谷を埋めてるので、削られた場所はいいけど、埋めたところの地盤が緩むんです。
今尾 : これは「地形分類」モードで見た武蔵小杉付近なんですけど、今高層マンションがある場所は、青い帯で示された旧河道がかかっているんですよね。
吉玉 : 2019年の台風19号で浸水したところですね。
今尾 : ここはね、多摩川が氾濫して浸水したわけじゃないんですよ。ここは内水氾濫したんです。通常は雨や下水って、ポンプで河川に流しますよね。だけど、ポンプの能力以上に水が集まると、マンホールから水が噴き上げてしまう。水があふれる場所を知っていると、土地選びも違ってきます。
吉玉 : まったく考えたことありませんでした。
今尾 : まぁ、ほとんどの人はその土地が川だったかどうかなんて調べませんよね。でも、なるべくなら昔から人が住んでいた場所に家を建てた方がいい。そういう土地は価格が高いんですけどね。
吉玉 : 次引っ越すとき参考にします!
海外の地名も面白い! 日本との違いとは
吉玉 : 地図好きの方って、おうちで地図を眺めて空想散歩したりするんですか?
今尾 : 子供の頃からやってますよ。僕が中学生のときに沖縄が復帰したんですが、そのあとは沖縄の地形図が一気に発売されてね。今みたいにネットがないので、本や地図から想像を巡らせていました。
吉玉 : 今はストリートビューも見られちゃうし、想像する楽しみはないかもしれないですね。
今尾 : ストリートビューは、旅行に行くときは見ない方がいいんじゃないですかね。特に海外とかは。事前に見ると楽しみが減っちゃう。
吉玉 : 今尾さんは海外にもよく行かれますか?
今尾 : はい、よく行きます。
吉玉 : 海外でも、地名は気にされますか?
今尾 : しますね。海外の地名も面白いんですよ。スイス語圏とフランス語圏の境目は、お互いの言語が混ざり合った方言のような地名があったり。ドイツでも、ハンブルクなど北部の街は、スペルが北欧風だったりして。
吉玉 : ヨーロッパは地続きだから言語が混ざりますよね。
今尾 : たとえば、フランス語はKで始まる言葉がほとんどないんですね。だけど、フランスのブルターニュ半島には、Kで始まる地名が多いんです。ケルト語の名残なんですよ。
吉玉 : そうなんですね!
今尾 : 欧米は、通りの名称に人名を使うことが多いんですが、政治とともに扱いが変わるんです。わかりやすいのは、かつてたくさんあった「ヒットラー通り」。ドイツの敗戦により、旧東ドイツはヒットラー通りから、マルクス通りやエンゲルス通りに名称を変更しました。そして、90年にドイツが統一したら、今度は17〜18世紀頃の名称に戻した。地名って政治に翻弄されるんです。
吉玉 : 日本だと、政治家の名前の地名って聞かないですよね。
今尾 : 日本はあまり人名をつけないんですよね。例外的なのは、埋立地の鶴見から川崎にかけて。戦前から京浜工業地帯だったところに、埋立事業者の名前がついています。
今尾 : 浅野駅は、浅野財閥の浅野総一郎。安善駅は、安田財閥の安田善次郎の短縮形。武蔵白石駅は、日本鋼管の初代社長・白石元治郎からですね。
吉玉 : 昔の大金持ちですね。日本で人名がついてる地名はここくらいですか?
今尾 : あとは「○○新田(しんでん)」って地名ですね。江戸時代、享保の改革で新田開発を奨励したんです。それまで沼地や台地上はなかなか田んぼにできなかったんですが、その頃から用水路などを作る土木技術が発達して、新田開発が進んだ。
吉玉 : あっ、大昔に習った記憶が……。
今尾 : そういう場所はことごとく○○新田って地名でした。たとえば東京都小平市に多かったのは鈴木新田や小川新田など、開拓者の名前がついたもの。野中新田は、野中さんという商人の名前。例は全国にありますが、出資するかわりに作物の何割かをもらうといった取り決めで、商人や豪商が新田に投資したんですよ。また、日野市の石田新田は人名ではなく、開墾した村の名前ですね。「新田」がつく地名はだいぶ減っていますけど。
吉玉 : (鈴木、小川、石田、野中。どれもモーニング娘。歴代メンバーの苗字だ……!)
今尾 : 日本で人名がつくのはこういう例ですね。欧米ほどはありません。
吉玉 : 日本は出資者や開拓者の名前で、政治家の名前はつけないんですね。
今尾 : さすがにヨーロッパでも、現役の政治家の名前はつけませんけどね。地名になるのは、もう亡くなった偉人です。シャルル・ド・ゴール通りだとか。
吉玉 : シャルル・ド・ゴール、人だったんですね。空港の名前だと思ってました……。そういえば、北アメリカ大陸の最高峰・マッキンリーが、デナリに名前を戻しましたよね。
今尾 : そう。マッキンリーは大統領の名前をつけたものですが、それを2015年に先住民の呼び名であるデナリに変更したんです。世界的に、先住民の言葉に戻す流れは増えてます。ニュージーランド最高峰のマウント・クックも、今は「アオラキ/マウント・クック」が正式名称になりました。「アオラキ」は、先住民族マオリ族の言語で「雲の峰」という意味です。
方向音痴は克服しなくていい。迷子のススメ
吉玉 : 「地名に興味を持つことで方向音痴を克服する」というアプローチは可能だと思いますか?
今尾 : どうでしょうねぇ(笑)
吉玉 : 今尾さんは迷われます?
今尾 : 僕、方向音痴ですよ。
吉玉 : そうなんですか!?
今尾 : ぐるっと回っちゃうと方角さっぱりですね。太陽が出ていれば、ざっくり分かるんですけど。
吉玉 : じゃあどうやって目的地までたどり着くんですか?
今尾 : 地図を見ます。
吉玉 : 地図を見れば迷わないですか?
今尾 : 僕はそうですね。地図見ても迷うって人もいますけど、店名が書いてあるぐらい大きな縮尺の地図にすれば、ほとんどの人は大丈夫だと思いますよ。
吉玉 : 私はそれでも危ういときがありまして。この連載を始めて、最近はだいぶ地図に慣れてきましたが……。
今尾 : でも、方向音痴って克服しなくてもいいと思いますよ。迷うって楽しいことでもあるので。僕もね、地図を持たずに初めての街を歩くんですよ。
吉玉 : えっ、元の場所に戻れますか?
今尾 : 戻ってこられないこともあります(笑)それが楽しいじゃないですか。意外なところにたどり着いたり、あとで地図を見て「こういうところだったのか!」って復習するのも楽しい。
吉玉 : たしかに。原稿書くとき、ロケで歩いたところを復習すると楽しいです。
今尾 : あとはね、迷ったら人に聞くといいですよ。拒否されることもありますけど、そういうときは別の人に声をかければいいので。道は、犬の散歩してる人に尋ねるといいですよ。だいたい地元の人だから。
吉玉 : 私、家の近所で迷子になったとき、犬の散歩してるおばあさんに知ってる通りまで連れていってもらいました。
今尾 : いいですね。今の若い人は、子供の頃に「知らない人と話しちゃいけません」って教育されてるでしょう。でもね、怪しい人って会ってみなきゃわかんないんですよ。見た目は怪しげだけどマトモとか、マトモに見えるのに微妙に危ないとか、いろいろな人がいる。それを学ぶためにも、子供のうちから知らない人と話したほうがいいと思うんです。
吉玉 : 人を見る目とコミュ力が養われそうです。
今尾 : 僕は地方に行くと、観光地でもなんでもないところを歩くので、よく怪しまれるんですよ。そんなときは挨拶をします。地名の取材のときは「こんにちは。ここの地名って面白いですね」とか。由来を尋ねたら教えてくれたり、地名に詳しい人を紹介してくれたりしますよ。
吉玉 : 田舎に行くテレビ番組みたい……!
今尾 : ずっと前にJTBの「旅」という雑誌で地名の連載をしたとき、山形県の無音(よばらず)ってところに行ったんです。田んぼで地元の人に地名の由来を尋ねたら、「あそこの人が詳しい」と教えてくれて、その人の家を訪ねたら、こたつに入れてくれてお茶も出してくれて。そこで、地名の由来となった伝説を教わりました。昔、沼の主を怒らせないよう音を立てずに歩いたから無音って地名だそうです。もしかしたら後付けの伝説かもしれないけれど、語り継がれてること自体が貴重なんですよ。
吉玉 : そういう取材、憧れます!
今尾 : 旅の出会いもいいものですよ。ネットで下調べをしていくと、ネットの範囲内しかわからない。あえて予習しないほうがいいかも。
吉玉 : 方向音痴の大先輩のお話を聞けて、とても心強いです。
今尾 : いいんですよ、方向音痴で。たまに「地図を回すのはダメ」って言う人いるけれど、それぞれやりやすいようにやればいいと思います。地図はそのための道具なのだから。
「社会科で習ったけど思い出せない言葉」をスラスラと口にする今尾さん。「享保の改革」とか、聞いただけで脳がビリビリしました。テスト前に覚えた気がする……。私も今尾さんのような、インテリジェンスあふれる大人になりたいものです。
また、この連載ではじめて自分以外の方向音痴さんと出会えたのもうれしかったです。方向音痴さんに「迷子になるのも楽しい」と言っていただけると、説得力がありますね。たしかに、仕事のとき迷子になるのは困るけれど、時間がたっぷりあれば迷子も楽しめるかも。オフの日、迷子前提でお散歩してみようかな。
 
さて、次回は方向音痴にいいと評判のアプリを試してみます! 吉玉は渋谷のダンジョンから抜け出せるのでしょうか?
取材・文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)
https://news.goo.ne.jp/article/san_tatsu/trend/san_tatsu-68080.html

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アイヌの娘とアイヌじゃない父 アイヌ語復興への確執と葛藤

2020-11-15 | アイヌ民族関連
クリエイター 2020/11/14 ドキュメンタリー

北海道の先住民族であるアイヌ。アイヌ語は今、消滅の危機にさらされている。母語として話す人は一人もいない。そんななか、YouTubeを使ってアイヌ語講座を発信する一人の大学生がいる。関根摩耶さん(21歳)だ。父の健司さん(49歳)は長年アイヌ語の復興に尽力してきたが、兵庫県出身でアイヌではない。ともに復興に取り組むものの、摩耶さんが幼いころからぶつかり合ってきた。父娘の葛藤を追う。
★「極めて深刻」な状態のアイヌ語
2009年、国際教育文化機関(ユネスコ)は、消滅危機にある言語の中でアイヌ語は「極めて深刻」な状態であると認定した。アイヌ語が話せたのは明治生まれの人たちまでで、それ以降、「覚えてもいいことはない」と家庭で教えることはなくなったという。長い差別の歴史のなかで、アイヌ語は急速に失われていった。自在に使って会話する風景はもうない。
今年7月には、北海道白老町にアイヌをテーマにしたウポポイ(民族共生象徴空間)が開業。アイヌの少女が主人公の漫画『ゴールデンカムイ』の人気や、阿寒湖のアイヌコタンが舞台の映画『アイヌモシリ(リは小文字)』がトライベッカ映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、アイヌ文化へ注目は集まる。アイヌ語への関心も高まりつつあるが、失われた言葉を取り戻すにはまだまだ道のりは遠い。
★YouTuber女子大生とアイヌ語講師の父
そんななか、関根摩耶さん(21歳)は、YouTubeを使ってアイヌ語講座を発信している。摩耶さんは現在、慶應義塾大学の3年生で、アイヌ語やアイヌ文化を学ぶゼミに所属している。摩耶さんは、人口のおよそ75%がアイヌにルーツがある北海道平取町二風谷の出身で、本人もアイヌの血を引いている。大学1年生の時に始めたYouTubeの「しとチャンネル」は、現在までに20万回以上再生されている。
長い差別の歴史のため、アイヌであることを隠す人もいるなか、摩耶さんは隠すことなく積極的に発信を続ける。アイヌ語を伝えていくためには、重要な存在だ。
摩耶さんの父、関根健司さん(49歳)も、復興に尽力している。二風谷アイヌ語教室・子どもの部の講師として活動し、今年からは平取町教育委員会でアイヌ語のスペシャリストとして働いている。健司さんとアイヌ語との出会いは、偶然のものだった。
健司さんは兵庫県の出身で、アイヌではない。「21年前に旅行でやってきて、そのまま居ついたって感じです」と健司さんはいう。バイクで日本一周の旅に出かけ、たまたま立ち寄ったのが二風谷だったのだ。そこでアイヌの血を引く真紀さんと出会い結婚。そして、摩耶さんが生まれた。「学歴もなく、仕事もないので、初めは親戚に紹介してもらって働いていました」と健司さん。造園業や林業などの仕事を15年ほど続けながら、コツコツと一生懸命に学んでいたのがアイヌ語だ。
アイヌの娘とアイヌではない父による取り組みは、大きな注目を集めている。
★アイヌから離れたかった時期と、父親への反抗期
父と娘のこれまでの関係は決して平坦なものではなかった。
子どもの頃の父と娘はとても仲がよく、どこへ行くにもいつも一緒だった。健司さんの指導もあり、摩耶さんが小学校2年生のときにはアイヌ語弁論大会・子どもの部で優勝。アイヌ語の復興へ向けて、明るく光る希望の星だった。しかし、摩耶さんが小学校の高学年になると、仲の良かった親子の関係は急速に悪くなっていく。
摩耶さんの母で、アイヌ工芸家の真紀さんは、「健司さんは厳しい人で、二風谷でもこんなに厳しい人はいないっていうくらい厳しかった」と話す。摩耶さんも「10歳くらいには、反抗期になっていましたね」と振り返る。二風谷では手仕事が盛んで、周囲の大人たちは「勉強なんてする必要がない」ということが多かった。そんななか、教育熱心で厳しい父に摩耶さんは反発していったという。
アイヌ語弁論大会で優勝した後、摩耶さんに対する周囲からの期待は自然と高まっていた。「大きくなったらアイヌのどんなことをするの?」という何気ない質問も、小学生の摩耶さんにはプレッシャーになっていったという。「アイヌから少しだけ離れてみたくなった時期と、父親への反抗期が重なった」と当時を振り返る。
早く家を出たい気持ちが強くなった摩耶さんは、中学校から一人で地元を離れ、高校は札幌へ進学。娘が父と話さない期間は6年にもなった。アイヌ語の未来どころか、自分たちの未来に対して「私たち家族はどうなっていくんだろう?」と真紀さんは涙を流した。
★ルーツを持つ娘と、持たない父の雪解け
父と娘の関係がようやく修復に向かったのは、摩耶さんが高校3年生のことだ。
二風谷の人たち全員がアイヌ語で話をするような未来は、誰も思い描けない。「父が一人で頑張っているように感じた」と摩耶さんは言う。他人にも、自分にも厳しい父が、孤独にアイヌ語と向き合っている姿を見て、摩耶さん自身も再びアイヌ語を学び始めた。
摩耶さんは、大学進学を機に関東に引っ越した。1年生の時、札幌のラジオ局でアイヌ語講座の講師を務めることになり、健司さんが支援研究者という形で協力をした。ラジオの収録のために北海道に帰るたび、父と一緒に過ごす時間が増えたという。
このことがきっかけとなり、一緒に出かけたり、会話をしたりするようになった。
もちろん、全てが解決したわけではない。健司さんは「中途半端に真剣にやってるフリが一番腹立つ」と、摩耶さんのYouTubeの投稿頻度にも口を出す。摩耶さんも「YouTubeに関する感覚とか、アイヌ語を載せるという感覚も、お父さんとは違う」と応酬。そして父と娘に、険悪な空気が流れる。
真紀さんは、「健司さんは、アイヌである摩耶にアイヌ語をやってほしいと思っている」と話す。ルーツを持たない健司さんよりも圧倒的に活動しやすいからだ。真紀さんはこう言って笑う。
「自分にできないことを本当は摩耶にやってほしい。アイヌである摩耶ならできることがあると思う。でも2人は似ていて、いつもぶつかる。父ちゃんが期待している通りに摩耶がなって、2人がいい感じになるのは死ぬ前ぐらいじゃない?」
摩耶さんは言う。
「私にしかできないものがあって、でも私がそれを本気でやろうとしないところに父はムカついているんだと思います。でも私にとっては、いろんなことのバランスがある。アイヌのことを楽しいって思えるのは、地域のみんなや親がアイヌのことを楽しんでいたからなんですよ。プレッシャーに感じずに、アイヌとして楽しんで生きられるってたぶん幸せなことなんですよね」
今も時にぶつかり合う父と娘。だが取材を通して、健司さんはこう話した。
「最終的には一人で生きていけるという力。俺が今死んだとしても、きっと生きていけるでしょうね。後はもう、望むことはないです」
クレジット
監督・撮影・編集 : 山田 裕一郎
プロデューサー  : 前夷 里枝
https://creators.yahoo.co.jp/yamadayuichiro/0200084889

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