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ウポポイ効果、観光客増 白老 コロナ禍でも健闘

2020-11-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/21 05:00
 【白老】胆振管内白老町のまとめによると、本年度上半期(4~9月)に町内を訪れた観光客数は延べ100万2460人となり、前年度同期比で2・4%増えた。新型コロナウイルスの影響で道内の観光地が苦戦する中、町は7月12日のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業が上積みにつながったとみている。
 町が集計する観光客数は、町内の観光、飲食、宿泊施設など約140カ所を対象に聞き取った数字を単純合計した延べ人数。
 本年度上半期の内訳は、日帰り客が5・4%増の97万3799人となった一方、宿泊客は48・3%減の2万8661人だった。日帰りは約10万3千人を集めたウポポイや、近隣の観光施設がけん引した。宿泊施設は4、5月に休業が相次いだため低迷したものの、ウポポイ開業後は回復傾向にあるという。
 前年度の観光客数は、町アイヌ民族博物館がウポポイ開業を控え2018年3月に閉館した影響が出ており、その反動で増えた側面もある。それでも町は「コロナ禍の中では一定の評価ができる。今後は感染収束を見据えた集客に力を入れたい」(経済振興課)と期待している。(斎藤佑樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/483878

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石狩の旧・現53校、校歌をHPで公開 郷土研究会、4年半かけ収集

2020-11-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/20 21:17
 【石狩】石狩市郷土研究会(村山耀一会長)は、明治期以降の市内小中高全59校のうち、閉校した35校と現存する18校計53校の校歌の記録を集め、市内在住の歌手らに演奏・歌唱してもらって録音した校歌を同会のホームページで公開している。閉校した学校の校歌の記録は、卒業生を訪ねて探すなどして4年半かけて収集した。同会は「多くの人に『心のふるさと』を懐かしんでほしい」と話している。
■記憶の旋律頼りに採譜 オペラ歌手ら歌唱
 校歌集めは、統廃合が進む市内の学校の歴史を残そうと、2016年4月に始まり、同会内に校歌部会を発足させた。旧石狩小の前身の寺子屋が1871年(明治4年)に本町地区に開設して以降、市内に記録が残る59校を対象にした。
 41校は閉校しており、このうち12校分は歌詞はあっても楽譜が見つからず、会員らが捜索を開始。町内会の回覧板や市広報誌、新聞などで卒業生らに協力を呼び掛け、連絡をくれた人を訪問して、口ずさんでもらってメロディーを楽譜に起こす「採譜」作業を重ねた。41校のうち、樺太アイヌのために建てられた庁立来札尋常小(1904~06年)など6校は、卒業生らの情報から、校歌がなかったと判断した。
 採譜した元音楽教師の高橋たい子さん(64)は「卒業生1人では思い出すのが難しくても、同級生らに集まってもらうと自然と口を突いてメロディーが出てきた」と振り返る。「校歌は心のふるさと。校舎がなくなっても、校歌さえ残っていれば友だちや先生の顔が思い浮かぶ」と話す。
 集めた楽譜は関係者らに演奏・歌唱してもらって録音した。現存する学校は各校の児童・生徒が、閉校分は、市内の元地域おこし協力隊員のオペラ歌手今野博之さん(43)と妻くる美さん(43)が歌唱とピアノを務めた。
 校歌の捜索にも協力した今野さんは「協力隊時代に見た市内の風景や人を思い浮かべて歌った。歌えて幸せだった」と話す。よみがえった校歌の録音を卒業生に確認してもらうと、涙を流す人もいたという。
 校歌部会長の土井勝典さん(75)は「校歌には郷土への思いや子どもの成長への願い、教育への希望が込められていると感じた。遠く離れた人も、ホームページで校歌を聴いて懐かしんでほしい」と期待する。
 同会は、楽譜と歌詞をまとめた校歌集も作成した。校歌集を希望する人は村山会長(電)0133・72・7489へ。(水野可菜)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/483837

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<コロナ 私の思い>オンラインの旅楽しんで 原田香苗さん(42)=釧路市 観光クリエーター

2020-11-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/20 10:29
地元の釧路市を拠点に、観光列車やバスのガイドのほか、ツアーコースの提案など観光全般に関わる仕事をしています。新型コロナウイルスの収束が見通せず、「観光に来てください」と気持ち良く言えないのがもどかしいです。
 JR釧網線の臨時観光列車「くしろ湿原ノロッコ号」は、7月中旬に約2カ月半遅れで運行を始めました。感染者が出ることに不安を抱えたままガイドとして乗車しましたが、沿線で手を振る人を見て自然と笑顔になりました。
 市内のバス会社がオンライン会議システム「Zoom(ズーム)」によるツアーを計画し、私はその内容を監修しています。事前にアイヌ民族の楽器ムックリ(口琴)やお菓子を郵送し、ズームによるライブ映像を見ながら、一緒に楽しんでもらうのです。
 観光の現場はオンラインへと広がり始めています。コロナをきっかけに、誰もが観光を身近に楽しめればと願っています。(長堀笙乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/483534

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動画:アマゾン先住民族居留地、コロナ感染拡大「完全に制御不能」

2020-11-21 | 先住民族関連
AFPBB News 2020年11月20日 11:00 発信地:サンパウロ/ブラジル [ ブラジル 中南米 ]

【11月20日AFP】ブラジル・アマゾン(Amazon)の熱帯雨林で暮らす先住民族ヤノマミ(Yanomami)の居留地で、新型コロナウイルスの感染拡大が「完全に制御不能」となっており、感染者数は3か月で4倍近くに増加している。先住民の権利擁護団体が19日、報告書で明らかにした。
 20世紀半ばまで文明と隔絶した生活を送っていたヤノマミは、アマゾンの熱帯雨林で暮らす他のすべての先住民族と同じく、外界の病気にさらされたことがほとんどなく、1970年代には麻疹(はしか)やマラリアなどの流行で大きな被害を受けた。
 報告書によると、ヤノマミの居留地で確認された新型ウイルス感染者数は、8月に335人だったが、10月には1202人に急増した。死者は、感染が疑われる例を含め計23人に上る。一方、ブラジル保健省は、ヤノマミ居留地の感染者を1050人、死者を9人と発表している。ヤノマミ居留地では、4月に最初の感染者と死者が確認された。
 先住民族の村でソーシャル・ディスタンシング(対人距離の確保)は不可能で、ヤノマミが先住民族イェクアナ(Ye'kuana)と共有し、約2万7000人が暮らす居留地では、人口の3分の1以上に当たる約1万人が新型ウイルスにさらされたという。報告書は、「状況は完全に制御不能だ」と述べている。
 先住民の権利擁護団体は、ヤノマミ居留地に新型ウイルスを持ち込んだのは違法採金業者だと主張。この問題に対処できていないとして、極右のジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領を非難している。
 映像は健康診断を受けたりマスクを受け取ったりするヤノマミの人々。6月30日と7月1日に撮影された資料映像。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3317010

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朝ドラ『エール』モデル・古関裕而と菊田一夫の快進撃「イヨマンテの夜、君の名は。そして舞台へ」

2020-11-21 | アイヌ民族関連
婦人公論 11/20(金) 12:01
NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)だ。今週は、娘・華と宮沢氷魚演じる入院患者の恋模様を主旋律にしつつ、裕一の様々な分野での活躍が描かれた。北村有起哉さん演じる池田二郎(モデルは菊田一夫)とのタッグもラジオドラマから舞台の世界に移る。古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によれば、古関が菊田に言い返したことがあったようでーー。「イヨマンテの夜」「君の名は」の誕生秘話と併せて、当時を振り返る
※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです
* * * * * * *
◆伊藤久男の採譜から生まれた「イヨマンテの夜」
古関と菊田一夫とのタッグで大ヒットしたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(昭和22〔1947〕年7月開始)。その物語の中で、奥多摩の山奥で木材を切る杣人(そまびと)が歌を口ずさみながら少年院の前を通る場面があり、伊藤久男(山崎育三郎演じる佐藤久志のモデル)が豪快に「アア……」とハミングで歌った。杣人が登場する場面は五日くらいであったが、古関と菊田一夫はこのままにするのを惜しいと感じた。
だが、伊藤によれば、「鐘の鳴る丘の北海道編で、古関さんが即興的にハモンドオルガンで流したんですよ。ちょうどたまたま私ラジオを聴いておりまして、この曲はいけるというんで、すぐに譜を採りまして、それで二三日して古関さんに見せたところが、二三日前に自分で即興で流した曲ね忘れてんのよ。いい曲だねこれ誰の曲」という調子であったという(「第24回輝く日本レコード大賞」1982年)。
このように語る席の隣には古関がおり、嘘をついているとは思えない。となれば、古関が即興で弾いた曲を伊藤が採譜し、それが杣人の歌になったと考えるのが自然のようだ。ラジオを聴いていた伊藤が書き残していなければ、「イヨマンテの夜」は別のメロディーになっていたかもしれない。菊田のラジオドラマ「黒百合夫人」というアイヌ関係の音楽を担当していたこともあり、古関は杣人の歌をアイヌの歌にアレンジすることにした。
NHK資料室長小川昴に熊祭りなどの儀式に使うアイヌ語を調べてもらい、「カムイ・ホプニナ・ア・ホイ・ヨー」を選んだ。これに合わせて冒頭も「アーホイヨーアー」とした。
この作曲について古関は、「難しいことも第一級で、リズムが十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディーには三連音符が多く現れる二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みをねらってある」と述べている。アイヌ音楽が念頭に置かれたためか、独特な拍節やリズム感があらわれている。
◆「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」
音楽学校でクラシックを学んだ伊藤は、レコード吹き込みを完璧にこなした。このときの歌唱力について古関は、「彼の表情(ママ)は作曲者が考えてた時よりも、更にすぐれており、その時の表現は、歌謡曲的よりも、むしろ芸術的に高まっていた」と感心している。
「イヨマンテの夜」は昭和25年1月に発売されたが、コロムビアの文芸部長伊藤正憲から「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」といわれ、ほとんど宣伝してもらえなかった。しかし、伊藤は「私の勘は大抵はずれることがないのだが、あればかりはわからなかった。完全にシャッポを脱いだ」と後年に述べている。
その後、この歌を気に入っていた伊藤久男がラジオや舞台でよく歌ったため、人気に火がついた。昭和21年1月にNHKで始まった「のど自慢素人音楽会」(翌22年に「のど自慢素人演芸会」と改称)では、難曲にもかかわらず、挑戦する者が少なくなかった。
◆大人向けのメロドラマ「君の名は」
菊田と古関のコンビで「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」と子供向けの番組をヒットさせたが、それらの後には大人向けのメロドラマを作ることとなった。それが戦前の「愛染かつら」に対し、戦後の「君の名は」といわれた傑作である。
「君の名は」は、昭和27年4月10日から同29年4月8日まで、毎週木曜日の午後8時30分から午後9時までの30分放送された。古関は、この番組用に約500曲を作曲している。同名主題歌は、古関の意向で、妻金子の友人である高柳二葉(たかやなぎ・ふたば)が歌った。高柳は、藤原歌劇団に所属し、東洋音楽学校本科声学科講師であった。
主題歌はドラマの場面に合わせて、一番は佐渡、二番は東京、三番は志摩と、使いわけていたが、放送二年目を迎えると一番だけを歌った。テンポが遅く、長い音価が多く用いられている。
物語は、昭和20年5月24日の空襲の夜、銀座の数寄屋橋で主人公の氏家真知子(うじいえ・まちこ)が後宮晴樹(あとみや・はるき)に助けられるところから始まる。両者は半年後に再び、その橋で会うことを約束して別れる。晴樹が「君の名は」と聞くが、再び空襲警報が鳴り、真知子は答えることができなかった。
そして、11月24日に晴樹は数寄屋橋に来るが、真知子は両親を空襲で失い佐渡に向かっていたため、約束の場所に行くことができなかった。真知子は命の恩人である晴樹が鳥羽の人であることを知り、鳥羽まで行くが会うことはできない。
その後、真知子は浜口勝則と結婚するが、彼と晴樹が同じ勤務先であったため、悲劇的な再会をはたす。浜口は両者に絶交を迫り、勤務先を辞職に追い込まれた晴樹は北海道へと渡る。それを真知子は追うが、浜口に訴えられる。真知子は晴樹との絶交を受け入れ、浜口の訴えを取り下げさせる。そして、九州雲仙のホテルで働くこととなる。
◆銭湯から女性客が消えた?
放送開始から半年が過ぎ、聴取者から真知子と晴樹のすれ違いに同情が集まると、人気が出てきた。聴取率は45%を超え、当初1年間であった放送予定を2年に延ばした。昭和28年1月から、番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という、鎌田弥恵のナレーションが流れた。
松竹で映画化するときには「毎週木曜日夜八時になると街の銭湯の女湯がガラあきになる」との宣伝文句を作った。実際に「女湯がガラあき」になったかは、はっきりしないが、「君の名は」を聴くため、銭湯へ時間をずらして行っていた人は多かっただろう。
松竹映画の「君の名は」は、昭和28年9月15日に第一部、12月1日に第二部、昭和29年4月27日に第三部が公開された。真知子は岸恵子、晴樹は佐田啓二が演じた。北海道の場面で頭や耳を寒さから防ぐため、真知子がストールを肩から一周させていたのが「真知子巻き」と呼ばれ、それを真似する女性が増えた。「君の名は」は社会現象となったのである。
映画の第一部では織井茂子「君の名は」、伊藤久男「君いとしき人よ」、第二部は岡本敦郎と岸恵子「花のいのちは」、織井「黒百合の歌」、第三部は織井「君は遙かな」、伊藤「忘れ得ぬ人」「数寄屋橋エレジー」、淡島千景「綾の歌」という、主題歌と挿入歌が生まれた。いずれも、作詞作曲は菊田と古関のコンビであった。
◆歌謡曲から舞台へ
昭和30年(1955)の夏、古関は例年どおり避暑地の軽井沢で過ごしていたが、その商店街で菊田一夫と偶然出会った。菊田は、東宝の小林一三から頼まれ、同社に重役として入社し、演劇部門を担当することになったと報告した。そして、舞台音楽について「古関さん、よろしく頼みますよ」といわれた。これにより古関の作曲活動は、歌謡曲から舞台へと移行することとなる。古関46歳であった。
菊田と古関のコンビによる最初の東宝ミュージカルは、昭和31年2月9日に東京宝塚劇場で開演された「恋すれど恋すれど物語」であった。ところが、舞台の初日に古関は倒れている。診断の結果、胃潰瘍であり、五反田の関東逓信病院に入院し、胃の三分の二を摘出する手術を受けた。
菊田は脚本が遅いことで有名であったが、古関はそれによく応えた。昭和32年9月の公演は「泥棒大将」と「メナムの王妃」の二本立てであった。このときは舞台稽古の日に、舞踊シーンの一時間前に歌詞が渡された。
古関が編曲のオーケストラの楽譜を書いていると、菊田が「作曲は、どうしたッ!」と怒鳴った。これには温厚な古関も「そんなに早くできないよ。今、もらった原稿ですからね」といい返した。両者が言いあったのは、このときだけだったという。
とはいえ、戦前から流行歌づくりに苦労してきた古関にとって、菊田の誘いで舞台音楽での仕事が中心になったことが、渡りに船であった。ミュージカルなどの舞台音楽では、古関のクラシックの素養を生かすことができたのである。
刑部芳則
https://news.yahoo.co.jp/articles/16cc262ffa2d92dc55407e8ab8a9aa57bcb8b4f8

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京大の琉球遺骨返還問題、別の学者が74体収集 大学側の「手続き経た」根拠揺らぐ

2020-11-21 | ウチナー・沖縄
京都新聞 11/20(金) 11:01

 京都帝国大が戦前に沖縄の墓地から収集した遺骨を沖縄県の一部住民らが返還を求めている問題で、現在京都大が保管している26体は、1体を除き京大が説明している金関丈夫・医学部助教授(のち台北帝国大教授、九州大教授)が収集した遺骨ではなく、医学部の三宅宗悦講師が収集した約70体の一部であることを、同志社大の板垣竜太教授(文化人類学)が突き止めた。
 京都帝大医学部は戦前、アイヌ民族や少数先住民族の遺骨を収集しており、うち沖縄県今帰仁(なきじん)村にある百按司(ももじゃな)墓から持ち出した遺骨については、沖縄県出身の大学教授らが京大に返還を求めた訴訟が京都地裁で係争中。
 京大側は、1929年に京都帝大医学部の「金関助教授が持ち出した人骨」を保管していることを認めつつ、金関氏の随筆に基づき「当時必要と考えられる手続きを経た」として犯罪行為ではないと主張してきた。京大が保管している遺骨は別のルートで集められたものが大半だとすれば、京大側の主張が揺らぐことになる。
 板垣教授はこのほど、金関助教授の調査から4年後の33年に京大医学部の三宅講師(44年戦死)が奄美大島と沖縄本島で人骨を収集したとの文献や、同講師の遺品を調査し、三宅講師が所属した清野謙次教授の教室による人骨コレクション番号と、2004年京大総合博物館調査で判明した琉球人骨26体に付されていた番号を照合。このほど論文にまとめた。
 その結果、京大の人骨コレクションは、解剖学教室系統の金関コレクション(70~80体)とは別に、三宅講師が収集した奄美人骨81体、琉球人骨71体が「清野コレクション」の一部として終戦ごろは京大に存在したことを明らかにした。
 清野教授も沖縄遺骨を収集したのは三宅講師と論文で明かしている。一方、故金関氏は、沖縄で集めた人骨を京大から赴任先の台北帝国大(現在の台湾大)へ運んだと、戦後の論文で振り返っている。遺骨をすべて台湾へ運んだのか、一部は京大に残したかは不明だが、台湾大は昨年、沖縄県教育委員会に遺骨63体分を返還した。
 19日に京都地裁で開かれた琉球遺骨返還訴訟の口頭弁論で、京大側は、「三宅講師が沖縄県内国頭、中頭、島尻等から人骨を採集した事実は認める」とし、現在保管している遺骨が三宅講師収集かは「争わない」とした。また京大側は、三宅講師が沖縄県本部町渡久地の墓で収集した人骨を占有していると、初めて認めた。
■遺骨の保管状況が不透明 求められる調査、情報公開
 旧帝大医学部は戦前、人類学研究のために旧日本領の先住民族らの墓地から遺骨を収集した。北海道などのアイヌ墓地から収集された遺骨については、訴訟和解を経て北海道大などが現地のアイヌ民族団体に返還する例が積み重ねられている。同志社大の板垣竜太教授がこのほど発表した論文は、戦前の京都帝国大医学部による沖縄での遺骨収集について、大学の検証姿勢を問い掛けている。
 京大は、戦前に各地から収集した遺骨を何体保管しているのか、アイヌ遺骨を除き明らかにしていない。沖縄の墓地から金関丈夫助教授が収集したものだけでなく、三宅宗悦講師が収集した遺骨も保管していることを、京大も19日、京都地裁で認めた。
 文部科学省は2012年、各大学にアイヌ遺骨保管状況の報告を求めている。この時点までにアイヌ遺骨だけでなく、琉球遺骨を含めて約1400体分あったとされる清野謙次教授のコレクション全体を京大が調査していれば、保管している琉球遺骨26体は、金関助教授収集ルートではないと判明していた公算が大きい。
 これまで問題になってきた金関コレクションの琉球人骨数70~80体の行方とは別に、三宅講師が集めた70体以上が京大に戦前あったことは、保管のずさんさや不透明さの表れといえる。
 板垣教授の調査によると、三宅講師が収集した遺骨は、奄美諸島の墓地からの持ち出しを含めれば150体以上が京大にあった。板垣教授が鹿児島大所蔵の三宅講師の遺品から発見した記事スクラップには当時の地元紙「沖縄日報」の記事があり、「本島人種研究のために来県中の三宅京大講師は(中略)国頭、中頭、島尻三郡を踏査し六、七十点の人骨を蒐集(しゅうしゅう)一先づ旅館に落ち着いた」(1933年12月29日付)などと記されていた。また三宅講師が教室に所属した清野教授の論文(49年)によると、コレクションのうち沖縄で蒐集した人骨は番号を付け、発見地名を百按司(ももじゃな)墓、渡久地、知念村のナワンダ穴などと明記。沖縄分は古人骨が乏しいことも書き残している。
 板垣教授は「三宅講師の奄美調査についてのエッセーでは、拝む人がいるので人骨を返したと書きながら、清野コレクションにはその墓から持ち出した人骨10例が記載されている。礼拝者の存在を認識しながらも、遺骨を持ち去ったケースもあると考えられる」と話す。
 京大には、清野コレクション全体についての情報公開や資料調査が望まれる。
(肩書きはすべて当時)
https://news.yahoo.co.jp/articles/773dcba4a3cd4e93032ef86d4de6d4fd073da327

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TEAM NACSがアイヌ文化を体験しながら謎解きゲームに挑む!『ハナタレナックスSP』12・9放送【コメントあり】

2020-11-21 | アイヌ民族関連
テレビライフ 11/20(金)

HTBの深夜バラエティ番組『ハナタレナックス』が、昨年に続き2度目となるゴールデンタイムに進出。12月9日(水)後7時から『ハナタレナックスSP ウポポイに隠された美しき宝を探せ!』が放送される。
番組では、2020年7月、北海道白老町ポロト湖畔に誕生した新スポット・民族共生象徴空間「ウポポイ」を舞台に、オフィシャルサポーターを務めるTEAM NACS(森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真)の5人が広大な敷地を駆け回り、謎解きゲームに挑みながら施設の魅力に迫る。
オフィシャルサポーターを務める5人が初めてそろって「ウポポイ」に集結。実は企画内容を一切知らされていない彼らは「TEAM NACSの皆さん、ようこそ我がウポポイへ!広大な敷地に隠された謎を解き、美しき宝を探し出してください!」という謎の声に導かれるように、謎解きゲームに奔走することに…。
「イランカラプテ(こんにちは)※プは小文字」 「イヤイライケレ(ありがとう)」などの基本的なアイヌ語から、伝統舞踊に楽器、工芸、風習、そして絶品料理まで、魅力あふれるアイヌ文化を体験しながら、さまざまな謎を解き明かしていく新感覚のミステリーツアーを楽しむ5人。でもそんな中、5人が知りたいのはなぜか「ハゲ」を表すアイヌ語で…。
ウポポイに隠された美しき「宝」とは?謎を解き明かすカムイの紋章とは?そして最後に、衝撃のサプライズが5人を待ち受ける。
TEAM NACSが語る番組の見どころとメッセージ
◆ウポポイの雰囲気は?
大泉洋:(収録のこの日は)あいにくの天気でね~ちょっとね~。私はいつどこに行ってもこんな天気です。私が東京にいた時もずっとこんな天気。やっと北海道に来たら北海道もこんな天気。私とともに雲が移動している(笑)。ウポポイは、なかなかすてきな建物ですね。アイヌの皆さんの踊りを見て、感動しました。
安田顕:楽しいね。きょうも楽しいけど、晴れた時にポロト湖を見ながら散策したり、いろんな施設を見て回ったりすると、より楽しい気がしますね。
◆今回、ウポポイで謎解きに挑戦していますが、謎解きは順調?
大泉:順調ですね。簡単だな!結構。
森崎博之:お前が言うのか!(笑) お前何した?
大泉:なんでよ?みんなで解いてんじゃん。
森崎:みんなで解いてるけど、お前解いてないぞ。
大泉:まぁ今回も割と音尾君が頑張っていますよ。
音尾琢真:そうですね、まあ知性担当なので(笑)。
◆2度目のゴールデンタイム放送への意気込み
戸次重幸:今回は、ウポポイのオフィシャルサポーターっていう側面がありますから。数字 (視聴率)とか、そういう下世話なものは関係ないですよ。
大泉:そうですよ!やめてほしいね、そういうこと言うのは。
戸次:ちゃんとウポポイのことを伝えられればいいね。
大泉:ウポポイの魅力を伝えられればそれでいいんだよ!何が数字だよ!
◆視聴者の皆さんへ
森崎:いつもありがとうございます。この度、2回目のゴールデン放送ということで夜の見やすい時間帯に移動しての放送になります。私たちがオフィシャルサポーターを務めておりますので、ウポポイの魅力を余すところなくお伝えさせていただきます。絶対見てください!
安田:ぜひ、ご覧ください!
戸次:アイヌ文化の再発見、楽しいです。ぜひご覧ください。
大泉:我々チームナックスがオフィシャルサポーターを務めますウポポイを、余すところなくご紹介しております。これからもどうぞ、大泉洋をご覧ください!
音尾:ウポポイ、この冬、一番いいスポットです。お待ちしています。

『ハナタレナックスSP ウポポイに隠された美しき宝を探せ!』
HTB(北海道ローカル)
2020年12月9日(水)後7時~8時
<出演者>
TEAM NACS(森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真)
ナレーター:谷口直樹(HTBアナウンサー)
番組ホームページ:https://www.htb.co.jp/hanatare/golden2/
https://www.tvlife.jp/variety/332498

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映画祭、最終選考に選出 知名度アップ期待【阿寒湖温泉】

2020-11-21 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2020.11.20

動画のワンシーンで「声が出るうちは頑張って歌いたい」と語る日川さん
釧路市と阿寒アイヌ工芸協同組合(西田正男代表理事)が製作した阿寒湖温泉のプロモーション動画が、世界最大級の「バンフ・マウンテン・フィルムフェスティバル」(カナダ、10月31日~11月8日)の最終選考に選出された。受賞こそ逃したものの、その完成度の高さから冬の阿寒湖温泉とアイヌ文化の知名度アップに大きな期待が寄せられている。
 同フェスは、南極大陸を含む全大陸30カ国以上で行われ、世界中で約25万人のアウトドアファンが参加する。日本でも各地で関連イベントを行うツアーが実施されているが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大のため中止となった。
 ノミネートされた動画は、阿寒湖アイヌコタンに住む「フチ(尊敬されている年長者)」で、現役歌い手の日川菊子さんにスポットを当てたドキュメンタリー。日川さんが受け継いできたアイヌ文化の伝統や次世代に対する思いの独白とともに、阿寒湖温泉の日常や厳しくも美しい冬の自然が視聴者を魅了する。
 国のアイヌ政策推進交付金による「アイヌ文化関連観光プロモーション事業」の一環で作製し、事業費は約1500万円。映像製作などを手掛けるアメリカの「CAMP4 COLLECTIVE」が、今年1月下旬から2月中旬にかけクルー4人で撮影した。同社フェイスブックで8月に公開すると、外国人を中心に1カ月で約14万回の再生を記録したという。
 今回のノミネートに、阿寒湖アイヌシアターのプログラム「ロストカムイ」のクリエイティブディレクターで、企画を統括してきた坂本大輔さんは「作品を通じてアイヌ民族と和人が共生する自然豊かな阿寒湖、類いまれなる歌い手日川菊子フチの魅力を世界中の皆さんに知ってもらいたい」とのコメントを寄せた。市は今後、阿寒湖温泉地域で行われる冬のイベントでの上映などを予定している。
 動画は1分と10分の2パターンあり、動画投稿サイト「ユーチューブ」の阿寒湖アイヌコタンチャンネルで視聴できる。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/19727

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【書評】『ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録』

2020-11-21 | アイヌ民族関連
note 2020/11/20 21:35
トップ画像はサハリン州、製紙工場跡。
 これはファンならば買っておいた方がよい。のみならず、北海道史やアイヌ文化や言語解説もあるため、大変興味深い内容となっております。
登場人物のあれやこれや
 補足など。
◆杉元佐一
土方との因縁、出身地、黒猫、結核家系。沖田総司に似ていると思えます。
『ゴールデンカムイ』主要キャラ9名の出自やルーツ 史実からマトメました https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/01/15/115694 #武将ジャパン @bushoojapanより
沖田総司は新選組の最強剣士か? 享年27で夭折した一番隊組長の生涯 https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/06/27/50917 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆谷垣源次郎
あれでもセクシーさを抑制しているんだ……。マタギの山の女神に捧げる行事は調べていて驚いた記憶が。
マタギが凄ぇ! 熊も鹿も仕留める山の猟師たち~ゴールデンカムイでも大活躍 https://bushoojapan.com/jphistory/food-jp/2020/10/29/114358 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆尾形百之助
尾形の祖父:尾形の狙撃は母方の祖父から習ったそうです。戊辰戦争時の銃でもあったのでしょう。やはり、水戸藩士のようです。となると、幕末は壊滅的な悲劇を見ています。
なまじ奥羽越列藩同盟ならば、負け組と一致団結しているものですが。水戸藩は勢力に分かれて分裂、同じ藩士同士で殺し合ったため、猜疑心があふれ、地獄絵図でした。悲惨すぎて、観光にも使えそうにない。水戸藩の地獄は山田風太郎『魔群の通過―天狗党叙事詩』でもどうぞ。読後感が地獄としか言いようがない。
尾形の母:トメという名前。この名前って、「これ以上子ができないように」という願望込みでもつけることがあったはず。これ以上産まれるなと思われていた末娘が芸者になり、家族を養っていたのだとしたら? 明かされれば明かされるほど地獄みを帯びる尾形の家庭事情。ここまでどす黒い奴は、『ゲーム・オブ・スローンズ』のラムジー・ボルトンくらいしか思いつかない……。
尾形百之助のルーツと因縁を考察~薩摩と水戸の関係は『ゴールデンカムイ』 https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/01/16/115704 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆インカラマッ
彼女の身につけているタマサイは、交易で得たガラス玉や金属をあしらったネックレス。儀式等でしか身につけないものを、設定的にいつでも身につけているということなんだとか。
彼女と谷垣は子ができるわけですが、これもすごく配慮がなされています。アイヌの女性は、強引に性的関係を持たされて、梅毒に罹患する女性も多かったもの。インカラマッ側の明瞭な同意や好意がないと、この関係は搾取的に思えます。彼女の側から誘って、そういうところをうまく配慮したと思えます。
そうそう、彼女のような霊能力者は、この時代ブームでして。貞子の元ネタも当時のもの。明智光秀天海説も、当時のオカルトが背景にあると最近知って、腑に落ちたものです。
◆チカパシ
彼がこれから飲まれる歴史的な波とは、第二次世界大戦のこと。樺太にいたアイヌは日本国籍とされたため、ソ連領になったかれらの住まいを移さねばならなかったのです。
◆土方歳三
下手くそな俳句をよむ土方はかっこ悪い。そう身も蓋もないことを言われてしまう……。誤解されがちですが、あくまで町人時代のサークルでの趣味であって、上洛以降は縁遠くなっています。辞世も和歌だし、彼はがんばった。とはいえ、辞世が漢詩の近藤勇と比べると、教養面では見劣りがすることは否めませんが。

土方歳三35年の生涯まとめ! 生き急いだ多摩のバラガキは五稜郭に散る https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/06/07/112246 #武将ジャパン @bushoojapanより
鬼の副長・歳三も可愛くオシャレに俳句を楽しむ♪今ならインスタ派? https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/03/13/102897 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆永倉新八
斎藤一と比較すると、明治以降新聞取材で新選組時代について語ったり、慰霊をしたり。思い入れが強いという印象を受けます。
永倉新八77年の生涯まとめ! 新選組の最強剣士は激動の幕末を駆ける https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/05/10/112639 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆家永カノ
土方らと同世代、かつ親宣という名からは、かなり格上の医師だったのだとは思えます。これも誤解されがちですが、幕府の医者でも西洋医術を蘭方と称して習得したものです。そういう知識が彼にはあります。
◆門倉利運
陸奥国出身は、予想が当たってホッとしています。仙台藩にせよ、会津藩にせよ、その他の藩にせよ、この年代の陸奥国生まれは不幸の星のもとに生まれている。でも名前はラッキーそのものなんだな。
『ゴールデンカムイ』の門倉は会津藩士か仙台藩士か? ルーツを徹底考察! https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/11/19/126552 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆鶴見篤四郎
鶴見が新潟人でありながら下戸というのはおもしろい。新潟行くと、本当に酒屋ばっかりで。ギフトに酒を贈る文化が根付いていると思えますもんね。とはいえこれも体質はある。
新潟県でもどのルーツかはっきりしませんが、長岡藩は賢くて合理的なイメージが強いもの。そこがルーツじゃないかと思いたい! 個人的な願望もありますけど。
◆月島基
白米が好きな月島にとって、樺太の旅は辛かったことでしょう。稲作できないので、輸入頼りでしたので。これも当時の裕福でない男性らしい好みです。
南樺太の歴史~戦前の日本経済に貢献した過去をゴールデンカムイと共に知る https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/07/08/116084 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆鯉登音之進
薩摩ジゲン流でも、示現流ではなく自顕流は家格がやや劣る藩士のもの。鯉登家はトップエリートではなく、幕末時に精忠組あたりについて躍進した階層と思われます。鯉登の性格的に、バシバシ叩く修行はストレス解消にも便利。花沢勇作は多分あんまり向いていないんでしょうね。当時の薩摩閥はお金を稼ぐ手段がいくらでもあるので、金持ちなのも納得。手鏡持って身だしなみには気遣っているけれど、当時陸軍士官でこの長髪は舐めてます。気遣う方向性がずれているとは思う。
旗手を意識ということは、遊郭は行かないタイプでしょうか。そういう男性の貞操を気にしているのは、彼らのようなボンボンならではの話です。どこまで真面目かよくわかりませんけど。
薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさ! 新選組も警戒した「一の太刀」とは https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/05/13/109219 #武将ジャパン @bushoojapanより
日本軍と遊郭、童貞神話 ゴールデンカムイ尾形百之助と花沢勇作の悲劇を考察 https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/03/19/122141 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆有古力松/イポプテ
八甲田山捜索にも加わったあたりが流石。でも日本軍は、そういう経験からちゃんと学んだのかと考えると悲しくなる。北に向かった兵士の、装備にまつわる悲しい話を聞いたもので。
戦場に立ったアイヌたち、その知られざる活躍 日露~太平洋戦争にて https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/08/08/114247 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆江渡貝弥作
モデルにエド・ゲイン入ってますよね。野田先生は『羊たちの沈黙』あたりで火がついた、FBIが調べた猟奇殺人犯なんか好きだからさ。彼の母親の性格は、当時の明治時代人のものというより、ゲインの母由来でしょうね。当時の人はそこまで男の貞操に潔癖でもないと思うのです。
◆中沢達弥
改めて名前がギリギリだ……。
◆熊岸長庵
モデルの熊坂長庵偽札事件を調べていくと、なんだか頭痛がしてくるというか、すごく嫌な気分になる。
◆坂本慶一郎・蝮のお銀
この本に元ネタが説明されてます。当時は女性犯罪者にニックネームをつけるのが大好き。夜嵐お絹とか。
舞姫ボコボコ!明治時代の小説はかなりヤヴァ~イというお話を7千字ぐらいかけて紹介する記事 https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/06/08/126613 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆姉畑支遁
いいのかよ、ここでムツゴロウさんの名前を出して……。
◆岩息舞治
彼とスヴェトラーナは「大陸浪人」というやつになるわけですな。このあたりは『グッド・バッド・ウィアード』がおすすめ。
◆土井新蔵
やはり岡田以蔵がモデルでした。個人的にすごくいいと思う設定です。赤毛の剣客は、幕末にヘイトクライムしておいて、明治に幸せになろうなんてちょっと甘いんじゃないかと思う。漫画としては好きですが。
岡田以蔵の人斬り以蔵っぷりが狂気! 幕末の四大人斬りで最もガチな生涯28年 https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/08/16/114412 #武将ジャパン @bushoojapanより
『るろうに剣心』主人公・緋村剣心が背負った「人斬りの業」にモヤモヤ https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/08/09/150026 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆津山睦雄
津山事件と犯人名・都井睦雄の合成ですね。
◆ソフィア・ゴールデンハンド
革命の子ですねえ。
帝政ロシア・ロマノフ朝が滅亡しロシア革命が起きるまで https://bushoojapan.com/world/russian/2020/02/01/113730 #武将ジャパン @bushoojapanより
◆鯉登平ニ
育児の悩みをつけこまれた印象が。めんどくさい次男坊で……。別に父として冷たいわけでもなく、息子さんがこじらせていて、愛を理解できなかったのでしょう。
◆有坂成蔵
モデルとなった有坂成章が作っていた兵器は性能がよかったのですが。それが続かなかったのが……。
◆エディー・ダン
北海道史に残るエドウィン・ダンになんて罰当たりな! だがそれがいい。
◆石川啄木
北海道史と日本文学史に残る人物になんて罰当たりな! だがそれがいい。当時のブン屋は割と無茶苦茶ですし。
◆春見ちよ
名前がかわいらしい。
◆鯉登平之丞
“平”をつけているあたり、後継にしたかったことはわかる。当時の基準では色白が大事だし、そんな兄と比べてめんどくさい弟が自分の美貌に無頓着な可能性もあるような。弟が桜島大根が嫌いな原因。めんどくさい弟は、むしろ愛着がある対象をからかってしまう模様。
杉元一行レシピにアイヌの暮らし、言葉について、そして動物!
 ハルコロ監修のメニューも掲載。ここは私も行きました。サイン色紙等もあるし、行くしかないお店です。
 北海道のグルメは独特だと思います。道産子の方が自分たちが考えたと思っていたレシピも、アイヌの知恵由来ということが結構あるとか。
本州では臭いからと避けられた羊がジンギスカンとして定着していたり、食に歴史ありです。
北海道は「食の歴史」も過酷そのもの~米豆の育たぬ地域で何を食う? https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/03/20/121469 #武将ジャパン @bushoojapanより
 アイヌの暮らしをこうして残すのも意義があると思いました。失われる文化をこうして残すという意義が大事。樺太アイヌは、もうそこで暮らせなくなってしまったわけです。
 アイヌの文化や言語は、世界的に見ても消滅が危惧されているもの。漫画で残すことがどれほど大切か!
 そうそう、ロシア語講座もある。ロシア語は、「発音をそのまま書き記すから覚えると簡単、結構楽」らしい。祖父の言葉です。私自身はロシア語はサッパリですので、わかりません。
 姉畑の動物解説も役立ちます。特にヒグマ。道産子に「ヒグマを殺処分しないで!」と言うのは喧嘩を売っているようなものだからやめましょう。
生きるか死ぬかなんです!
ヒグマと遭遇したらどうする? 危険な羆と共生してきたアイヌと開拓民 https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/06/19/148683 #武将ジャパン @bushoojapanより
質問に野田先生のインタビュー、杉元や鶴見のこと
 これはすごく価値がある!
 樺太旅行で野良犬が多いというのは、私もそう感じたことでした。飼い犬でも放し飼いというか、特に繋ぐ必要がない認識のようで、近づいてくるのです。最初は驚きましたが、日本もかつては「里犬」といってこういう飼育をしていたそうですね。
 杉元や鶴見のこともおもしろかった!
 日露の歴史は、調べれば調べるほどドツボにはまっていくところがある。日本人は、ロシアとの関係性に無頓着じゃないかということは、幕末以降の歴史やこの作品を読んで、意識するようになっていきました。
 東北諸藩はロシアの脅威を江戸時代半ばくらいから感じている。ナポレオン戦争でちょっと落ち着いたりするけれども、蝦夷地警備なんかしていて、ずっとその圧迫を感じてはいた。でも、明治維新を成し遂げたのは西日本の勢力だから、おざなりにされたんじゃないかということです。そのへんを消化しないと、日本の歴史は何か不健全じゃないかという気持ちがある。そこにこの作品はぴたりとはまる。
幕末の蝦夷地警備は「五」だけじゃなく三、四、七稜郭も配置されていた https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/01/05/116089 #武将ジャパン @bushoojapanより
 ウロコ彫りについての漫画も必読。本書の書き下ろしはともかくおもしろいけれども、問題提起として優れているのです。和人が勝手にアイヌの伝統をジャッジして、悪い噂を広める現状はどうなのか? そういう問題提起になっていて興味深いと思いました。
 アイヌの歴史は、ロシアや中国大陸までたどらないとわからないこともあるし、難しいと思えるのです。
 そんなわけで、買うしかない貴重な一冊でした。
https://note.com/54seikobi85/n/nbe844444cf74

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