Forbes JAPAN2/6(月) 16:30配信
見えにくい人が取り残されているという問題にどう向き合うべきか、そこには正解がない。「インクルーシブ・キャピタリズム」と銘打ち、あらゆる立場の人に資本へのアクセスを拡大すべきと発信している Forbes JAPANだが、この度、アカデミアでありながら、NGOの一員として実務家としても活動する立教大学・長有紀枝教授との対談が実現した。長教授の口から語られた「経営のヒント」となる活きた言葉の数々とは──。
■実務と研究、二足の草鞋で活動中
──長先生の専門分野は?
国際協力に携わる実務家と大学教員という二足の草鞋を履いて活動しています。実務の世界では、1979年にインドシナ難民支援のために設立された日本の国際協力NGO「難民を助ける会」の一員として、難民支援や地雷対策という分野に1990年代初頭から取り組んで参りました。
研究者としては、現場での活動が原点となっていますが、大量の死にまつわる分野、ジェノサイド(集団殺害)の予防や国際人道法、国際刑事裁判、人間の安全保障に関する研究です。
──日本のNGOだからこそ、できることはあるのでしょうか。
確実にあると思っています。日本のNGOの国際協力に携わるようになって30年ほどになりますが、もちろん、最初から何か大きな展望とともに、NGOの世界に飛び込んだわけではありません。
覚悟が決まったのは、初めて駐在した紛争下の旧ユーゴスラビアの現場でした。たとえ規模が小さくとも、たとえ現場に入るのが欧米の巨大なNGOより遅くても、常に見過ごされ、取り残されている人々がいて、その人たちに自分たちは手を差し伸べることができる、という確信をもった時です。
また、これは現場によりますが、欧米と比べて政治的にも宗教的にも、あるいは地政学的にも中立な日本のNGOだからこそ、アクセスできる地域や人々がいること。具体的には、常に取り残され、見過ごされている障がいや難病を抱える人々、そして、政治的、宗教的理由で、援助の量が圧倒的に少ない人々に対する支援です。
■原点は、留学時代に遭遇した民族差別
──先生が取り組んでいらっしゃる問題は、国際関係、ジェノサイド予防、ホロコースト、国際人道法、人間の安全保障など実に多岐に渡りますが、ご興味を持たれたきっかけはどういったところからでしょう?
出発点は、大学派遣の交換留学生としてアメリカのインディアナ州に留学していた経験です。大変保守的な土地柄で、留学先の大学も白人学生が中心で、学内には、KKK(白人至上主義の秘密組織)の学生団体まで存在していました。
私はスリランカの留学生と仲良しになったのですが、彼女のルームメイトは彼女の肌が褐色だという理由で、一晩たりとも同じ部屋で過ごすことなく、教科書や荷物をまとめて、部屋を出て行ってしまいました。
彼女は「このような屈辱は受けたことがない、ガンジーの気持ちがわかる」といってとひどく憤慨し、同時に深く傷ついていました。彼女と一緒に過ごす時間が長かったので、余計に差別を肌で感じたのかもしれません。
日本でも同じような衝撃を受ける
同じ留学生仲間で、声楽を専攻していた気のいいオーストリア人学生は、「自分が個人的に攻撃されるなら耐えられないけれど、肌の色など、自分の落ち度ではないことで差別されるなら、気にする必要はない、私だったら気にしない」と明るく慰め、励ましてくれました。しかし自分の落ち度ではない、肌の色で差別されるからこそ堪えがたいのだ、ということを説明しても、理解してはもらえませんでした。
そのような経験を経て、私はアメリカが大嫌いになって帰国したのですが、今度は日本で衝撃を受けました。私が嫌ったアメリカと同じ姿が日本にあったからです。帰国後、日本でもあらゆるところに差別が存在する事実を目の当たりにし、それまで自分が多数派だから気づかなかっただけだ、という事実に愕然としました。
留学前も頭ではわかっていたつもりですが、アメリカで少数者の経験をした後で見る日本の姿は、それまでとは違っていました。この体験が、「差別」や「マイノリティ」を改めて考えるきっかけとなりました。
また、留学中のある授業で、アメリカではアメリカ先住民の人々が、すべての民族の中で最も自殺率とアルコール依存率が高いことを知りました。そういった問題の研究を続けたいと考え、一度は外資系の銀行(スイス・ユニオン銀行)に就職したのですが、1年で退職。世界中の先住民について研究しようと意気込み、大学院に進みました。
卒業した大学に戻る形でしたが、「民主主義の問題と絡めるなら、自分のゼミでも先住民の研究ができる」とおっしゃってくださった現代政治学が専門の先生のゼミに入りました。
大学院では、世界の先住民の前にまず自分の国のことを知ろうと、アイヌの政治参加について研究しました。休みのたびに北海道に通い、アイヌ系の人口の多い市町村議会の議員選挙について、関係者にインタビューを重ねました。
そうして修士論文を書きましたが、論文としての結論とは別に、現地に何度も足を運んで話を聞くうちにわかったことがあります。アイヌの人への差別や民族についての考え方も、他の少数者に対する見方も、一言でくくれないくらい多様でした。端的に言うと現実は複雑で、机の上で白黒つけられる問題ではない、ということです。
それが研究者としての私の原点です。それは後に、難民を助ける会の駐在員として過ごした民族紛争の現場で、加害者と被害者が国や町、村ごとに、時には通りや川を隔てて入れ替わる様を見る際に、本当に役に立ちました。
自分たちの力を正しく評価し、迷わず判断する
──先生がお考えになられる「研究」とは、どういったものでしょうか?
私の研究は、お話するとぎょっとされることが多いのですが、虐殺や大規模な人権侵害が起きた現場の徹底した事例研究です。なぜそのような事態が起きたのか、どうしたら予防できたのか。「加害者」たちはなぜそのような意思決定をしたのか、そこにどのような動機や背景、プロセス、メカニズムがあったのか。類似の事例と共通項はあるのか。
何が普遍で、何がその事件(地域)固有の事情なのか。これらを調べ、分析していくことが私にとっての研究です。
実務の世界で行っている、今、生きている人を助ける難民支援とは対照的に、私の研究は死者と向きあい、その声を生きている人々に伝えることです。「過去」に学ぶことは、「未来」に繋がると思っています。難民支援は「現在」ですが、この過去と現在と未来をつなぐのが、もう一つの専門領域の「人間の安全保障」だと思っています。
■自分たちの力を正しく評価し、迷わず判断する
──Forbes JAPANは、経営者の方に多く読まれているのですが、リーダー層のヒントになることはありますか?
自身を思い返すと、決してリーダータイプではないと思っているのですが、あえて申し上げるなら私はどちらかというと、平時より「危機のリーダー」なのかもしれません。
平時はたぶん人に嫌われたくないと思って、周りに気をつかいすぎるところがあります。ですが、腹をくくった場面、難民支援の現場や危機感のある現場、役職上、決断をしなければならないような状況での判断は、早いです。経営者の方も、きっと状況に応じて得手不得手があるのではないでしょうか。
──その優先順位は、どのようにつけていらっしゃいますか?
おそらく業種や職種によって異なると思いますが、私の場合は平時の開発援助よりも緊急支援向きなので、条件が限られ、目的が明確な緊急事態の方が、優先順位がつけやすいのだと思います。
また、目的を明確に持てれば、それを達成するための優先順位もおのずと明らかになるのだと思います。ただその時点で、財政・人材・経験・専門といった自分たちの力を過大評価も過小評価もしないことが、安全確保と危機管理上の大前提だと思います。
長 有紀枝(おさ ゆきえ)◎立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、社会学部教授。認定NPO法人「難民を助ける会(AAR Japan)会長、「人間の安全保障学会(JAHSS)」会長。長年にわたりNGOの活動を通じて、緊急人道支援をはじめ、地雷対策や地雷禁止条約策定交渉にも携わる。ジェノサイド研究、移行期正義、人間の安全保障などを専門とする。21世紀の国際社会が直面する課題に、真摯に取り組んでいる。
>>後編に続く
Forbes JAPAN 編集部
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