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四国八十八箇所霊場 第52番札所「太山寺」

2019年03月20日 | 四国88箇所霊場
 
        


     太山寺の歴史・由来


 太山寺の開基とされる真野長者が一夜にして御堂を建てたという縁起は興味深い。長者は豊後(大分)で「ふいごの炭焼き」をしていたが、神のお告げで久我大臣の娘、玉津姫と結婚、以来、運が開けて大富豪となった。用明2年(587)商いの為に船で大阪に向かう時に大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、高浜の岸で救われた。此の報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き88尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風を受けて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝く頃に本堂は建ち上がった。以来「一夜建立の御堂」と伝えられて居る。


 其の後、天平11年(739)に聖武天皇(在位724~49)の勅願を受けて、行基菩薩が十一面観音像を彫造し、其の胎内に真野長者が瀧雲山で見付けた小さな観音像を納めて本尊にしたという。寺が隆盛したのは孝謙天皇(在位749~58)の頃で、七堂伽藍と66坊を数えるほど壮観であった。弘法大師は晩年の天長年間(824~34)に訪れ、護摩供の修法をされて、それまでの法相宗から真言宗に改宗している。


 後の後冷泉天皇(在位1045~68)をはじめ、御三条、堀川、鳥羽、嵩徳、近衛の6代に渡る各天皇が、十一面観音像を奉納されて居る。何れも像高は150cm前後で、本尊の十一面観音像と共に国の重要文化財、本堂内陣の厨子に安置されて居る。境内の現本堂は長者の建立から3度目だが、真言密教では最大規模を誇り国宝である。



          


 私達は仁王門を少し過ぎた駐車場に車を入れ引き返して仁王門から入って本堂方面へと進んだが此れが勾配のある坂道で結構大変であった。大日如来の石像の辺りで遅れた家内達を待って最後の急な石段を上り山門をくぐると正面に今までの札所では見た事の無い様な大きな本堂が正面に現れた。上段の写真を見れば解かる様に横幅、奥行き共にあり流石に国宝に成って居る事が理解出来る。また本堂内には6代に渡る天皇から奉納された貴重な十一面観音像がある為か?其の為の対策が十分されてる為に中に入る事は出来なかったが此れは致し方ない。一つ手前の札所の第51番札所の「石手寺」も大きい規模の寺院であったが「太山寺」は山自体が寺所か?其の境内は広く立並ぶ御堂はすべて壮観で印象に残る寺院であった。 

 


        

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