今日の午前中は国内外へのコンディションも余り芳しく無く交信出来たのは安養子さん(JO6XMM/6)の沖縄県国頭郡大宜味村からの移動運用のみ、其の他にも何局かは聞えて居たが珍しい場所からの移動運用は見当たらず無線の方は早々とQRTした。午前中は風も強く少し寒の戻りか?吹く風も冷たく午前中の散歩も億劫で最近嵌っている可也以前の名作映画を動画サイトで見る事にした。
少し前にテレビか?ラジオかは忘れたが高峰秀子さんの自伝番組で高峰さんの北海道での幼少の頃から可也苦労をした事の話を聞いて個人的に興味を持っていた。高峰さん(1924~2010年)の映画は私が生まれた年代とに可也の差が有るので私の中では余り強烈な印象は無かったが子供心にハッキリ記憶に残って居るのは佐田啓二さん(現在の中井喜一さんのお父さん)と夫婦役で主演した「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)位だろうか?此の物語は燈台守の話で戦中戦後を通じて全国の灯台を転勤しながら苦労をする夫婦と家族を描いたもの 確か実話に基づいたストーリーで子供には関心が余り無い様な映画であったが何故か?心を揺さぶる様な迫力の有る主題歌と相俟って(私が9歳の時の映画であったが)主題歌の歌詞もストーリーも今でも確り憶えている。私の親父等は特に感動して直上の兄に海上保安大学の受験を進めるくらいで有った。(灯台の管轄は海上保安庁)最近は灯台も無人化が進んで苦労も少なく成ったが海上を航行する船舶にとっては重要かつ大変な仕事、私も「海猿」や此の映画も影響が有ったのだろうか?息子の進学時には強く海上保安大学を受験する様に進め息子も受験したが力が及ばず門前払いに成った経緯がある。
しかし高峰秀子さんの代表作と言えば壺井 栄原作、木下恵介監督の(恵の字が違うが)「二十四の瞳」1954年の映画であろう。此の作品は小豆島の分校へ新任教師として赴任した女先生と受け持った12人の生徒との交流を描いた物語、私は有名な作品で有る事は噂では聞いて居たが此の映画は見た事は無かった。其処でインターネットで「二十四の瞳」で検索を掛けたらカット無しの全編を探し出す事が出来て小さい画面ではあったが2時間30分近い全編を今日見る事が出来た。
此の時代は私の親父の子供時代より5~6年後位の時代、子供達の服装は大半がカスリの着物姿、先生の正装は羽織袴の時代で私達の時代とは随分違っていたが其れでも私が小学校の低学年位までは正式な行事等は特に女先生方は格好良い羽織袴姿を見たので非常に懐かしく思った。映画は今風のテクニックを余り使わず其々の生徒と教師の触れ合いを追って行くのだが其々の家庭環境(没落や家業の制約に寄る進路問題や病気)に寄って教師として如何にかしてあげたいと思いながらも如何する事も出来ない微力さに苦悩する姿を描いている。
映画の中で大石先生は其々の家庭の事情がある事なので「人は其々に悩みが有り自分だけが不幸と思わないで!先生は此の事には何にも言えないけれど(出来ないけれど)一緒に泣く事だけは出来る。何か有ったら尋ねて来て!一緒に泣く事だけは出来るから」との台詞にどどっと涙腺が緩んでしまい後はタオルが必要な状況に見舞われた。
古い時代の映画で しかも白黒画面で音声の状態が悪く所々解り難い所もあったが2時間半があっと言う間に過ぎ、久し振りで白黒映画で感動した。多分此の時代の生活状況は白黒映画だからこそよりリアルに表現出来たのだろうと思えた。興味が有る人は一度見られたらと思う。