徳之島の伊仙町の運用を終わり天城町の移動先を探して徳之島を時計回りに北上した。天城町の南北の中央部の西端に徳之島空港が有り其の近所の総合運動場が航空写真で事前調査した場所だったが現地に行くと何と管制塔が目の前に有った。人家が無ければ何処でも平気で運用する私だが流石に躊躇した何某かの妨害が入ると大変だこの場所では昼食と早い昼寝で終わった。
更に北上したが良い場所が見つからず引き帰す途中の海岸線の方向に広い場所が見えたので国道から細い道に入った。路面は舗装でなかったが硬かったので其のまま進むと道幅が急に狭くなり両サイドは背の低い木々で車を回す事が出来ない 少し勾配のある下り坂の向うに運用できそうな場所が有ったので其のま進入し坂を下りた所で後輪に違和感を感じた(坂の下が砂の吹き溜まりに成っていた)車を止め後輪を見るとタイヤのゴム部の大半が砂の中に埋まっていた。前進で少し前に出して潜った場所を探ると思ったより深い砂地だ「此れは簡単には出ない今日中に出れないかも?」不安が頭の中を過ぎった。
とにかく慌ててはいけない冷静に成る様務めたが、途中2km以内は人家が無い事は解っていたし交通量も殆んど無い場所、大変な事に成った不安の方が強くがっくりしていた。幸い食料や水は数日分有ったので時間が掛っても脱出しなければと思い直し、まず車重を軽くする為、発電機、無線設備、アンテナ、衣装箱などを車から降ろし坂の上まで持ち上げた。次に吹き溜まりの砂を手作業で掻き分け(30cm X 3m)底にブルーシートを敷きゆっくりとバックしたが矢張り車が沈み腹がつかえてしまった。しばらく色々考えたが板が有れば何とか成ると思い付いた。海岸を歩いて探したが何も無かった。車の中にはベッドの上側に80cmX 1.9mのコンパネと下側にはコンパネ1枚が釘で打ち付けられているが外す為にはベットを車外に出さないと出来ない大変な作業を伴う方法であった。
最終案は此の方法にして他に方法は無いか?と砂浜に寝そべって考えていたら発電機を移動する台車の(60cmX90cm)外周に幅25cmくらいの板が周囲に打ち付けている事思い出した(路面の悪い所を移動中発電機が落ちない様に)早速、ハンマーと釘抜きで分解したら1.5mX25cmの板が二組出来上がった。幸いな事に1枚物だとタイヤが乗ると入替え出来ないが2枚で一組なので合わせた状態で車を移動、どちらかの板に乗ると他の板を前に持って行き更に移動とこの繰り返しが可能だった。
ジャッキは万一に備え2個持っていたので後輪を代わる代わる上げた状態で板を敷き込み板の上に降ろした そしてゆっくりとバック、次の板の上に乗った所で車を止め、最初の板を前に置き車の移動、この作業を何回繰替しただろうか?車は回数に比例して移動した。ブルーシートを出た所で後輪は確りと地面を捉え脱出成功、砂に潜ってから実に3時間半の時間が経過していた。上った瞬間はホッとして身体が諤々と成ったが荷物を積み終わる頃、全国の皆が待っている。今ならまだ間に合う早く電波を出さなければ そんな気持に切り換わっていた。
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