私が進学した工業高校で確か1年生の秋ごろだったと思いますが友達の樫副君(JA5BRN)に連れられてJA5YCHを訪れて其の後は卒業するまでは此の無線クラブに御世話に成りました。2年生に進級した頃はアイデアルの黒いケースに入った受信回路は5球スーパー程度の受信部とファイナルが6BQ5で6BQ5シングルのハイシング変調の3,5~7MHz帯の送信部が同居した小型の無線機を持って居ましたが此の当時はライセンスが無かったので受信のみの状態でした。当時はアンテナもまともな物で無かったので3,4,5エリアの信号は受信出来て居た様に思いましたが1,7,8エリアの信号を聞いた記憶が余り無いので其の程度の受信性能だったのでしょう。とにかく小さいケースに組み込んで居たので真夏に成るとケースの鉄板は熱くて触れない状態まで温度が上がるので天板の中央の開放出来る扉は必ず開放して受信して居ましたがあの塗料が焼ける様な独特の匂いを今は懐かしく思い出します。
送信出力は精々5~6W程度でVFOは無く(ケースにスペースが無かった)従って3.525MHzの水晶を利用したスポット周波数のみ(7MHz帯は2逓倍の7.050MHz)此の装置で本格的な交信はした事は無く受信機として使用した期間も精々半年位でなかったかと思います。高校生に成ったら月に2000円位の小遣い制度に成って居たので其れを殆ど使わずに年に1~2回徳島市内に行った時に無線パーツを「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入して居ましたが次は何を買うのかを考えに考えて居た頃が凄く懐かしいです。其の後、兄が乗用車を購入した事と兄の勤める会社とパーツ屋が100m位しか離れて居なかったのでパーツ屋に行く機会は段々と多く成りました。
高校2年生の秋には修学旅行が有り確か親父が「旅に行ってお金が無い事ぐらい辛い事は無い」と3万5千円の小遣いをくれた時にビックリしましたが(生まれて初めて自由に出来る大金)其の時、親父には申し訳なかったですが「此れでちょっとした受信機が買える」と大喜びしました。
修学旅行は出来るだけ無駄遣いをせずに家族と甥のお土産だけを購入し2万円位を残して帰って来て知人の方からトリオの9Rー4を譲って頂き自転車の荷台に受信機を載せ上下を座布団で保護し荷台から落とすと大変なので5kmの道を自転車を押して帰りましたが其の道中も帰ったら此の受信機でアマチュア無線の電波が聞けると思うと気持ちが浮き浮きして全く苦に成りませんでした。
高校三年生に成って漸く個人局を開局しましたが実際の運用で此の受信機を使用したのは開局後の3~4ヶ月くらいで其の後はテンの業務用船舶受信機を手に入れたので9Rー4は私のSWL時代の受信機としての役割が大半でしたが自分のお小遣いで購入しただけに一番の思い入れが有りました。
其の後に私が大阪の会社に就職して帰って来たらあのモスグリーン塗装の9Rー4を見掛けないので「あの受信機はどないしたん?」と兄に聞いたら「ああ あの受信機は6mのクリスタル・コンバーターを内蔵して改造したわ」との事、「まあ 良いか?」と諦めたが此の改造がとんでもない改造で兄がTR-5000を車に載せて走りながら交信をしたら3Km位までは聞こえたが5Kmも離れると段々と聞こえない状態に・・・・確かに工作はスッパリ出来上がって居るのだが性能はアウトの改悪以外の何者でも無い状態に嫌な予感は的中したHi
然も兄の言い放った事が奮って居る「もう相当に古い受信機だから寿命だったのと違うか?代わりに小林無線の受信機が有るので良いでないか!」と言い切られてお終いに成った。ガックン
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