黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 運用机の模様替え

2013年10月18日 | アマチュア無線

    


  先月の1ヶ月の交信数は何と4交信で終わった。運用卓の周りもゴチャゴチャしていてアマチュア無線をゆっくり楽しむ環境に成って居なかったので思い切って模様替え、大きくは変わって居ないが何かすっきりした気持で明日から少し気合を入れて運用する事にする。

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 行事案内の配布

2013年10月17日 | その他

  秋の深まりと同時に色々な行事の案内が舞い込み今日は午前中に行事案内の「お知らせ」作りで半日過ぎた。今月の22日は大学の名誉教授を迎えて「水災害の勉強会」11月2日は町民祭でバザー、11月の16日からは実行組対抗のミックス・バレーボール大会、12月に入ると「手打ち うどん」勉強会と行事が連なる。一番手間の掛かるのは6人制のミックス・ソフトバレー・ボール大会の選手集め、我が常会は過去に何回も優勝しているので監督は力が入っている。今回は土、日曜日の開催なので前回のソフトボール大会の平日の夜間と違い頼む方も頼みやすいのだが今回も連日の電話攻勢を掛けなければ選手の確保は難しい状況、特に最近は参加者全員にスポーツ保険を懸けるので(数年前に競技中に足を骨折した人が居て)生年月日とか色々確認事項があり煩わしいことに成る。



 昼からは我が常会25軒の総ての家に「行事案内」を届けて説明して回ることにした。其の内、家に在宅者が居たのは5軒のみ在宅の家は説明して回ったが其れ以外は郵便受けに入れて帰って来た。しかし常会の7割が私より年配の方々なのだが仕事に行って居るのだろうか?回りながら65歳で仕事もせず無線三昧の日々、正に国賊級だなと思うと同時に次に会ったら仕事の紹介をして貰らわねばと思った。



 今年役員が当っている私としては最後の行事以外は欠席は不味いと思うが個人的に興味が有るのは其の「手打ち うどん」の勉強会、此れは面白そうだがJA婦人会の主催なので女性の参加者が大半と思うのだが、世話役に聞いて男性の参加者がある様であれば是非参加したいと思っている。



 前回のブログにも書いたが地域の人の世話役は中々大変、自分が役員で無い時は色々な行事への参加を求められても色んな理由を付けて断る事が多かったが自分が世話役に成り断り続けられると嫌に成ってしまう。内容によっては家族の協力だけで乗り切れる物も有るが人集めが必用な行事では如何する事も出来ない。今回の行事が終了すると来年の役員交代の会合まで大きな行事は無いので常会長の仕事も9割方終了したが、来年は会員として参加を求められたら気持良く参加せねばと思った。

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 ガラ空き状態の3.5MHz帯

2013年10月16日 | アマチュア無線

  心配した台風も四国から離れた東側の太平洋上を進んだので徳島には余り大きい影響は無く我がボロ家もアンテナ・システムも如何にか無事で一安心した。関東方面のビッグ・ステーションは心穏やかでは無かったと思います。規模的には大型と言われて居ましたが私が子供の頃に経験した台風から比べると特別に大きい台風では無かった様子で最近の台風には珍しく速度が速かったので風雨に曝される時間が短かった分、助かった様に思います。阿南市も台風が可也北に過ぎ去った昼から夕方にかけ時折、強い風が吹いていました。



 流石に今朝の7MHz帯は中部、関東方面の信号が聞えずバンド内は静かな状態で20分程度聞いてQRT、最近は受信はして居るものの此の1ヶ月間で交信したのは安養子さんの東北方面の移動中に4回程交信して頂いたのみ、今月も既に月半ばと成り少しは気合を入れて運用しなければと考えています。現在 3.5MHzを聞きながらブログを書いていますがノイズは有るもののコンディションは決して悪く無い様子なのに交信しているのは4組だけバンド内はガラ空き状態、聞える局は(常連さん)総て59プラスで入感して居る。この時間になると7MHz帯は既に国内コンディションはアウト、何時もだともう少し賑やかな3.5MHzなのだが今日は台風の影響なの寂しい限りである。

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来年の北海道旅行の準備計画

2013年10月15日 | 旅行

  今日は終日アルバイト、家を出た7時30分頃は曇りで雨は落ちていなかったが那賀奥のダム湖に着いた時は雨が降り出し其の以後は止む事の無い雨天の中、雨合羽の上に救命胴衣を着け作業、ヘルメットの着用が必須の為に後ろの首筋から雨が流れ込み気色が悪い。作業は1時前に終わり其の後、高松の分析センターまでサンプルを送るのが今日の仕事、走行距離は300Km位で自宅へは17時前に帰った。



 私は5年前から年金暮らし、過去の5年間の移動運用の費用は其の大半を兄の経営する「環境計測」の会社でのアルバイトでまかなってきたが 今年の夏以後のアルバイトでの収入は総て来年の家内同伴の北海道旅行に当てる為に別枠にして居る。過去の私一人での旅は車中泊の質素な旅行だったので1日当り平均3500円程(半分はガソリン代に消えた)で過ごしている。其の為、初年度の北海道1ヶ月旅は17万位で賄えた。其の中の6万は北海道への往復のフェリー代なので遣り様に寄っては意外と費用は掛からない。

 

 通常の豪華なパック旅行なら1週間の旅で消える金額で有る。旅行会社のパック旅行だと何の心配も無く各地の主だった観光地に連れて行ってくれるが個人での計画の旅行の場合は、そうは行かないが旅は行きたい場所を見付けて観光地を探し計画立案する段階が一番楽しい。一度でも自由気侭な旅を経験すると分刻みのパック旅行は飽きてしまう事だろう。



 最近の私はグーグル・アースを見ながら訪問先や其のルートを彼是と考えたり狭い車内で寝る為のカーテンの設置方法や二人が足を伸ばして休める2段ベットの製作や増える荷物を持運びする為のキャリアの増強と荷物の防水対策等、彼是考えて居ると時間の過ぎるのを忘れてしまう。我家は分家で親が居ない為、費用が無く成るか、家内が嫌に成らない限りは折角の機会なので1ヶ月程の期間を掛けて道内を網羅して回りたいが家内次第、果たして辛抱出来るか如何か?心配で有る。息子には先日申し渡しをしたら留守番役の了解も快く引き受けてくれたし唯一の心配種のペットの小太郎も逝ってしまったので前記の2つの問題さえクリヤー出来れば良いのだが・・・・年齢的にも今回のチャンスを無くしたら先は無い様に思えるので是非実現させたいと思って居るのだが果たして・・・・

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落ち鮎釣り

2013年10月14日 | 日記

 



  今日も下流方面の散歩コースを4Km程歩いて来た。毎日同じ道を歩くのも芸が無いとと思い途中の河川敷から玉石のゴロゴロした川原を横切り写真の場所に向かった。此の場所は瀬(川に高低差が有り流れが速く成る所)に成っていて流れは可也速い大人でも此の場所に流れ込むと可也下流まで流された後でなければ岸に辿り付けない状況で一番狭い所では川幅が20m位に括れていて急深で岸から1~2mでドカンと深く成って其の深さは4m以上有る様に見えた。散歩中は対岸から何時も此の瀬を見ているが今日初めて其の近くまで歩を進めた。



 今は調度落ち鮎の時期、川釣りの太公望が数人釣り糸を垂らしたり釣り談義でもしているのだろう玉石に腰を下ろし談笑していた。最近幾ら気温が高い日々とはいえ体が冷えるだろうに川の中ほどまで進み腰上まで川に浸かり竿捌きをして居る人も居た。此の川も私が中学生位までは綺麗な川であったが私の子供が小さい頃、水遊びに良く連れて来たが家に帰って風呂場で体を洗ってやると少し生臭い独特の川の匂いが感じられた。上流の生活汚水が流れ込む性で水質が悪く成って居るのだろう。私の家は川釣りをするには大変便利な場所だがもともと殺生は好まない方だし前記の事から此の川の魚を釣って食べようとは思わ無い。(全国の河川からすると水質は此れでも良い方と思うのだが)



 従って釣り人の成果も確認する事無く写真を撮る為に一回りして家に帰ったが釣れて居る様には見えなかった。

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 全市、全郡の交信データの整理

2013年10月12日 | アマチュア無線

  昨日から始まった全市全郡コンテストは世間一般が3連休中の事も有り近年の中で可也盛り上がっている様な気がする。昨晩の3.5Mhzも夜遅くまで頑張っている局が可也居た。しかし20~30年前と比較すると話に成らない状態、矢張りアマチュア局数の減少化の影響が見られる。私は基本的にアワードに関しては余り興味は無いがJCC・JCG・全町村とJCAのアワードだけは少し興味が有るので年間のコンテストの中で全市全郡コンテストは其れに関係しているので毎年注目している。現存するJCC・JCGは可也前に達成していたが現存の全町村の完成は昨年の3月まで掛かった。私の個人局の開局は1966年の8月なので実に47年を要した事に成る。



 各バンドを聞きながら珍しい所を探したが余り出ておらず聞きながら過去の実績を調べて見た。JCCは908/910失効した市を含めて未交信の場所はJCC-3501の広島県松永市とJCC-4409の大分県鶴崎市の2箇所だけである。



JCGは601/622でJCG-01012の北海道歌棄郡、JCG-01017の北海道忍路郡、JCG-01054の北海道根室郡、JCG-01056の北海道花咲郡、JCG-01058の北海道三国郡、JCG-01061の北海道太櫓郡、JCG-05009の山形県南置賜郡、JCG-05010の山形県南村山郡、JCH-07001の福島県安積郡、JCG-15001の栃木県足利郡、JCG-20018の愛知県八名郡、JCG-21007の三重県河芸郡、JCG-25005大阪府中河内郡、JCG-2213の京都府南桑田郡、JCC-24003の奈良県宇智郡、JCC-24008の奈良県南葛城郡、JCC-27003の兵庫県有馬郡、JCC-27023の兵庫県武庫川郡、JCG-28007の富山県氷見郡、JCG-29007の福井県敦賀郡、JCG-38009の愛媛県新居郡の21箇所の郡が未交信と成って居る。現存及び最近(平成の大合併に寄る消滅)消滅した郡との交信は現在のコール・サインで交信しているが1973年以前は古いコール・サインで交信している。

 
 全町村の未交信リストも作りかけたが余りにも数が多いので途中で嫌になり作業を辞めてしまった全町村は1694/2738
で消滅した町村で1144箇所近く未交信の町村が有り平成の大合併当時は余り国内QSOを遣っていなかった事が大きく影響している今と成っては此れ等はいくら頑張っても取り返す事は出来ない。残念至極・・・・・・・

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 晴天の中の清々しい散歩コース

2013年10月12日 | 日記

        

 


  今日は朝から青空の広がる上天気で久し振りに那賀川の下流方向への往復7Kmの散歩コースを選んだ。歩き出すと日差しは強いものの西からの強い風で余り汗も掻かず非常に心地よい。最初の写真の場所まで約、2Km位有り前回の時は 此の土手下の道は腰まで雑草が伸び通るのが大変だったが今日の早朝から草刈作業が始まったのか大型の草刈機(写真4)と10人ほどの作業員が出て作業を展開していた。


 私が通り掛かった時に保々作業が完了し、正にタイミング的に私の為に作業をして頂いた感じ、気持ち良く通り初めをさせて頂いた。写真2番目が散歩の折り返し点、此の建物は那賀川からの工業用水の取水口で大きい設備である。写真の3番目は下流方面から上流方面を撮ったもの中央の一番高い山が勝浦郡勝浦町にある中津之峰、海抜が約800mH程あり私が時々勝浦町で移動運用する場所で飛びは抜群で余り他局とのバッティングも無いFBな運用地である。

 

 中央に写っている橋が国道55線の那賀川橋で阿南市へ向かう交通の要所で有ったが最近は海岸近くを通るバイパス道路が主たる交通路と成り通行量は減っている。私のQTHは画面左側の橋を渡り切って直ぐの道(土手)を上流に2km遡った場所にある。ほん数年前までは写真向かって右側が旧、那賀郡羽ノ浦町で川の左側から阿南市で川によって分離されていたが現在は両側共に阿南市と成った。其れと同時に旧、那賀郡は高知県との県境から紀伊水道に(海岸線まで)跨っていた。奥から木頭、木沢村、那賀町(相生町、鷲敷町)羽ノ浦町、那賀川町と3町2村の広大な面積が現在は那賀町の一郡一町に成りアマチュア無線的には移動運用の面白味が無くなってしまう事と成った。



 

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 当ブログに関する御願い

2013年10月11日 | その他

 先月の島根からの転送カードの整理が終わった。今回は2500枚程度の数であったが最近は無線を聞く事が有っても交信はしていないのでカードの整理が何時もより順調に進んだ。今回も全バンドを通じての1st局は無く寂しい限り、本当に局の減少化が可也進んでいる。バンド内を良く聞いても新規開局の慣れないオペレートを聞く事は殆ど無く。偶に1st局が有っても一度アマチュア無線からは遠ざかって居たもののリタイヤして時間的余裕から再開局した方々が多い様に思う。週末の7MHz全体を聞いても若々しい声の信号は殆ど聞えない。



 最近は交信よりもインターネットで検索機能を利用して全国のアマチュア局のブログを見付けて拝見する事が多いが其の中の写真を見ても「ハゲと白髪頭の集団ばかり」かく言う私も大ハゲ頭で有る。この状態では後10年もすればアマチュア無線の世界も可也先細りの感がする。最近ブログを書き込んでいても内容に行詰りを感じたので各局のブログを拝見して参考にする様にしているが時折、自分のブログIDで検索し画像の部分をクリックして全画像をチェックする事が有るのだが自局に関係無い写真が半分以上を占めている。ブログにリンクさせているのか?原因は良く解らないが?リンクさせて居るのなら此方に了解を求めるのが筋と思うのだが?大した問題では無いが私を知らない人が見た場合に私と勘違いをされる可能性が有るので少し気になる。過去に二人ほどリンクへの了解を求められた事が有るが私としてはお断りしている。理由は最初の1年間は私が貼り付けた以外の写真は見当たらなかったが最近は可也状況が変わって来た事、其の分だけ当方の写真が減っている。リンクすると其の関連性から私のブログに訪問される方も居られると思うのだが私は其れ等の関連性に関係無く当ブログにアクセスされる方の実数を知りたいと思っている事、そして一番気に成る事は何も知らない第三者に誤解されたり、私の独断と偏見に満ちた記載内容でリンクされた方に御迷惑の掛かる危険性を感じる事で有る。ご理解を戴ければ有難いと思います。



 P・S コール・サインや 御名前を入れてコメントを入れて戴いた場合は問題有りません。要するに何方なのか?が解れば有難いです。

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 見付けた家内の無線局の免許状と免許証

2013年10月10日 | アマチュア無線

  先日、郵便局から電話が有り、可也以前の貯金通帳の事で問合せを受けた。子供が小学校時代のお年玉や、両方の祖父母から貰ったお小遣いを貯めていた通帳で過去10年間、出し入れが無い通帳を確認しているらしい。子供の通帳なので大した金額では無いが念の為に調べる事にした。



 しかし乍、可也以前の事、色々な場所を調べたが出て来ない。最終的に日頃、使用しない和箪笥の引き出しを調べて見る事に成り、嫁入道具とは言え持ち主の家内の了解を得てチェックを開始すると懐かしい物が続々と出て来た。私たちの結婚式の祝電、古い年毎の年賀状の束、母子手帳、子供達の成績表、写真、甥や姪の結婚式の集合写真、etc通帳を探す事も忘れて見入ってしまった。 其の中で一番目を引いたのが古い色あせた封筒に入った家内のアマチュア局の免許証と免許状である。有効期限は昭和60年9月17日~65年9月16日までコール・サインはJH5KGOで結構良いコール・サインが発給されている。だが、受験は1979年の四月に松山の四国電波管理局(当時はこの様に呼ばれていた)まで直接受験に行き私も同行したのでハッキリと記憶に残って居るのだが免許証と免許状の期間に可也ブランクがあるので記憶は定かでは無いが一度更新した免許状なのかも知れない。



 受験は結婚して2年目、当時は受験方法として講習会制度もあったが家内は徳島市内の金融機関に勤めていたので長期の講習は受けられず(当時は夜間の2週間位の受講が必要であった)自力で受験すると言い出し、その代り合格したら高級な「寿司屋」に連れて行く事と松山までの同行を仰せつかった。勉強は毎日の汽車での通勤時間を利用し結構勉強した様だが最後まで私に聞く事も無く受験当日を迎えた。



 試験当日は会場で試験が終わるのを待ったが早々と最初に出て来たので「出来なかったのか?」と聞いたら「工学も法規も全部出来たから間違いなく合格、早く寿司屋さんへ行こう」と催促された。確か駅近くの寿司屋さんだったと記憶しているがカウンターの前で職人さんが握る寿司を二人で食べたのは後にも先にも此の時だけ、家内の語り草と成っている。



 ある程度、苦労して受験したアマチュア無線では有ったが、アマチュア無線局を運用して交信する事も無く、私とも交信しない侭、免許状は失効してしまった。私としては結婚後の無線活動の中で大蔵省の予算配分の確保の為に、家内が少しは無線を遣っていれば有利かな?との思いで受験を促したのだが余りにも私の無線キチに嫌に成ってしまったのだろう。其れでも其の後の無線活動や設備の拡張に文句を言う事は一度も無かった。唯、一度だけ無線活動に対する不満ではないが、タワーを2基、建てた時、基礎の穴掘り以外は家内に手伝って貰ったのにタワーのプレートに協力者(アンテナを取り付けたローカル局のコールと年月)としての記入が無かったと言う事で「貴方は私に対する感謝と言う気持ちが無い 書き入れるなら一番苦労した私を最初に書き入れるべきなのに本当に頭に来た」と捨て台詞を残して外に出て行ったので如何するのかと思ったらタワーの基礎から出た直ぐの継ぎ手のボルトナットを「こんなタワー倒して遣る」と言いながら大型のモンキーで緩めだしたのには恐れ入って平謝りして御許し戴いた事がある。



 家内は免許取得の為に勉強した事もある事から専門職の私に時々、キルヒホッフの法則やフレミングの法則「左モーター、右発電機」などと御高説をのたまう事が有るが私のアマチュア無線活動が円滑に成る為に甘んじて承る事にしている。家内は最終的にアマチュア無線を運用する事は一度も無かったが女性として一番良い時期の写真を張った免許証が残ったという事か? 久し振りに家内の勤務先の制服姿の若い写真を見て此の様な時代も有った事を再認識した。其れにしても歳月の流れは恐ろしい。私のブログは家内は見ないので安心だが見られると報復手段としては一番効果のあるモンキーを持って例の行動に出るかも知れないHi

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 子供の時代の台風一過の思い出

2013年10月09日 | 日記

  昨晩は台風の影響も出始め無線を聞く事も無く23時前に就寝した。そして早朝の4時頃に凄い雨音で目が覚めた。風も何時もよりは強く吹いているが大風では無い様子なので一安心した。インターネットで台風の位置を確認すると米子市の沖を隠岐の方に向かっている。位置から判断して後2~3時間は影響が有るだろうが昼前には天気は回復しそうに思えた。8時頃に成ると雨が上がり中天から北側は青空が見え始め南側の半分は曇天の空模様と成っていた。



 10時を過ぎた頃に散歩を兼ねて何時もの那賀川の河川敷を歩いた。上流のダムの放流が有ったらしく広報車がダムの放流が始まっている事を知らせながら回っていたが川の水嵩は余り上がっていない。私の家から700m位上流には途中に瀬があり(此の距離で高低差が7mH位有る)その部分では可也のスピードで水は流れていた。



 季節は10月の初旬が終わろうとする時期なのに半ズボンと薄手のTシャツ姿で1Kmも歩かない内に早々と背中にじっとりと汗を搔く始末、草むらには黄色い蝶は飛んでいるし1週間前に朽ちた彼岸花の茎を草刈機で完全に刈ったのだが2度咲きか?家の周りには彼岸花が咲いている。御蔭で1時間の散歩が終わるとビッショリと全身に汗を掻き堪らず久し振りに残り湯の風呂に飛び込んだ。昼からは上半身は裸で過ごす程、蒸し暑い状態、夕方の天気予報では隣の美波町では31度を越す8月下旬の気温で10月としては過去最高気温を記録したらしい。



 可哀想なのは子供達、早朝の段階では色んな警報が出ていたので「遣った今日は学校が休みだ」と早合点した組も多かったと思うがタイミングが悪い事に7時30分頃には一部、空に晴れ間が出始めて残念な事に台風に寄る休校には成らなかった様である。私も子供の頃は台風が来ると学校が休みに成るか?成らぬかで一喜一憂をした思い出がある。台風の怖さより台風一過の青空の下、川が上流で堰き止められ水嵩が減った川に入り川えびや鮒を捕りに走り廻って居た事を懐かしく思い出す。小学校1~2年生までは川で採った鮒を串に刺して火で炙り食べていた事も有ったが何か「かすかすした食感」を微かに覚えているが今、其の味をハッキリ思い出す事は出来ない。今と違って何処とも随分質素な生活をしていた。多分、今時の猫なら跨いで通る代物だと思うが食べる事より捕る事自体が非常に楽しかった。今の子供なら臨時休校に成っても川に魚を捕まえに行く者等居ないだろう。そこ等に時代の流れを感じる。

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 台風情報で思い出す与論島での思い出

2013年10月08日 | 日記

  今日の早朝には雨が降る天気であったが9時前には雨も上がり雲が多かったが時折、青空が覗く天気と成った。台風の進路は気に成る処、一時間毎の進路をインターネットで確認しているが如何やら嫌なコースを辿っている。特に1時間くらい前から進路を東寄りに変えて北九州に近づく方向に曲がった。



 北九州に上陸して日本海(山陰地方)に抜けるコースの場合は四国は如何しても長時間風雨に曝される。台風の規模は強い台風だが暴風圏内が規模の割には狭いので少し救われる感じだが決して予断は許されない。今の所、徳島では風も吹かず雨も降らない状態だが今晩の夜半から影響が現れ明日の朝から昼前の時間帯が一番影響を受ける感じ、「嵐の前の静けさ」で不気味な感じがする。取敢えず雨の無い内の午前中に家回りの台風に対する対応を行った。



 午前中にテレビを見ていたら今回の台風は与論島を直撃したらしく瞬間最大風速で50m台の風を観測したらしい。風を受けた町筋の情景が流れていたが町筋と言っても小さい島なので其の場所が島のどの位置に在るのか直ぐに解かり懐かしく感じた。私が与論島に移動運用に言ったのは2011年の6月、沖縄本島を23日間掛けて移動運用し帰り道の最初の離島運用として与論島に初めて上陸した。



 しかしタイミングが悪く其の年の台風1号に遭遇し連絡フェリーが欠航して初めての離島シリーズで足止めを食らった。其の時の台風は大型では無かったが与論島の直ぐ西側の海上を通ったので曇天の中を丸い円状の青空が(台風の目)が北に向かうのを確認できた。滞在は長かったので車で一周10分前後の島の周回道路を何周もしてあらゆる所を回ったので島内の景色は鮮明に良く憶えて居た。此の年は運が悪く奄美大島の最後の運用地の龍郷町でも台風2号に追い掛けられ与論島の経験から龍郷町の運用を途中で切り上げて宮崎の安養子さん宅に避難した事も思い出深い。

 

 過去の全国行脚は無線運用が中心ではあったが保々全国各地を車で回ったので全国のニュースや旅番組等を見ていると過去に訪れた場所の情景が映り出される機会が有るが其の度毎に色んな思い出や情景を思い出し懐かしく機会があれば再度訪れたいと思う。今日は与論の百合が浜で台風の余波の大雨が降った時に「雨宿りして行きなさい」とみやげ物売り場の小母さんに呼び止められて雨宿りしながら世間話した時、ジュースやコーヒー挙句にはラーメンまで御馳走になった事が有ったが「御元気なのだろうか?台風の被害は無かったのだろうか?」と思いながら忘れかかっていた小母さんの顔を思い出した。

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 思いの外、スピードの上がらない「フレッツ光の隼」

2013年10月07日 | その他

 少し前にNTT西日本から「フレッツ光の隼」に乗り換えの電話連絡が有り速さに対する不満は無かったのだが局内切り替えで対応出来ることも有り「渡りに船」で申し込んでいた。先日メールで切替と登録の完了連絡が入ったので どの程度のスピード・アップに成ったのか伝送速度を確認したが予想通り思いの外、スピードは上がって居ない。使用時間帯に寄っても違うのだろうが日頃使用する昼間の時間帯で2割程度のスピード・アップ 実際の使用感覚では早くなったと言う実感は無かった。



 無線運用中にインターネットに接続するパソコンは全て有線対応、隣の部屋で使用する時は線の引き回しが煩わしいので無線で接続している。無線で接続すると有線接続に対して2~3割程スピードが落ちる感じで今回の変更は実感的には無線での接続が少し良く成ったかな?の程度で終わった。

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 自己主張の場の無線とブログ

2013年10月06日 | アマチュア無線

  ブログをはじめたのが2年前の7月、最初は興味本意で始めたが思いの他、壷に入ってしまった。はじめた段階では西も東も解からない状態であったが趣味のアマチュア無線を通してブログを見て頂く方がポツポツと増え始めた。今思うと現役をリタイヤすると毎日が日曜日、最初の2~3ヶ月は毎日無線を楽しんでいたが6ヶ月、1年と月日が過ぎると世間との繋がりが段々と途絶え世間から取り残されていく疎外感を感じる様に成って来た。



 私は社会生活に於いて決して積極的な性格では無い、自分ではむしろどちらかと言うと消極的な部類の人間で積極さを旨く表面に表せないタイプと思っている。アマチュア無線を運用している時の私しか知らない人(私に会った事の無い人)は「嘘だろう~」と思われるかも知れないが、意外と其の強面の風貌からは信じ難いが内気な方である。解かりやすい言葉で言えば「内弁慶」がピッタリくる。しかし何処か屈折しているのだろう。顔が見えなければ日頃の自分自身とは違う性格と言うか?人間に変身できる。特に趣味のアマチュア無線で交信する場合は最初から顔や性格が解からない人と話をする事から日頃の自分とは違った自分を発見したり表現する事が出来る。だから全国の移動先でアイボールした方からハッキリは言わないが「思ったイメージとは随分違いますね」とよく言われるし言われなくても其れが相手の顔によく出ている。数年前までは私の顔写真は一切公表しなかったので各地でよく言われたが在る日、香川県のアマチュア局のホーム・ページに顔写真が載ってからは会話から来るイメージだけで無く写真から感じ取る より明確なイメージが湧くからなのか?其の事は余り言われ無くなった。



 アマチュア無線の世界では其々に少し変わっていても此のタイプの人は結構多い。何故なら本当に積極的な人ならアマチュア無線の様な非効率的な手段は使わなくても日々、日常生活の中で幾らでも人との交流の機会はある筈だし其の様な人達には顔の見えない会話等は少し物足りないのでは無いだろうか?



 私は移動運用先で80人位の方とアイボールしたが其の大半の人が「おっとりした」どちらかと言えば物静かな落ち着いた人が多い。確かにアマチュア無線を通じて会話しているので全くの初対面の感じはせず会話が途切れる事は無いのだが「立て板に水」の様な人とは余りお会いしていない。よく世間では「アマチュア無線は根暗な趣味」の様に第三者に思われたり言われるのは此処らに要因がある様に思われるのだが・・・・・しかしアマチュア無線の世界を長く楽しむ為には此の事は重要な要素で開局当時は見知らぬ所に電波が届いて交信ができた事が嬉しいし楽しいが其の総てが完成してしまえば終局は見知らぬ人との会話を楽しむ事と成る。其の事には余り派手さは無いが其の事、事態に楽しみが感じられない人は達成感を感じてアマチュア無線の世界から足を洗う様である。(無線局の免許状の有効期限の5年間に各局の殆どの初期目標は達成してしまうので)


 私の独断と偏見で言うなら此処の様なタイプの人がアマチュア無線には向いていると言っても過言で無い。何時聞こえるか解からない中で只管待ち受け受信に時間を掛けたり、他人の交信をじっと傍受したり結構、じっくりと忍耐強さが求められる趣味だからである。そして何より顔も見知らぬ人と会話する事に楽しみや充実感を感じ取れる人で無いとアマチュア無線は長続きしないと思う。



 しかしアマチュア無線の世界も少し様相が変わって来た。良い悪いを判断する事ではないが、最近の傾向として交信実績を上げる事のみに重きを於いた交信スタイルが主流に成って来た事、其処には以前の様な局と局のコミニュケーションが段々と薄れて来た様に思う。私も移動運用をして時間の短い交信もするがアマチュア無線を継続して来た理由は見知らぬ人と色々話合う事が楽しみで在ったからで其れ等のバランスであろうと思う。



 最近はその様な事情から毎日各バンドを何時も通り聞いては居るが余りお空には出ていない。反面、其のエネルギーがブログの書き込みに注がれている。ブログも自分の思う事を好き勝手に書け、見る見ないは相手の判断する処、一方通行では有るが退職して世間との接点が少なく成ると唯一の自己主張の場と成っている。そして今日、念願の週間ブログ・ランキング5000位以内の目標が4回目の挑戦で達成した。アマチュア無線もブログも自己アピール場としては共通点があるが伝達効率はブログの方が遥かに高いアマチュア無線では毎日、150局との交信は不可能であるがブログの方は、其れが可能で最近、毎朝の訪問者数に一喜一憂している。







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 家内と違う旅行感

2013年10月05日 | その他

  昨晩の宵の口からポツリ、ポツリと降り始めた雨が今朝は確りした降りの雨に変わり日中も時々降り止む事は有っても現在まで弱い雨が降り続いている。気に成っていた台風23号も進路を変えて北西の方向へと進んでいる。今年は台風の当たり年ながら今の所、四国に台風らしい影響を与えたのは一個だけだが次の24号が四国に近づくコースを辿りそうで予断を許さない。]



 今年は夏が暑かったので日本の南方の海水温度が高く30℃位あり海水の温度としては限界点近くまで上がって居るらしく、台風のエネルギー源としては大きい力を持っている状況らしいが不思議と今年は気圧的には台風は大型化していない。コースも日本列島のかなり東側の海上を進む台風が多かった。其の為、近年に無いコースを辿る台風が多く助かったが、とにかく毎回台風の進路には一喜一憂させられる。今回の23号は何とか四国には大きな影響の無いコースと成りそうだが次の24号にも太平洋高気圧に頑張って貰って北上を阻止して貰いたいと思っている。



 今日は家内が家内の姉夫婦と愛媛県の温泉に一泊旅行に出掛け、息子と私は御留守番、夕食を作るのも面倒なので二人で外食に出向き先程帰った処、今晩は隣の部屋に家内が居ないので久し振りにコンディションが良ければ夜中に「ジャパーン~」と大声を出してみようと思って居るが果たしてコンディションの行方は・・・・・・私は「鬼の居ぬ間の・・・・・」だが家内は家内で「鬼の居ぬ間の宴会・・・・」に成って居る事だろう。私は貧乏性なのだろうか?何故か温泉の一泊旅行に行くのなら其の費用で車中泊やキャンプでも良いから少しでも日数を掛けた旅行をするタイプ、温泉は日帰り浴で十分な方で家内とは少し旅行に対する感覚が違う さりとて其れを家内に押し付ける気持ちも無いのだが、来年の北海道旅行は家内は同行すると言っているが意外と早い段階で別行動に成り飛行機で帰りそうな気がする其の為にも一週間の内に千歳空港を通るコースを考えねばと思っている。




























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 テレビを見ながら思い出した学生時代

2013年10月04日 | 日記

  今日の夜にテレビを見ていたら「同窓会、有名人、母校に帰る」と言う番組が放映されていた。テレビ界に活躍している有名人が思い出の母校に帰り在学中の思い出を語る番組である。風呂上りに偶々放映されていた番組で有ったが最後まで見てしまった。



 私は以前のブログに書いたが小学校時代から大学に行けない事は解っていたので上の二人の兄が徳島県では名門の工業高校に入学し技術系の道に進んで居たので自分も当然の様に其の道を進む事は中学に入学する頃には既に決めていた。そして偶々中学生の後半にアマチュア無線の存在を知った事から電気の世界に興味を持った。当時、県南部には工業高校は無く私が中学2年生の時、阿南市に国立高専、と県立の工業高校が出来たが(古い話に成るが当時の阿南市は全国の13箇所の新産業都市に指定される予定で有ったので其の底辺となる技術者の養成目的で開校された)当時の国立高専の受験は学年で5番以内でないと受験できない空気があり私等は当然、門前払い、一級先輩も同期も何人か受験したが合格したのは学年で2番の成績の者だけでであった。当然に私の入学したのは県立の工業高校であったが余談だが家内側の二人の兄弟は高専の1回と3回生、時々に冠婚葬祭で顔を合わせるが未だに頭が上がらないHi



 私の場合は入学動悸が電気を学ぶ過程でアマチュア無線が出来れば良いな?と思っていたし、工業高校を出た程度では所詮ブルー・ワーカー、学業で及ばなくても実世界に出れば人並みに競争していく自信は何故か不思議と持っていた。従って在学中は試験勉強など殆どせずに一夜漬け専門、自分でも呆れる位勉強はしなかった。当然成績は言うまでも無く散々たる状態で有ったが大手の会社に行く事など無理だし全然考えても居なかったし寧ろ三流程度が自分にとっては分相応で実力が出せる場と思っていた。



 入学後は運動部にも所属せず帰宅組の生活、少し薄れかかって居た無線への思いが偶々1年の2学期に知り合った樫福君との縁で高校のアマチュア無線部を知り、入り浸ったのが運の尽き、無線の世界への更なる拍車が掛かった。個人では中々経済的に困難な開局は出来なくても高校の無線部でアマチュア無線を楽しめる事が解ると後は一直線に無線の世界に、のめり込んだ。無線部では良き先輩に恵まれ、もう一人の同級生の栗本君が加わり私の勝手に付けた「無線馬鹿三人組」が誕生、其の付合いは卒業まで続いた。三年間の在学中の学校行事(運動会や球技大会其の他)や無線部の三人組み以外の同級生との思い出等は殆ど思い出す事が出来ない。そして三人組みは其々のアマチュア無線を現在でも楽しんでいる。



 私が在学中の電子工学の教本は大半が真空管の回路、トランジスターの事も少し勉強した様に思うが余り記憶にない。アマチュア無線の試験も確か真空管回路であった様に思う。卒業して実社会に出て1~2年からトランジスター回路が中心に成り在学中の勉強は私の職種には余り役に立たなかったがアマチュア無線を遣った過程での「遣って見なければ解らない、兎に角挑戦し取り組む中で習得する」アマチュア精神は随分役立った。其の意味では学業で得たもの寄りアマチュア無線を楽しみながら会得したもの方が確りと根底に有る様な気がする。高校在学中の無線三昧も決して無駄では無かったと言う事だろう?ただ在学中の思い出が無線三昧の日々しか無いと言うのも今と成っては残念な気もする。
  


 

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