今日ののニュースをみてビックリしました。京都の伏見稲荷神社の有名な千本鳥居の前で、早稲田大学の学生が全裸で写真を撮って、あろうことかそれをツイッターに掲載して配信したのだとか。しかも、その件で早稲田大学が謝罪したのだそうです。
今までにも、人の口に入るものを保管する冷蔵庫や冷凍庫に入って得意満面の写真をSNSに掲載したり、いきさつの真偽は不明ながら、中華料理チェーン店のカウンター席に複数の男性が全裸で座っている写真が明るみに出たりと、『日本人の品位かく失墜せり』といった内容の報道が連日のように流されています。そして、それによって店一軒が廃業に追い込まれたりしているのですが、そういう最悪の結末を迎えた事例を見ても、彼等にはまだ『学習する』には不十分だったのでしょうか。
先ずきちんとしておかなければならないのは、これはイタズラなどというものではなく『公然猥褻罪』であるということです。そして、これだけの重大事を起こしておきながら、何故学校が謝罪しなければならないのでしょうか。謝罪すべきは、いい加減図体のデカくなった容疑者本人と、そういう品位のない人間に育て上げてしまった親です。
そして、それよりも私が危惧しているのは、日本の若者達に『神域に対しての畏怖の念』が欠如していることです。冒頭に敢えて不快なタイトルをつけたのは、このことについてです。
伏見稲荷と言えば千有余年の歴史を誇る霊場です。そして鳥居は、ここから先が神域であるという結界です。伏見稲荷に訪れたことのある方なら分かって頂けると思いますが、あの千本鳥居というものは他の神社の入口としての鳥居とは全く違っていて、何やら『異界』へ入っていくような特別な空気を醸し出している独特の世界です。そういった場所を『パワースポット』と一くくりに称して巡って歩いたりして、とかくスピリチュアルなもののチェックに余念がないと思いきや、そういった『霊力(霊感ではありません)』というものは感じずにいられてしまうほど、残念ながら今の若者達は鈍感に…いや、不感症になってしまったのでしょう。
そんなことを思いながら、出勤前に厚木神社に詣でました。ここは違う場所から明治期に遷坐された比較的新しい御社ですが、それでも一歩鳥居をくぐれば須佐之男命をお祀りする神域としての凛とした空気を感じることが出来ます。少なくとも問題の早大生に、お稲荷様の罰が最小限であることを願って止みませんでした。
今までにも、人の口に入るものを保管する冷蔵庫や冷凍庫に入って得意満面の写真をSNSに掲載したり、いきさつの真偽は不明ながら、中華料理チェーン店のカウンター席に複数の男性が全裸で座っている写真が明るみに出たりと、『日本人の品位かく失墜せり』といった内容の報道が連日のように流されています。そして、それによって店一軒が廃業に追い込まれたりしているのですが、そういう最悪の結末を迎えた事例を見ても、彼等にはまだ『学習する』には不十分だったのでしょうか。
先ずきちんとしておかなければならないのは、これはイタズラなどというものではなく『公然猥褻罪』であるということです。そして、これだけの重大事を起こしておきながら、何故学校が謝罪しなければならないのでしょうか。謝罪すべきは、いい加減図体のデカくなった容疑者本人と、そういう品位のない人間に育て上げてしまった親です。
そして、それよりも私が危惧しているのは、日本の若者達に『神域に対しての畏怖の念』が欠如していることです。冒頭に敢えて不快なタイトルをつけたのは、このことについてです。
伏見稲荷と言えば千有余年の歴史を誇る霊場です。そして鳥居は、ここから先が神域であるという結界です。伏見稲荷に訪れたことのある方なら分かって頂けると思いますが、あの千本鳥居というものは他の神社の入口としての鳥居とは全く違っていて、何やら『異界』へ入っていくような特別な空気を醸し出している独特の世界です。そういった場所を『パワースポット』と一くくりに称して巡って歩いたりして、とかくスピリチュアルなもののチェックに余念がないと思いきや、そういった『霊力(霊感ではありません)』というものは感じずにいられてしまうほど、残念ながら今の若者達は鈍感に…いや、不感症になってしまったのでしょう。
そんなことを思いながら、出勤前に厚木神社に詣でました。ここは違う場所から明治期に遷坐された比較的新しい御社ですが、それでも一歩鳥居をくぐれば須佐之男命をお祀りする神域としての凛とした空気を感じることが出来ます。少なくとも問題の早大生に、お稲荷様の罰が最小限であることを願って止みませんでした。