共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

あるべき姿で

2013年09月18日 19時50分47秒 | 日記
今日は上野に出て来ました。本当なら月曜日に来る予定だったのですが、ご存じの通り台風に見舞われて交通機関が麻痺したため、断念せざるを得ませんでした。

上野公園の奥に進んだところに東京芸術大学があり、通を挟んで音校(音楽学部)と美校(美術学部)とに別れていますが、今日は美校の敷地内にある東京芸術大学附属美術館に来ました。今ここで《興福寺仏頭展》が開催されています。

奈良・興福寺東金堂の本尊だったこの御像は、鎌倉期に飛鳥の山田寺から僧兵が強奪してきたものでしたが、室町期の落雷による火災で頭部を残して焼け落ちてしまいました。その後、現存の東金堂が完成して新しい薬師如来像が安置された時、その台座の中に残った金銅製のこの頭部を、同じく焼け落ちた銀製の仏手を納めた唐櫃の上に据えて納めていました。それが昭和12年の解体修理の時に発見され、当時大ニュースになったのだそうです。

『仏頭』と呼ばれる通り、この御像は首から上のみが残り、頭頂部も陥没してかなり痛々しいものではありますが、白鳳時代特有の凛としたお顔立ちの造形の美しさと学術的な貴重さから、欠損仏としては異例の国宝に指定されています。

今回は特にこの仏頭を中心に、平安期に製作されて、当時この御像の台座に飾られていたと思われる《板彫十二神将像》(国宝)と、鎌倉期に製作されて、今も東金堂内で本尊・薬師如来を守護している《木像十二神将立像》(国宝)が、それぞれ全12体一堂に会して、鎌倉期東金堂に仏頭を中心に安置されていたあるべき本来の姿を再現したかたちになっています。

《板彫十二神将像》は通常は興福寺国宝館に展示されているのですが、一度に公開されるのは3体ほどで、今回のように12体が揃って公開される機会は、現地でもあまりありません。また東金堂内安置の木像十二神将像は、現地ではかなり離れたところにある台座の上に、しかも左右に6体ずつ固まってあるため、今回のように1体1体をじっくりと鑑賞することはできません。そういった意味では現地興福寺でもなかなかお目にかかれない、非常に貴重な展覧会です。

また、今回は参考展示として、仏頭と同じ白鳳時代に製作された深大寺の釈迦如来倚像が特別招聘されています。普段深大寺に伺うとガラスケースの中に坐しますお釈迦様が、今展覧会では360度から拝観できるようになっていて、これまた貴重です。

興福寺は来たる2018年に、根本中堂と言うべき中金堂が落成します。今回の展覧会は、その落成に向けた復元工事の資財調達の意味も兼ねてのものです。今日は興福寺から僧侶もいらしていて、講話がてら盛んに御寄附のお願いをされていました。

もしおいでになったら、今回は木像十二神将像と仏頭と深大寺釈迦如来倚像は360度拝観できるように展示してありますので、普段お寺では絶対に拝観することの出来ないバックショットを是非観て頂きたいと思います。
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