最近、駅や公共施設の壁にこんなポスターが貼ってあるのを見受けます。昨年辺りに大変問題になった、ツイッターやフェイスブック等のSNSに、線路に降りたり、バイト先で食品に関わることで悪ふざけをしたりといった写真をアップした事件についての注意を喚起するものです。
特にスマートフォンが普及するようになってからだと思いますが、これだけ個人から情報を発することに馴れた世代からすると、いかに他人よりもインパクトのある画像や動画を配信出来るかということが、ひとつの価値観として成立しているようにも感じます。
しかし、インパクトのある画像というのは、こういったふざけたものであってはいけません。私からすると、こういうことは毟ろ『悪目立ち』として恥ずべき行為という認識です。
日本人は古来、物質的な文化と共に精神的な文化も育んできましたが、その中のひとつに『恥』の文化というものがありました。私は幼少期に、明治生まれの祖父母のところで過ごすことが多かったのですが、質の悪い悪戯をしてしまった時などは、普段は優しい祖父母に板の間に正座させられて、懇々と叱られたものでした。その時によく「恥をお知りなさい」と言われて、子供心にズキン!と来たものでした。
特によく言われたのが『天知る、地知る、我知る』という言葉でした。誰が見ていなくたって、お天道様は知っていますよ、地べたも見ていますよ、何しろやらかした自分自身が一番知っているでしょう…という意味ですが、これは、申し訳ありませんが、頭ごなしにガミガミ怒っていた父に言われるよりも100倍パンチのある言葉でした。今にして思えば、彼等はそういった言葉を通して私に『恥を知る文化』を教えてくれたのだと実感しています。そういう感覚が、恐らくこういうことをしでかした人間には著しく欠落していたのでしょう。
第一、このポスターにも書いてありますが、これらの行為は立派な犯罪行為なわけです。許可なく線路に降りれば『鉄道営業法違反』、勤務先でものをダメにしてしまったら『器物破損』、こういうことが原因で店が営業停止や閉店に追い込まれたら『威力業務妨害』になるわけです。
まして、それを写メに撮って、ツイッターやフェイスブックにアップするという行為も理解できません。恐らくものすごく狭い見解でしたことなのでしょうが、ツイッターやフェイスブックやブログというものは世界中で見られるものなわけです(因みにこのブログも、オーストラリアやイギリスに在住の友人も見てくれています)。つまり彼等の軽率な行動は、廻り廻って自分達の恥を世界中に曝す行為でもあるわけです。そういうことに思いが至らないというのは『想像力の欠如』と言われても仕方ありません。
今でも思うのですが、あの事件で閉店に追い込まれたコンビニやファミレスのオーナーさん達は、その後どうしているのでしょうか?私の周りでも何人かいるのですが、コンビニのオーナーになるということは、大変な時間と労力とお金がかかるものなのです。それを、ある意味自分の与り知らぬ間にやられたおバカによる所業で、監督不行き届きを理由に本社から閉店を決定されるなんて…考えただけでゾッとします。
少し話は逸れますが、以前一人の小学生の少年を複数の中学生が取り囲んで殴ったり蹴ったりし、その様子を動画に撮って動画サイトにアップしたことが問題になり、加害者の中学生が書類送検されるという考えられない事件が起こりました。当時、当事者達は「ふざけてじゃれていただけ」と弁明していましたが、ニュースで流された画像を見れば、モザイク越しにみても明らかに集団リンチ以外の何物でもありませんでした。これはもはや立派な『暴行』です。
思うのですが、これからはこうした行為や学校での問題について『いたずら』とか『いじめ』とかいう薄っぺらい言い方をやめて、立派な犯罪行為として認識させるべきです。例えば、学校で事件が起きると、須らく『いじめ』というマイルドな言葉でごまかしがちですが、人を脅かせば『脅迫』、殴ったり蹴ったりしたら『暴行』、暴力行為が日常化したら『虐待』、お金を巻き上げたら『恐喝』、万引きしたら『窃盗』、人の嫌がることをさせたら『強要』、侮辱するような言葉を浴びせたら『名誉毀損』、そういった犯罪行為に対しては確固とした対処をする、例え子供と言えども甘ったれた容赦はしない…それくらいの気概を持って取り上げなければいけないレベルに、残念ながら日本人の精神的レベルは堕ちています。
こんな世の中にしてしまったのは、私も含めた昭和時代以上の大人達に責めがあるという自戒の意味もこめて申し上げますが、『恥を知る文化』を何処かに置いて来てしまった現代の日本の社会においては、残念ながらこのくらい身に染みる言葉を使っていかなければいけないような気がしています。もし『人権養護』という錦の御旗を掲げて非難するのなら、今から『恥を知る文化』を大人達が徹底的に再確認し実践して、子供達に徹底的に教え込むことです。
特にスマートフォンが普及するようになってからだと思いますが、これだけ個人から情報を発することに馴れた世代からすると、いかに他人よりもインパクトのある画像や動画を配信出来るかということが、ひとつの価値観として成立しているようにも感じます。
しかし、インパクトのある画像というのは、こういったふざけたものであってはいけません。私からすると、こういうことは毟ろ『悪目立ち』として恥ずべき行為という認識です。
日本人は古来、物質的な文化と共に精神的な文化も育んできましたが、その中のひとつに『恥』の文化というものがありました。私は幼少期に、明治生まれの祖父母のところで過ごすことが多かったのですが、質の悪い悪戯をしてしまった時などは、普段は優しい祖父母に板の間に正座させられて、懇々と叱られたものでした。その時によく「恥をお知りなさい」と言われて、子供心にズキン!と来たものでした。
特によく言われたのが『天知る、地知る、我知る』という言葉でした。誰が見ていなくたって、お天道様は知っていますよ、地べたも見ていますよ、何しろやらかした自分自身が一番知っているでしょう…という意味ですが、これは、申し訳ありませんが、頭ごなしにガミガミ怒っていた父に言われるよりも100倍パンチのある言葉でした。今にして思えば、彼等はそういった言葉を通して私に『恥を知る文化』を教えてくれたのだと実感しています。そういう感覚が、恐らくこういうことをしでかした人間には著しく欠落していたのでしょう。
第一、このポスターにも書いてありますが、これらの行為は立派な犯罪行為なわけです。許可なく線路に降りれば『鉄道営業法違反』、勤務先でものをダメにしてしまったら『器物破損』、こういうことが原因で店が営業停止や閉店に追い込まれたら『威力業務妨害』になるわけです。
まして、それを写メに撮って、ツイッターやフェイスブックにアップするという行為も理解できません。恐らくものすごく狭い見解でしたことなのでしょうが、ツイッターやフェイスブックやブログというものは世界中で見られるものなわけです(因みにこのブログも、オーストラリアやイギリスに在住の友人も見てくれています)。つまり彼等の軽率な行動は、廻り廻って自分達の恥を世界中に曝す行為でもあるわけです。そういうことに思いが至らないというのは『想像力の欠如』と言われても仕方ありません。
今でも思うのですが、あの事件で閉店に追い込まれたコンビニやファミレスのオーナーさん達は、その後どうしているのでしょうか?私の周りでも何人かいるのですが、コンビニのオーナーになるということは、大変な時間と労力とお金がかかるものなのです。それを、ある意味自分の与り知らぬ間にやられたおバカによる所業で、監督不行き届きを理由に本社から閉店を決定されるなんて…考えただけでゾッとします。
少し話は逸れますが、以前一人の小学生の少年を複数の中学生が取り囲んで殴ったり蹴ったりし、その様子を動画に撮って動画サイトにアップしたことが問題になり、加害者の中学生が書類送検されるという考えられない事件が起こりました。当時、当事者達は「ふざけてじゃれていただけ」と弁明していましたが、ニュースで流された画像を見れば、モザイク越しにみても明らかに集団リンチ以外の何物でもありませんでした。これはもはや立派な『暴行』です。
思うのですが、これからはこうした行為や学校での問題について『いたずら』とか『いじめ』とかいう薄っぺらい言い方をやめて、立派な犯罪行為として認識させるべきです。例えば、学校で事件が起きると、須らく『いじめ』というマイルドな言葉でごまかしがちですが、人を脅かせば『脅迫』、殴ったり蹴ったりしたら『暴行』、暴力行為が日常化したら『虐待』、お金を巻き上げたら『恐喝』、万引きしたら『窃盗』、人の嫌がることをさせたら『強要』、侮辱するような言葉を浴びせたら『名誉毀損』、そういった犯罪行為に対しては確固とした対処をする、例え子供と言えども甘ったれた容赦はしない…それくらいの気概を持って取り上げなければいけないレベルに、残念ながら日本人の精神的レベルは堕ちています。
こんな世の中にしてしまったのは、私も含めた昭和時代以上の大人達に責めがあるという自戒の意味もこめて申し上げますが、『恥を知る文化』を何処かに置いて来てしまった現代の日本の社会においては、残念ながらこのくらい身に染みる言葉を使っていかなければいけないような気がしています。もし『人権養護』という錦の御旗を掲げて非難するのなら、今から『恥を知る文化』を大人達が徹底的に再確認し実践して、子供達に徹底的に教え込むことです。