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写真は、三越本店の、
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カーブスで、時々、お目にかかる方を、偶然、FBでお見かけしました。
仲良しの画家の友人、永田治子さんのところでです。
「ええ!、なんで、永田さんと、このカーブスの(お名前も知らない)方が、ご一緒してるの?」
次に偶然、カーブスでお目にかかった時、伺ってみました。
「私、実家が、神楽坂にあったんです。それで月に一回くらい、赤城神社から、神楽坂の坂をずっとお掃除して歩くボランティアをしているのです。写真は、そのボランティアのお仲間です」
と。
「その朝は、5時起きです」
しばし、神楽坂のお店のどこが潰れて困った、あのイタリアンは安くて美味しいわよ、芸妓屋さんの家の後をスペイン料理にしたお店、ご存知?黒塀のフレンチのかみくらは?」など、神楽坂のお店の話に花が咲きました。
次にカーブスでお会いした時、帰りのスーパーの中を歩きながら「結婚してからは、世田谷の岡本に40年以上住んでいたんです」と、彼女が。
「砧公園の近く?静嘉堂文庫のそば?」
「ええ、そうです。ユーミンの家も近くにありました。ユーミンは、2軒お家を持っていて、自動車教習所の近くにもお家があるんですよ」と。
私は、「うちは、玉川に住んでいて、子どもが2人とも、ドミニコ学園の幼稚園だったので、岡本のあのあたり、行くのが遠くて大変だったけど、父母会や、運動会、いろいろなイベントがあってよく行きました。砧公園にもよく行きました」
ユーミンといえばね・・・。
「玉川高島屋の南館ができた頃、60年代から70年代あたり。ユーミンは玉川高島屋が御用達。お気に入りのお店。それと成城学園に住んでいた、加山雄三の奥さんと、地下でばったり。黒のストッキングが見事に伝線していてね・・・。でも気づかずに歩いていて」(笑)。
と、そんな話を。
「その後、うちは、馬事公苑の近くの弦巻に、マンションを買い替えて・・・。それから、ここに引っ越してきたんです」
「うちも、世田谷に40年、それからここへ。・・・住めば都ですね。交通も便利だし」と。
なんだか、偶然にも住まいが同じような変遷を辿っていらして、シンパシーを感じました。
「でも、神楽坂生まれなんて、とても粋だわ。私は、秩父の生まれ」
そう話したら、
「叔父が秩父にいました。札所巡りもぜんぶしました」と。
なんだか、びっくり。
そのびっくり記念に、なつかしき、ユーミンの歌。
なんとスキャットは、元「赤い鳥」の山本潤子!
松任谷由実 - あの日にかえりたい (Yumi Arai The Concert with old Friends)
翼をください 赤い鳥 アコースティック、ウッドベースバージョン