ポストをあけたら、旧い友人である、詩人の菅原優子さんから茶封筒が届いていました。家でハサミで開けるのももどかしく、エレベーターの中で茶封筒を破ると、中から出て来たのは詩集でした。美しい宝石のような詩集。
菅原優子さんは、『空のなみだ』(リーブル)で今から12年前、第1回「三越左千夫少年詩賞」を受賞されている方です。
「もう、詩は書かない」
彼女がそうおっしゃっていると、人づてにうかがったのは、いつ頃だったでしょうか。そんなことがあったので、私はエレベーターの中で、飛び上がりたいような衝動にかられました。
菅原優子さんと最初に出会ったのは、もうかれこれ30年近く前です。
彼女とは「わっせ」という同人誌のお仲間でした。
それから数十年。「わっせ」も解散し、お目にかかる機会がないまま、お年賀状交換だけの年月が過ぎていきました。
思いがけず再会したのは、木暮前会長のお別れの会の日、「千日谷会堂」に時刻より早く準備のために集まった、その場でした。
お別れの会で彼女は、木暮正夫さんのお作りになった詩を朗読してくださったのです。力強く、しなやかに、けれど悲しく切ない、すばらしい朗読でした。
それからしばらくして、ご家庭のご事情などから、「もう詩はやめる」とおっしゃっていると、風の噂で聞こえてきました。時を同じくして、ご近所にお住い同士の詩人、Hさんとおふたりで長年やっていらした小さな詩集「カヤック」を閉じる旨のお知らせが届きました。
「カヤック」は詩人おふたりだけの競演詩集でしたが、描き方の対照的なおふたりならではの、とってもすてきな、私の大好きな詩集でした。
がっかりした気持ちで私は、会議などで詩人のHさんにお目にかかるたび、
「菅原さんはお元気?」と、うかがってしまう日々でした。
そんな折りの、この詩のえほん。
もう、うれしくてうれしくて・・・。
あったい おひさまのひかり
うごかずにじっとしていると
トンボがわたしのひざに
おりてきて とまった
なにかのあいずように
はねがきらりとひかって
ふいに思ったの
「わたしは わたし」って
黒井健さんの日本画のような、りんごも、野の花も、赤い花びらも、みんなみんなすてきです。
きらきらした菅原さんの感性に、美しく溶けあっています。
『わたしのいるところ』(リーブル刊)菅原優子。
とにかく、皆さま、お読みになってみてください。
菅原優子さんは、『空のなみだ』(リーブル)で今から12年前、第1回「三越左千夫少年詩賞」を受賞されている方です。
「もう、詩は書かない」
彼女がそうおっしゃっていると、人づてにうかがったのは、いつ頃だったでしょうか。そんなことがあったので、私はエレベーターの中で、飛び上がりたいような衝動にかられました。
菅原優子さんと最初に出会ったのは、もうかれこれ30年近く前です。
彼女とは「わっせ」という同人誌のお仲間でした。
それから数十年。「わっせ」も解散し、お目にかかる機会がないまま、お年賀状交換だけの年月が過ぎていきました。
思いがけず再会したのは、木暮前会長のお別れの会の日、「千日谷会堂」に時刻より早く準備のために集まった、その場でした。
お別れの会で彼女は、木暮正夫さんのお作りになった詩を朗読してくださったのです。力強く、しなやかに、けれど悲しく切ない、すばらしい朗読でした。
それからしばらくして、ご家庭のご事情などから、「もう詩はやめる」とおっしゃっていると、風の噂で聞こえてきました。時を同じくして、ご近所にお住い同士の詩人、Hさんとおふたりで長年やっていらした小さな詩集「カヤック」を閉じる旨のお知らせが届きました。
「カヤック」は詩人おふたりだけの競演詩集でしたが、描き方の対照的なおふたりならではの、とってもすてきな、私の大好きな詩集でした。
がっかりした気持ちで私は、会議などで詩人のHさんにお目にかかるたび、
「菅原さんはお元気?」と、うかがってしまう日々でした。
そんな折りの、この詩のえほん。
もう、うれしくてうれしくて・・・。
あったい おひさまのひかり
うごかずにじっとしていると
トンボがわたしのひざに
おりてきて とまった
なにかのあいずように
はねがきらりとひかって
ふいに思ったの
「わたしは わたし」って
黒井健さんの日本画のような、りんごも、野の花も、赤い花びらも、みんなみんなすてきです。
きらきらした菅原さんの感性に、美しく溶けあっています。
『わたしのいるところ』(リーブル刊)菅原優子。
とにかく、皆さま、お読みになってみてください。