今日は母の病院に行ってきました。
家が4月10日に完成し、いよいよ4月17日、母の退院が決まりました。
退院の近づいた母は、日に日にパワーアップしているようで、今日も元気いっぱい、病室に響きわたるような声でおしゃべりをしてくれました。
家に帰れるという思いが、こんなにも母の元気をあと押ししてくれているのだと思うと、弟や、弟の家族に、ほんとうに感謝感謝です。
朝は雨でしたが、電車にのっているあいだにすっかり上がり、山々に煙っていた霧がすっかり晴れ、武甲山もきれいに見ました。
帰ろうとしたら、弟が病院にひょっこりやってきて、車で駅まで送ってくれました。
レッドアロー号での往復3時間は、毎回、私にとって格好の読書スペースです。
今日は秩父在住の児童文学者、神田琴二さんからご恵贈いただいた『青春の道標』(ほおずき書籍)を読みました。
神田さんとは面識はありませんが、数年前ご出版された『赤平川の詩』(けやき書房)という作品があまりにもすばらしく、雑誌の批評に書かせていただいて以来のご縁です。
秩父の吉田町の近く太田という場所に1934年にお生まれになった神田さんは、長いこと公立中学の先生をおやりになっていらして、その間もずっと児童文学を書き続けていらっしゃいました。ですから作家としての年季も半端ではありません。
そんな神田さんの、子ども時代の体験から生まれた『赤平川の詩』は、とにかくディテールの書き込みのリアリティが見事としかいいようがありませんでした。大人たちの描写がこれまたすばらしく魅力的でした。
話はそれますが、絵本画家の飯野和好さんも実は秩父のご出身で、私と同い年です。彼は長瀞町のお生まれです。
けれど残念ながら、渋い着流しの懐に匂い袋をひそませている、見かけに似合わず粋な彼の子ども時代のことを、私は存じ上げません。
そんな彼は、秩父市内に生まれた私のことを、こう呼びます。
「お町のひと」
神田さんの『赤平川の詩』を拝読すると、秩父の町(市内)が、その周辺にお住いでいらした方たちにとっては、当時は子ども心に、とてつもなく遠く、夜祭りと重ねた「ハレ」の日の町という印象が強かったのだということを知りました。
だから飯野さんは、私のことをそう呼ばれるのです。
今回の神田さんの『青春の道標』は、いうなれば、『赤平川の詩』の次の時代の物語です。体験というより、よりフィクションの色合いの濃い作品でした。しかし、この作品でも印象的なのは、やはり大人の人たちでした。
神田さんは、観察力と記憶力に卓越した能力をお持ちの方のようで、大人たちのそれぞれの描写に、実にリアリティがあります。
戦争に敗れ、なにもかも失ってしまった、戦後のあの時代。こんなふうに生きることに悩んで大人たちが、たくさんいたのかもしれないとしみじみ思わせられました。
作品の底辺を流れているのは、生きることへの熱い応援歌です。
秩父の山々を目のはしに映しながら読んだこのご本は、遠いなつかしさに満ちあふれていました。
家が4月10日に完成し、いよいよ4月17日、母の退院が決まりました。
退院の近づいた母は、日に日にパワーアップしているようで、今日も元気いっぱい、病室に響きわたるような声でおしゃべりをしてくれました。
家に帰れるという思いが、こんなにも母の元気をあと押ししてくれているのだと思うと、弟や、弟の家族に、ほんとうに感謝感謝です。
朝は雨でしたが、電車にのっているあいだにすっかり上がり、山々に煙っていた霧がすっかり晴れ、武甲山もきれいに見ました。
帰ろうとしたら、弟が病院にひょっこりやってきて、車で駅まで送ってくれました。
レッドアロー号での往復3時間は、毎回、私にとって格好の読書スペースです。
今日は秩父在住の児童文学者、神田琴二さんからご恵贈いただいた『青春の道標』(ほおずき書籍)を読みました。
神田さんとは面識はありませんが、数年前ご出版された『赤平川の詩』(けやき書房)という作品があまりにもすばらしく、雑誌の批評に書かせていただいて以来のご縁です。
秩父の吉田町の近く太田という場所に1934年にお生まれになった神田さんは、長いこと公立中学の先生をおやりになっていらして、その間もずっと児童文学を書き続けていらっしゃいました。ですから作家としての年季も半端ではありません。
そんな神田さんの、子ども時代の体験から生まれた『赤平川の詩』は、とにかくディテールの書き込みのリアリティが見事としかいいようがありませんでした。大人たちの描写がこれまたすばらしく魅力的でした。
話はそれますが、絵本画家の飯野和好さんも実は秩父のご出身で、私と同い年です。彼は長瀞町のお生まれです。
けれど残念ながら、渋い着流しの懐に匂い袋をひそませている、見かけに似合わず粋な彼の子ども時代のことを、私は存じ上げません。
そんな彼は、秩父市内に生まれた私のことを、こう呼びます。
「お町のひと」
神田さんの『赤平川の詩』を拝読すると、秩父の町(市内)が、その周辺にお住いでいらした方たちにとっては、当時は子ども心に、とてつもなく遠く、夜祭りと重ねた「ハレ」の日の町という印象が強かったのだということを知りました。
だから飯野さんは、私のことをそう呼ばれるのです。
今回の神田さんの『青春の道標』は、いうなれば、『赤平川の詩』の次の時代の物語です。体験というより、よりフィクションの色合いの濃い作品でした。しかし、この作品でも印象的なのは、やはり大人の人たちでした。
神田さんは、観察力と記憶力に卓越した能力をお持ちの方のようで、大人たちのそれぞれの描写に、実にリアリティがあります。
戦争に敗れ、なにもかも失ってしまった、戦後のあの時代。こんなふうに生きることに悩んで大人たちが、たくさんいたのかもしれないとしみじみ思わせられました。
作品の底辺を流れているのは、生きることへの熱い応援歌です。
秩父の山々を目のはしに映しながら読んだこのご本は、遠いなつかしさに満ちあふれていました。