https://www.youtube.com/watch?v=aLQ6m6L6POw
高校三年生になりたての頃。
あれは、音楽の時間。
先生がピアノの前に座って、小さな声でこう言いました。
「この季節になると、歌いたくなる曲が、あります」(そのYouTubeが、上です。コピペしてご覧になってください)
痩せていらして、背が高く、生徒たちはかげで「ヒステリーのオールドミス」なんて、汚い言葉で言いつのっていた先生です。
先生がピアノに向かって一人の世界で歌っている、その歌を聴きながら、私は、初めてその先生の裏側を、いえ、先生の生き様というか、人間性を、想像してみたくなりました。
いつも長いスカートを履いて、髪をひとつにひっつめて。
地味な装いの先生は、自ら自分を表現することもなく、あまり感情のない声で、ポツポツと喋る人でした。
ですから女学生たちのかげでの噂話も、そんな先生の、実態が掴めず、表面的なところを見ただけを見た言葉でした。
でもその日。
私は、その歌声から、初めて、先生の姿が見えてきたような気がしました。
拙作『モーツアルトの伝言』(ポプラ社)で描いた男性教師も、中学生だった頃、実在の先生がモデルです。デフォルメしていますが。
あの先生も、最初はよくわかりませんでした。
でも、ずっと見ているうちに、なぜかシンパシーを感じる部分のあった先生でした。
いつも背筋を伸ばし、黒い蝶ネクタイをして、革靴をコツコツ鳴らしながら、廊下を歩いていました。
ものを描くようになって(いえ、子どもの頃から、そうだったような気がします)、私は口には出しませんが、出会うひとの、その裏の裏まで知りたくなります。
ものを描くことは、人間観察から始まると言います。
私の場合、人間観察は、まず人への好意から始まります。
「あの人、嫌い」という人は、ほとんどいません。
ある日、ふと見せた小さな裏側に、違和感を感じる瞬間があります。
でも嫌いにはなれません。
どうして、あの人がそうなったのか、今度は、それを知りたくなり、想像します。
30代の頃、私を作家の道へと繋げてくださった、60代後半で亡くなった作家の後藤竜二さんが、よく話していました。
「物語を描くことは、人間を描くことだ」と。
彼の文学理論には、とても傾倒するところがありました。
あれだけ、さまざまな人間を見事に描き分けた人です。
また文学性の豊かさ、垣間見える叙情性。
これは現代アメリカ文学の影響だ。私は、ひそかにずっとそう思っていました。
「類型はわかるけど、典型がわからない」そう呟いた私に、貸してくれたのが、『ゴーリキー文学入門』でした。
門外不出と後藤さんが言っていた、その青木書店の文庫本には、努力家の彼らしい、勉強の跡がくっきりと残されていました。
結局、門外不出と言っていたのに、案外あっさり「いいよ」と、図々しい私が、その本をもらってしまい、形見となって、今も、私の手元にあります。
そんな後藤さんとのつながりは、同じく30代でした。
後藤さんから、新宿の中村屋に呼び出され、カレーをご馳走になりました。そのとき、話しながら生まれたのが「季節風」です。
後藤さんが亡くなった後、今「季節風」は、後輩たちが、すごく頑張って、昔よりさらにパワーUPして、めざましい活躍をしています。
当時、一緒に「季節風」を作り始めて数年。
若かりし頃の彼を見ていて、「本当に人間をみる目がない人だな」と、大先輩の作家に向かって、生意気にも、私はそう思うことが何度かありました。
もちろん、生涯、後藤さんは恩師であり、そのご恩はきちんと、受け止めていますが。
でも、そんなこんなで「季節風」に行かなくなり、それから十数年後、私は日本児童文学者協会の、児童文学学校や、創作教室などを企画運営する、責任者になりました。
講師を決める時、私の脳裏には、いの一番に、後藤さんの顔が浮かびました。そしてすぐに、電話しました。
「創作教室の講師をやってくれない? 後藤竜二にやってもらえたら、受講生も感激して集まってくると思うし」
「うん。いいよ。カトージュンコに、頼まれたんじゃ、受けざるをえないよ」と、笑いながら、快く、忙しいのに彼は、講師を引き受けてくれました。
一年間の講師も、もうじき終わりという頃、後藤さんから電話が・・・。
「あのさ、創作教室の受講生で、書ける人を数人、季節風に引っ張ってっていいかな?」
「もちろん。大歓迎。後藤さん、彼女たちを作家としてデビューさせてあげて」と。
今、活躍している作家の何人もが、その時のメンバーです。
人間を見る目はないけど、書き手を見る目はある。
出版お祝い会などに、後藤さんから声をかけられ、伺うたびに、思ったものです。
ところが、彼が亡くなって数年後、何年かに一度ですが、後藤さんの奥さまと、おしゃべりをするようになりました。
とても知的で、静かな方なのに、貫くご自分を持っていらっしゃる彼女の素晴らしさに、私は心を奪われました。
画家である彼女の描く世界は、とても雰囲気があり、絵を拝見しながら、おしゃべりする時間が幸せでした。
「ああ、こんなステキな方が、お連れ合いなのだから、彼は、やっぱり、人間を見る目があったのだと」
奥さまと出会い、そう気づいたのは、彼の、あまりにも若い、突然の逝去から、数年が経ってからでした。
人間観察とか言いながら、人間をみる目がなかったのは、私の方だったのかもしれません(笑)。