作家の友人、i平さんとは、すでに30年以上、共に「児童文学の道」を歩いてきた仲間です。
10歳近く年の離れた弟のような彼がまだ20歳そこそこで、私が30歳になったかならない頃。
私たちは「わっせ」という同人誌の仲間でした。
「わっせ」は、わずか5年で解散になってしまいましたが、その後も創生期の「季節風」や、児文協の部会や委員会など、気がつくと私たちはいつも一緒に「児童文学の道」を歩いていました。
そんな長い友人関係の気安さから、彼はいつも皆さんの前でこう言って私をいじめます。
「ほんとに、カトウジュンコはバッカなんだから」と。
するとすかさず、そばにいらした皆さんがおろおろしながら、こうおっしゃいます。
「i平さんの『カトウジュンコはバカなんだから』には、いつも愛を感じますよね」
「感じませんよ。バカだけだって失礼なのに。それに夫にだって言われたこともないのに、バカのバの字に思いきりアクセントがつくんですよ」
そう私はいつも口をとがらせ、不当な言い様に抗議します。
その「バカなんだから」のi平さんから、先日封書が届きました。
封書を開くと、和紙に筆でかかれた、必要以上に「バカでかい」加藤純子さま、という文字が目に飛びこんできました。
一瞬、果たし状かと、私は笑いながら身構えました。
なにしろ、30年来、お互い言いたいことを言い合っている仲間ですから、密かに、怨念でもあるのではと恐れていた・・・なんていうのは、ジョーダンですが。
私の演じる、彼の山形なまりのもの真似は、児童文学の世界では周知のところです。
「バッカなんだから」と「山形なまりのもの真似」
これって、お互いさまってことでしょうか・・・。
けれど彼は、私のすっごく上手な彼のもの真似を尻目に、すました顔でこう切り返します。
「オレはシティボーイだから、そんな、なまってないよ」
そのシティボーイの送ってくださった封書から出て来たのは、なんと、お見舞いの手紙でした。
「25日が、目の修繕の日だって聞いてたから・・・」
手術じゃなくて、ここまできても「修繕」と書くところが、彼らしいと、思わず吹き出しました。
手術前も、「気合いで瞼をあげろ」と無謀なことを言うくらいの人ですから。
そしてなんと、和紙の手紙と一緒に入っていたのは「コブクロ」のCDでした。
「あれ?」
思わず私は、術後の、擦ってはいけない目を擦りそうになりました。
「私、i平さんにコブクロが好きだって話したことがあったかしら?」
いつだったか、芸能ネタに強い作家のMさんに
「私、コブクロが好きなの」
と話したことがあります。すかさず彼女から「好きなのはどっちですか?」と、たずねられました。
「小淵健太郎クン。彼の詩のひたむきさが好き」
そういったら彼女が「やっぱり!」と言いながら「にたっ」と笑った表情をいまでも覚えています。
「にこ」ではなく、「にたっ」と笑った笑顔の意味を聞かないまま、コブクロ談義はそこで終わりになりました。
i平さん、コブクロが好きだったんだ。
私はそのとき、はじめて知りました。
新星堂のポップな包装紙に包まれていたCDを見ながら、私はまた、にまにましてしまいました。
i平さんが自分で新星堂にCDを買いにいくなんてことは、とうてい考えられないことです。だいいち、新星堂がどこにあるのかだって、知らないんじゃないのかな? なにしろおもいっきりシティボーイなんだし。
息子さんのKクンか、娘さんのRちゃん、ううん、奥さんのBさんにきっと買ってきてもらったんだ。
そんなことを考えながら、私はCDを聴きました。
私は彼の家族がすごく好きです。ウチの家族と同じくらいに。
同じく作家である奥さんのBさんとも、30年来ずっとずっと大切な、大好きな友だちです。
そんなことを考えていたら、i平さんと私は、コブクロの小淵クンと黒田クンのように、30年以上、強い連帯で結び合っている同志なのかもしれない。ふと、そんな気がしてきました。
児童文学という荒波を、共に30年という年月くぐり抜けてきた同志なのかもしれない。
これはやっぱり連帯という「愛」なのかもしれない。
そう思いながら、私は試合に負けたボクサーのような、赤あざで腫れた目をとじました。
「あきれるほど真っ直ぐに 走り抜けた季節を
探してまだ 僕は生きてる」
目をつぶって聴いたコブクロの歌は、いつもより胸にしみました