當麻寺境内の中将姫像
先の記事で當麻寺に秘蔵される国宝『綴織当麻曼荼羅』に触れたが
その国宝を蓮の糸で一晩で織り上げたと伝えられる人物が中将姫。
藤原鎌足の曽孫とのことだが
「一晩で」「蓮の糸で」とはいかにも作り話だし、
さらにその後、中将姫は若い姿のまま浄土に召されたと言い伝えは続く。
そもそも中将姫の存在も不確かと言わざるを得ないが、
當麻寺に何らかの徳を為した女性のモデルがいたのかもしれない。
そして、中将姫伝説は歌人で国文学者の折口信夫(釈超空)の小説『死者の書』の着想にもつながっている。
『死者の書』にはもう一人の主人公として大津皇子が登場するのだが、
物語は二上山に葬られた皇子が目覚めるところから始まる。
大津皇子は天智天皇の孫で文武の才に恵まれ、臣下に慕われた人物で、
有力な皇位後継者と目されていた。
しかし、叔母である持統天皇から疎まれ、謀反の嫌疑により追い詰められて自死。
その後、二上山に葬られたと伝わる。
二上山に葬られたというところがミソで
前回の記事で紹介したように、飛鳥の人たちは当時、
二上山をこの世とあの世の結界と考えていた。
つまり、大津皇子はこの世にも戻れず、
あの世にも行けない場所に葬られたことになる。
史実には謀反の内実を伝えるものも
持統天皇の関与を裏付けるものも残されていないそうだが
大津皇子を二上山に葬ったことは
持統天皇がそれほどまでに皇子の魂の復活を畏れた証であり、
また嫌疑の裏付けのように思えてならないのである。
物語に話を戻す。
中将姫は浄土の様子を描いた曼荼羅を織り上げる。
その功徳で大津皇子の魂を鎮め、やがて自らも浄土へ赴くという故事に繋がる。
毎年、當麻寺では中将姫の縁日とされる4月14日に練供養会式が催されるが、
それは中将姫が浄土に召される様子を再現したものだという。
あらためて當麻寺のスナップ。
この静かな寺を訪れる人でこの寺が持つ不思議を知る人は少ないと思う。
いや、當麻寺中の坊のご住職から聞いた話だが、
過去に一度だけ「不思議」を求めて観光客が殺到した時期があったという。
それはこのJR東海のCFが流れた後、わずか3か月間だけだったそうだが...。
いま、ふたたびの奈良へ-當麻寺 2014年1月奈良へ
大津皇子や二上山や折口信夫とも関連があることは、知らなかったです。
大津皇子は、謀反の疑いをかけられて死に至る~そして弟を詠んだ大伯皇女のことまでは、知ってましたが~
二上山って、当時の人々にとってそんなに深い存在だったんですね。
NHKBSの新日本風土記に「はじまりの奈良」という放送がありまして
山野辺の道から二上山に沈む夕日を眺めるツアーをやってました。
大和古代人の心情に近づくツアーですね。
折口信夫ご存じでしたか、実は彼と養子の墓が石川県にあります。
養子と言っても怪しい関係でもあったみたいですね。
ちなみに私が卒業した高校の校歌作詞者は折口信夫でした。