子どもの頃、もう60年近くも前に
心の奥底へ刻まれたある記憶。
だが、その記憶は大人になるにつれて次第に薄れ、
ふたたび思い出すことなどないはずだった。
ところが、ふとしたきっかけがその記憶を呼び戻した。
ここがその記憶の場所。
「お化け煙突」はここにあったのだ。
小学校に入って間もない頃だったと思う。
子供向けの科学雑誌で「お化け煙突」のことを知った。
東京のどこかに、広い空を突きあげるように高い煙突が立っていて、
もくもくと煙を吐いている。
煙突は4本あるのだが、あるところではそれは1本に見え、
またあるところでは2本になったり、3本になったりもする。
ひし形に配置された4本の煙突が見る場所によって重なり合うだけのことなのだが
威圧するような巨大さ、そして「お化け」という形容が芽生えたての好奇心を煽ったのだ。
ところがどういうわけか。
その強烈な印象にもかかわらず
「お化け煙突」の本当の名前も場所もまったく覚えていなかった。
その時から10年以上も経った東京での学生時代。
「お化け煙突」のことはまだ覚えていて、
東京タワーなど高い場所に昇ると見渡す景色に目を凝らしたものだった。
けれども、ついに「お化け煙突」を見つけることはできなかった。
そして、卒業とともに東京を離れ、
就職、結婚、子育てと日々の生活に追われるうちに
その記憶は次第に薄れ、思い出すことさえなくなっていった。
ところが。
ある偶然からその記憶が突然目を覚ましたのである。
それは今から10年ほど前のこと、「お化け煙突」を知ってから50年近くも経ってからだった。
その頃、一緒に仕事をしていた建築設計者の名刺の裏にこんなプリントがあった。
その人が務める設計会社が関わった塔建築が図解されていて
当時、竣工間近だった東京スカイツリーのほか、東京タワーなど名だたる塔建築が並んでいる。
それぞれの塔建築に興味がわき、調べ始めたところ、
日本の塔建築の構造設計には内藤多仲という建築家が大きく関わっていることを知った。
さらに内藤多仲氏の略歴を探し出し、読み進めるうちに
驚きのあまり思わず声を上げそうになった。
記事には氏が構造設計に関わった建築物の写真が載っていたのだが
その一枚が子供の頃、目に焼きつけた
あの「お化け煙突」だったからだ。
千住火力発電所。それこそが「お化け煙突」の正体だったのだ。
続く。
名刺の裏にそんなプリントが!
おしゃれですね。
お化け煙突のお話、とっても興味深く
拝読しました〜。
私はこの煙突のことを知らなかったのですが
写真を見ると、どこか懐かしい気分になります。
何かの記事やドラマなどの背景で見ていたのかも。
一枚の名刺がきっかけで目覚めた記憶...
不思議な縁ですね。
続きも楽しみです☆
ギリギリご存じの年代かもしれませんね(失礼?!)
名刺の裏のプリント。
大手設計事務所にお勤めの方でしたが、
さり気ないアピールから謎が解けた。
その方とは長年会っていませんが
この名刺は大切にしています。
仕事で訪れることが多い港区や千代田区は高層ビル街の谷間。
今や東京タワーですら見えません。
それに比べてここ足立区はまだまだ空が広い。
冬晴れの穏やかな気候の中
大人の遠足を楽しんだ次第です。