千垣駅と有峰口駅の間にある千垣橋梁を渡る電車を撮っています。
富山方面に向かう電車が千垣橋梁を渡ります。
そろそろ次の撮影地に向かうことにしましょう。
有峰口から一つ立山寄りの「本宮(ほんぐう)駅」にやって来ました。ツバメが忙しそうに駅舎を飛びまわっていました。
本宮駅の次は終点の立山駅ですが、かつては間に二つの駅がありました。芦峅寺駅と粟巣野駅です。芦峅寺駅は、集落とは対岸になるためほとんど利用されることもなく廃駅になったようです。
以前は写真を見るとわかる様に、相対式2面2線の駅だった様です。
今度は、有峰口から一つ富山よりの千垣駅にやって来ました。横の道路は立山に向かう道路です。車で立山駅の駐車場に行ったことがある人なら、千垣駅の横を通っているのです。でも、きっと見過ごしていると思います。
昔の富山地鉄(富山県営鉄道)はここが終点でした。実は深田久弥の『日本百名山』にもこの駅が登場します。それは、「薬師岳」の章に出て来ます。
ちょっと長いですが引用します。「私が初めて薬師岳へ向かったのは、私が大学一年生、連れは一高生の熊谷太三郎君、二人でテントをかついで出かけた。熊谷君は現在熊谷組の社長である。
当時は立山行きの電車は千垣までしか通じていなかった。千垣で一泊して、そこから和田川に沿って登ること七里、もう飛騨境に近い高原に有峰と呼ぶ村があった。昔はここが薬師岳の登山口であった。」
深田久弥が薬師岳をめざしたのは、1926(大正12)年のことでした。この駅から歩いて薬師岳をめざしたとは、ちょっとびっくりする話でした。
現在は次の有峰口からバスに乗って、登山口の折立に向かいます。車で折立に向かう登山者も多いです。深田久弥がはじめて薬師岳をめざした頃とは隔世の感がありますね。
駅にも色々な歴史があり、調べていくと面白いです。でも、歴史には語られない乗降客の様々なドラマがあったのでしょうね。
※訪問日 6月3日
富山方面に向かう電車が千垣橋梁を渡ります。
そろそろ次の撮影地に向かうことにしましょう。
有峰口から一つ立山寄りの「本宮(ほんぐう)駅」にやって来ました。ツバメが忙しそうに駅舎を飛びまわっていました。
本宮駅の次は終点の立山駅ですが、かつては間に二つの駅がありました。芦峅寺駅と粟巣野駅です。芦峅寺駅は、集落とは対岸になるためほとんど利用されることもなく廃駅になったようです。
以前は写真を見るとわかる様に、相対式2面2線の駅だった様です。
今度は、有峰口から一つ富山よりの千垣駅にやって来ました。横の道路は立山に向かう道路です。車で立山駅の駐車場に行ったことがある人なら、千垣駅の横を通っているのです。でも、きっと見過ごしていると思います。
昔の富山地鉄(富山県営鉄道)はここが終点でした。実は深田久弥の『日本百名山』にもこの駅が登場します。それは、「薬師岳」の章に出て来ます。
ちょっと長いですが引用します。「私が初めて薬師岳へ向かったのは、私が大学一年生、連れは一高生の熊谷太三郎君、二人でテントをかついで出かけた。熊谷君は現在熊谷組の社長である。
当時は立山行きの電車は千垣までしか通じていなかった。千垣で一泊して、そこから和田川に沿って登ること七里、もう飛騨境に近い高原に有峰と呼ぶ村があった。昔はここが薬師岳の登山口であった。」
深田久弥が薬師岳をめざしたのは、1926(大正12)年のことでした。この駅から歩いて薬師岳をめざしたとは、ちょっとびっくりする話でした。
現在は次の有峰口からバスに乗って、登山口の折立に向かいます。車で折立に向かう登山者も多いです。深田久弥がはじめて薬師岳をめざした頃とは隔世の感がありますね。
駅にも色々な歴史があり、調べていくと面白いです。でも、歴史には語られない乗降客の様々なドラマがあったのでしょうね。
※訪問日 6月3日