はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

城北菖蒲園にサイクリング

2016-05-21 19:16:11 | 花めぐり
我が家から自転車で20分ほど走ったところに、城北菖蒲園があります。
そろそろ咲き出したようなので行ってみました。城北菖蒲園は面積が1.3ヘクタールで、園内には約250品種13、000株の花菖蒲を栽培しているそうです。



花菖蒲には江戸系、伊勢系、肥後系と伝統的な3系統があるそうです。(へえ~)



江戸系には、紅千代鶴、揚羽、村雨…。伊勢系には、涼風、伊勢千歳…。肥後系には、灘潮、千鳥…。(奥が深いですね)



「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉がありますが、私にはハナショウブとアヤメとカキツバタの見分けもつきません。



ハナショウブの花言葉は「うれしい知らせ」だそうです。いい花言葉ですね。



菖蒲の次は、紫陽花ですね。最近、『関西 花のおでかけ』(京阪神エルマガジン社)を買ったので、これを見て旬の場所に出かけようと思っています。



それにしても菖蒲は、「しょうぶ」と読んだり、「あやめ」と読んだりややこしいかぎりです。



最後は、金屏風の前に鉢植えされた花菖蒲がひかえていました。



近所の菖蒲園、入場料200円のみで楽しませていただきました。

五月の飛鳥をぶらり

2016-05-20 21:50:15 | カメラ紀行
あまりの天気の良さに誘われて、ついつい飛鳥に行ってしまいました。(5月18日)
今回は、稲渕の棚田を訪ねようと、高松塚古墳のある国営飛鳥歴史公園館から朝風峠を越えて行きました。

高松塚古墳は以前にも書いたので(2015.8.28「高松塚古墳あたりをぶらり」)詳しくはふれませんが、何回訪れても、すぐ側にある中尾山古墳(こちらが真の文武陵と考えられています)が気になるところです。

 (高松塚古墳)

 (同じく)

高松塚古墳に葬られた人物もはっきりわかっていませんが、天武・持統天皇陵から真っ直ぐに伸びる「聖なるライン」というのがあり、そこには高松塚古墳やキトラ古墳も重なっているそうです。したがって、そこに葬られている人物は天武に連なる人物ではないかという説もあるそうです。古代ロマンを感じる話ですね。

道端には、アザミやゼニアオイが咲いていました。(たかさんありがとう)






朝風峠に通じる旧道を歩いていると、やがて峠が見えてきました。まさに峠という景色です。

 (朝風峠)

朝風峠からは眼下に棚田が広がります。しかし、まだ早かったようです。やっぱりここは、秋の彼岸花と棚田という風景が似合います。



それにしても長閑な風景が広がります。ここまで歩いてきて良かったです。(暑かったですが)
せっかくなので、もう少し足をのばして、「飛鳥川の飛石」も訪れました。





万葉歌にもうたわれた石橋です。「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」 恋の歌ですね。


ゆっくりと時間が流れます。





のんびりとした景色の中を、ゆったりとした気分で歩くことができた飛鳥の午後でした。

中之島バラ園は都会のオアシスでした(その2)

2016-05-19 21:00:30 | 花めぐり

今日も、中之島バラ園です。(今日は写真のみです)

 (バラです)

 (蕾です)

 (あっ、水上バスだ!) 

 (これはバラではありません)

 (この蜂は?)

 (北浜レトロビルを背景に)

 (対岸のオシャレなカフェ?)

 (バラです)

以上、中之島のバラ園でした。

中之島バラ園は都会のオアシスでした(その1)

2016-05-18 21:08:50 | 花めぐり
中之島は、大阪のど真ん中、そこにバラ園があります。まさに都会のオアシスといっていいでしょう。

5月15日、晴天に誘われて中之島バラ園に行って来ました。地下鉄北浜駅を上がると、大阪取引所があり五代友厚の像が建っています。五代さんも有名になりはったもんです。そことは反対側の難波橋(ライオン橋)を渡ると、バラ園が見えてきます。

 (欄干には澪標が)

 

日曜日とあって、たくさんの人が訪れていました。バラもちょうど見頃のようでした。





バラ園からは、大阪市役所や中央公会堂も望まれます。



中之島は、土佐堀川と堂島川に挟まれているので、両岸を船が行き交います。忘れがちですが、大阪は「水の都」なんですよ。

 (水上バスが走ります)

 (お世話になった御舟「かもめ」です:ボケすぎました)

バラの種類は、ほんとうにたくさんありますね。それぞれに名前がありましたが、忘れてしまいました。(多すぎですよ)





対岸には、北浜レトロビルヂングの紅茶専門店も見えました。


また、明日もバラ園です。


諏訪大社 御柱祭 下社里曳きを見てきました(その3)

2016-05-17 17:50:10 | 知らない街をぶらり
もう一度、里曳きの出発地に戻ってみると、次の御柱が坂を落ちるところでした。約45分おきに次々と御柱が落ちていきます。なにしろ春宮と秋宮の四隅に御柱を建てるのですから合計8本の御柱が出発します。

 






ところで、なぜ御柱を建てるのかは諸説ありますが、はっきりとわかっていないようです。しかし、起源は縄文時代にはじまる日本海沿岸における巨大な木柱を立てる文化とつながっているらしいです。

 (力強く)

 (優しく)

 (のんびりと進みます)

 (やっと春宮に)

注連掛から春宮まで1.25キロを3時間あまりかけてやって来た御柱は、もう一度、「春宮木落し」を落とされたあと、「春宮一の柱」だけは、その日のうちに「建御柱」(たておんばしら)が行われ御柱は神となります。
その様子も見たかったのですが、入場制限があるのと、はじまりが15時半からなので諦めました。

里曳きでは、御柱の曳行の他に、国道を通行止めにして、騎馬行列・長持行列・花笠踊りなど華やかな催物も行われていました。

 (花笠音頭?)

 (長持ちです)

御柱祭の里曳きは、ぜひ行って見たかった祭りの一つです。思っていた通り、みんなが祭りを楽しんでいました。こういう祭りは、見ている方も楽しくなります。また、行きたいところですが、7年後はどうしているのでしょうか?

※下諏訪に行く楽しみの一つに富士山があります。駅からも、春宮からも見えるはずでした。しかし、雲が多いうえに遠くは霞んでいるという状況で、残念ながら見ることができませんでした。
祭りをみたあと、ブログでも紹介されていた「高ボッチ高原」に行ってみました。展望は期待せずに、道を覚えるために下見に行きました。昼間でよかったです、夜なら迷っていたことでしょう。次に行くときには、富士山と諏訪湖がバッチリ見えることを願います。

 (オーイ富士山)