goo blog サービス終了のお知らせ 

はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

明日香で古墳めぐり(高松塚古墳)

2020-03-26 19:15:15 | 古代史の舞台を歩く
好評(?)につき、古墳めぐりのつづきです。
都塚古墳の次にやって来たのは、中尾山古墳です。
高松塚古墳も興味がありますが、中尾山古墳はもっと興味がある古墳なので、これまでにも何回か訪れています。

なんの変哲も無い小さな小山のような古墳です。



円墳のように見えますが、実は八角形の古墳です。八角形ということは、そうです天皇陵の可能性の高い古墳といえそうです。



研究者の間では、ここが真の文武天皇の墓というのが定説になっています。近くには宮内省が管理する文武天皇陵があるのですが‥。今、宮内省が管理する天皇陵のほとんどは被葬者が怪しいようです。



中尾山古墳からは、林ごしに高松塚古墳が望めます。



中尾山古墳をあとに、高松塚古墳に向かいます。自然が残された素敵な公園です。



高松塚古墳です。壁画が発見されたことで有名になりました。女子群像は誰もが目にしたことがあると思います。この壁画ですが、保存のミスでカビが生えてしまい現在修復中です。(今日、修復が完了したとニュースが伝えていました。)



整備されているので、きれいな円墳というのがわかりますが、発見当時は木や薮が茂る丘だったようで、村人がショウガを保存しようと穴を掘ったことが大発見につながりました。



発掘調査によって、藤原京期(694〜710)の間に造られたと確定されました。ということは被葬者は誰なのか興味が湧くところですが、特定されておらず、「天武天皇の皇子」「臣下」「朝鮮半島の王族」と、主に3つの説が考えられているようです。



古墳好きの私としては、天武天皇の皇子説が面白いなと思っています。天武天皇にはたくさんの王子がいましたが、高松塚の被葬者と考えられているのは、忍壁皇子・高市皇子・弓削皇子です。このうち有力なのが、忍壁皇子か高市皇子です。出土した被葬者の歯やあごの骨から40代から60代の人物と推測されるからです。



これが文武天皇陵です。宮内庁によって厳重に管理されています。



訪れた時は、公園にあるマンサクが花盛りでした。



最後に天武・持統天皇陵を眺めました。ここは被葬者が確実な天皇陵です。もちろん八角形の古墳です。



天武・持統天皇といえば、藤原京を造営した天皇ですが、その藤原京から「聖なるライン」というのがあるそうです。藤原京から南に向かって真っ直ぐに線を引くと、その線上には、天武・持統天皇陵、中尾山古墳や高松塚古墳があるそうです。今回は行かなかったキトラ古墳もその線上にあるそうです。さらに北に伸ばして行くと、山科にある天智天皇に行き着くそうです。なんともロマンのある話ですね。

※訪問日 2020.3.9

明日香で古墳めぐり(都塚古墳)

2020-03-25 19:55:55 | 古代史の舞台を歩く
昨日、NKH総合で『今、古墳がアツい!ミステリアス古墳スペシャル』という番組が放送されていました。
今、空前の古墳ブームが到来しているそうなのですが、本当なのでしょうか?
ブームに便乗するわけではありませんが、今回は少し前に明日香の古墳めぐりをした時の話です。

3月9日に撮ったハナモモです。今頃はどうなっているのでしょう。



ハナモモごしの石舞台古墳です。(石舞台古墳の事は、3/12にアップしました。)



高台から棚田を眺めた時に、都塚古墳も写っていました。画面の中央のこんもりしたところです。木が7〜8本植えられています。



都塚古墳(みやこづかこふん)は、石舞台古墳から歩いて10分ほどのところにあります。



円墳のようにも見えますが、方墳のようにも見えます。



実は下の図にあるように、階段ピラミッド状の方墳だったようです。これは、とても珍しい形状の古墳のようです。



石舞台古墳の近くにあることなどから、被葬者は石舞台古墳の被葬者とされる蘇我馬子の父、蘇我稲目ではないかと考えられています。



石室への入り口が見えますが、石室を覆う石組みも、石舞台古墳のように立派なものかもしれません。



これだけの古墳を造ることができるのは、当時この地で力を誇っていた蘇我氏ということになるでしょう。



やや離れたところから振り返りました。後ろには棚田が広がっていました。



明日香には、百舌鳥・古市古墳群にあるような巨大な古墳はほとんどありません。
明日香が日本の中心として栄えたのは6世紀後半のことですが、その頃はもう巨大古墳は造られなくなっていました。
巨大古墳に代わって、天皇陵としては八角形の古墳が造られ始めました。
次回は明日香を代表する古墳、高松塚古墳などをめぐります。

※訪問日 2020.3.9

桶狭間古戦場を歩きました

2020-03-24 19:25:25 | 知らない街をぶらり
歴史があまり好きでない方でも、織田信長の「桶狭間の戦い」はご存知ではないでしょうか。桶狭間の戦いは、織田信長が歴史の歯車を大きく動かした出来事だったといってもいいでしょう。
桶狭間の戦いは、今川義元の軍勢25,000に対して、織田信長が2,000の軍勢で今川軍の本陣に強襲をかけ義元を討ち取ったというものです。
これまでにも、様々なドラマなどで合戦の模様が紹介されてきました。その多くは、信長軍が迂回をして奇襲をかけたというものでした。
しかし、最近では、『信長公記』(太田牛一著)にあるように、中嶋砦からまっすぐに桶狭間をめざしたのではないかと考えられるようになってきました。
そんなことも確かめたくて、実際に桶狭間を歩いてきました。

桶狭間古戦場公園にあった案内板ですが、信長軍の動き(青い線)が良くわかります。現在の有松駅の北側を通って、桶狭間に向かったようです。



有松の町から少し歩くと、国道1号線に出ます。この交差点は「桶狭間」でした。さっそく出てきたなという感じで、嬉しくなりました。



まずめざしたのは、桶狭間古戦場公園です。確かに丘陵地帯というのが感じられました。



有松の町から20分ほど歩いたでしょうか。(ほぼ上りでした。)桶狭間古戦場公園に到着です。後ろの住宅が立ち並んでいるのが「おけはざま山」です。



案内板の写真にあった昭和初期の「おけはざま山」です。現在とはずいぶん様子が違います。ここに今川の本陣があったそうです。



公園には仲良く並ぶ(?)織田信長(左)と今川義元(右)の像がありました。



公園のあるあたりは、昔から田楽坪(でんがくつぼ)と呼ばれ、深田の低地だったそうです。



この公園のあるあたりで、今川義元は討ち取られたそうです。でも、本当にここかどうかは、わかりませんが。



「おけはざま山」と呼ばれるあたりは、どこも急斜面でした。



今川軍は2万を超える軍勢でしたが、2万人がこんなところに集結できるわけもなく、本陣を守っていたのは何千かの軍勢だったのでしょう。



本陣のあったといわれる場所にやってきました。けっこう見晴らしの良い所でした。



ここで休憩している時に突然、織田軍が攻めて来たようです。その少し前に激しい雷雨があったようで、陣地も混乱していたことでしょう。



今川義元は輿に乗って来ていたそうですが、信長軍の急襲を受け、輿を捨てて敗走したそうです。ここから討ち死にした公園までは、わずかな距離です。



最後にやって来たのは、武路釜ヶ谷(たけじかまがたに)という所です。信長軍はこの谷に潜み、雷雨が去ったあと、後ろに見える「信長坂」を駆け上って、今川義元の本陣を攻撃したそうです。



ここから今川の本陣までは、500メートルほどの距離でした。



大河ドラマ「麒麟が来る」では、桶狭間の戦いはどのように描かれるのでしょうか、楽しみです。ちなみに、明智光秀がこの戦いに参加していたという記録は残っていません。



今回、実際に桶狭間を歩いてみて、古戦場一帯が複雑な地形であることが実感できました。



桶狭間の古戦場跡とされているところは、他にもあります。決戦はある程度広い場所で行われたのでしょう。いずれにせよ、このような複雑な地形と天候が信長に幸運をもたらしたのでしょう。
織田信長は、こののち二度と桶狭間のような無謀な(?)戦いはしなかったそうです。

※訪問日 2020.3.21

有松の町をぶらり

2020-03-23 19:39:39 | 街道歩き
特急「ひのとり」で名古屋に行きましたが、せっかくなので以前から行きたかった桶狭間の古戦場に行くことにしました。
その前に、有松の町をぶらりとしました。

有松駅へは、名古屋駅から名鉄で20分ほどでした。



駅にあった案内板です。



少し行くと、さっそく古い町並みが迎えてくれました。



この道は旧東海道です。曲がり具合がいいですね。



ところで、この有松は、宿場町ではないのです。有松は江戸時代のはじめに、鳴海宿と池鯉鮒(ちりゅう)宿の間に尾張藩によって開かれたそうです。



立派な卯建(うだつ)が上がっていました。



蔵は繁栄の象徴です。



この町並みは、もちろん「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。(平成28年なので最近ですね。)



愛知県では、有松と足助の二ヶ所です。「重要伝統的建造物群保存地区」好きの私としては、足助にも行かなては(笑)



実はこの町は、有松絞りが有名です。



あちらこちらの店で、有松絞りが売られていました。江戸時代に東海道を往来する旅人の土産物として考案されたそうです。



こちらは有松の西の方向です。上に高速道路が走り、新旧の街道がクロスしています。



「鉄ちゃん」としては、名鉄も忘れてはいけません。



このあと、桶狭間の古戦場に向かいました。

※訪問日 2020.3.21

特急「ひのとり」に乗って来ました

2020-03-22 18:39:39 | 鉄道の旅
3月14日にデビューしたばかりの、近鉄の新型特急「ひのとり」に乗って来ました。
「ひのとり」は大阪難波と近鉄名古屋を約2時間で走ります。今回はプレミアム車両に乗ることができました。料金は5,240円でした。
ちなみに新幹線「のぞみ」なら新大阪ー名古屋は約50分で、料金は9,350円です。(ぷらっとこだまなら4,500円〜6,900円です。)
この「ひのとり」は、『移動時間を、くつろぎの時間へ。「くつろぎのアップグレード」』がコンセプトだそうです。

なんば駅に「ひのとり」がやって来ました。一度引き込み線に入って、こちらのホームにやって来るようです。



ちょっとブレていますが、「ひのとり」の勇姿です。



ロゴマークです。手塚治虫さんの「火の鳥」とは関係ないそうです。



プレミアム車両は、全席3列シートです。写真はありませんが、レギュラー車両のスタンダードシートも良かったです。



シートは豪華そのものです。



カフェスポットです。「しまかぜ」にあるようなカフェ車両はありません。



ハイデッカーなので、見晴らしは抜群です。



先頭車両は流石に取れませんでした。今回は、一番後ろの車両に乗っています。



近鉄電車の車窓から眺める風景は、親しみのある風景が多いです。



大和八木駅を出ると、次は津まで止まりません。次は「つ」というのが面白いです。



この山はもしかして‥。



2時間の旅ですが、もう名古屋が近づいて来ました。



近鉄富田駅を通過中に写したのですが、三岐鉄道です。



木曽川を渡れば名古屋が近いです。



名古屋駅前のビル群が見えました。その手前に新旧の特急が並んでいました。



また乗るかどうかはわかりませんが、ゆったりの旅にはいいかもしれませんね。

※訪問日 2020.3.21