昨日、NKH総合で『今、古墳がアツい!ミステリアス古墳スペシャル』という番組が放送されていました。
今、空前の古墳ブームが到来しているそうなのですが、本当なのでしょうか?
ブームに便乗するわけではありませんが、今回は少し前に明日香の古墳めぐりをした時の話です。
3月9日に撮ったハナモモです。今頃はどうなっているのでしょう。
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ハナモモごしの石舞台古墳です。(石舞台古墳の事は、3/12にアップしました。)
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高台から棚田を眺めた時に、都塚古墳も写っていました。画面の中央のこんもりしたところです。木が7〜8本植えられています。
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都塚古墳(みやこづかこふん)は、石舞台古墳から歩いて10分ほどのところにあります。
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円墳のようにも見えますが、方墳のようにも見えます。
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実は下の図にあるように、階段ピラミッド状の方墳だったようです。これは、とても珍しい形状の古墳のようです。
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石舞台古墳の近くにあることなどから、被葬者は石舞台古墳の被葬者とされる蘇我馬子の父、蘇我稲目ではないかと考えられています。
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石室への入り口が見えますが、石室を覆う石組みも、石舞台古墳のように立派なものかもしれません。
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これだけの古墳を造ることができるのは、当時この地で力を誇っていた蘇我氏ということになるでしょう。
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やや離れたところから振り返りました。後ろには棚田が広がっていました。
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明日香には、百舌鳥・古市古墳群にあるような巨大な古墳はほとんどありません。
明日香が日本の中心として栄えたのは6世紀後半のことですが、その頃はもう巨大古墳は造られなくなっていました。
巨大古墳に代わって、天皇陵としては八角形の古墳が造られ始めました。
次回は明日香を代表する古墳、高松塚古墳などをめぐります。
※訪問日 2020.3.9
今、空前の古墳ブームが到来しているそうなのですが、本当なのでしょうか?
ブームに便乗するわけではありませんが、今回は少し前に明日香の古墳めぐりをした時の話です。
3月9日に撮ったハナモモです。今頃はどうなっているのでしょう。
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ハナモモごしの石舞台古墳です。(石舞台古墳の事は、3/12にアップしました。)
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高台から棚田を眺めた時に、都塚古墳も写っていました。画面の中央のこんもりしたところです。木が7〜8本植えられています。
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都塚古墳(みやこづかこふん)は、石舞台古墳から歩いて10分ほどのところにあります。
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円墳のようにも見えますが、方墳のようにも見えます。
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実は下の図にあるように、階段ピラミッド状の方墳だったようです。これは、とても珍しい形状の古墳のようです。
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石舞台古墳の近くにあることなどから、被葬者は石舞台古墳の被葬者とされる蘇我馬子の父、蘇我稲目ではないかと考えられています。
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石室への入り口が見えますが、石室を覆う石組みも、石舞台古墳のように立派なものかもしれません。
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これだけの古墳を造ることができるのは、当時この地で力を誇っていた蘇我氏ということになるでしょう。
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やや離れたところから振り返りました。後ろには棚田が広がっていました。
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明日香には、百舌鳥・古市古墳群にあるような巨大な古墳はほとんどありません。
明日香が日本の中心として栄えたのは6世紀後半のことですが、その頃はもう巨大古墳は造られなくなっていました。
巨大古墳に代わって、天皇陵としては八角形の古墳が造られ始めました。
次回は明日香を代表する古墳、高松塚古墳などをめぐります。
※訪問日 2020.3.9