鹿児島県指宿市で「全国山羊サミット」が開かれたと言う。
終戦直後の食糧難を救った山羊も、日本の農業の変化によって、牛、豚、鶏など3大エリートにはかなわず、商品家畜として生き残れなかった。
今や「幻の家畜」になりかかった山羊を再評価しようと10年前から始まったのが「全国山羊サミット」らしい。
私が幼い頃、我が家にはいつも山羊がいた。
最初に貰った子山羊は、家族の留守中に柿の木に紐を巻き付け死んでしまった。毎日泣き続ける子供たちの願いに負けた母が、次に貰ってきたのは、あご髭をはやした大人の山羊だった。
この山羊は子供たちをバカにして言うことをきかない…。姉と私は竹の棒を振り回して、朝は草の一杯あるところに連れて行き、夕方は帰りたくないと抵抗する山羊を押したり引っ張ったりしながら家に連れて帰った。
そしてある日可愛い2匹の子山羊を生んだ。愛くるしい子山羊は子供たちとよく遊んでくれた。そして母山羊の大きな乳房からは、乳をたくさん出してくれた。
バケツの中にジュージューと泡を立てながら絞られる山羊の乳は、青くさい草の匂いがして、最初はいやだったが、やせっぽちの私に飲ませようと母はなだめすかして飲ませ、そのうちに大好きになった。
近所に体の弱い人がいると母は「山羊の乳は滋養があるから」と、差し上げて喜ばれていた。
この年で山羊を飼うことなどできそうもないが、名脇役として再評価されてきた山羊と再び出会えるようになれば嬉しい。
写真はgootaroさんからお借りしました。
終戦直後の食糧難を救った山羊も、日本の農業の変化によって、牛、豚、鶏など3大エリートにはかなわず、商品家畜として生き残れなかった。
今や「幻の家畜」になりかかった山羊を再評価しようと10年前から始まったのが「全国山羊サミット」らしい。
私が幼い頃、我が家にはいつも山羊がいた。
最初に貰った子山羊は、家族の留守中に柿の木に紐を巻き付け死んでしまった。毎日泣き続ける子供たちの願いに負けた母が、次に貰ってきたのは、あご髭をはやした大人の山羊だった。
この山羊は子供たちをバカにして言うことをきかない…。姉と私は竹の棒を振り回して、朝は草の一杯あるところに連れて行き、夕方は帰りたくないと抵抗する山羊を押したり引っ張ったりしながら家に連れて帰った。
そしてある日可愛い2匹の子山羊を生んだ。愛くるしい子山羊は子供たちとよく遊んでくれた。そして母山羊の大きな乳房からは、乳をたくさん出してくれた。
バケツの中にジュージューと泡を立てながら絞られる山羊の乳は、青くさい草の匂いがして、最初はいやだったが、やせっぽちの私に飲ませようと母はなだめすかして飲ませ、そのうちに大好きになった。
近所に体の弱い人がいると母は「山羊の乳は滋養があるから」と、差し上げて喜ばれていた。
この年で山羊を飼うことなどできそうもないが、名脇役として再評価されてきた山羊と再び出会えるようになれば嬉しい。
写真はgootaroさんからお借りしました。