はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

岐路

2008-01-06 19:37:25 | 女の気持ち/男の気持ち
 コレステロールを下げるため、1カ月前から歩数計をつけて散歩を始めた。ルートはその日の気分でいろいろ変わる。ある日、丘の上の団地を越えて我が家と反対側に下り、岩徳線の西岩国駅の方に向かって歩いた。
 駅近くの踏切を渡っていると、すぐそばに転轍機があった。モーターを遠隔操作して、列車の進行方向を右に左に変える装置である。立ち止まって眺めると、プラットホームを挟むように線路が転轍機の所で二つに分岐している。
 自然に自分の来し方に思いが至った。私の人生にも人並みに何度か岐路があった。生まれこそ選べなかったが、受験校の選択、専攻する学部学科、就職先、結婚相手。この辺りまでは自分の意志で決めることができた。
 でもその後は、ほとんどが他力で決まったように思う。自分の意志とは関係なく職場が替わり、転勤をくり返した長いサラリーマン生活。そして定年退職を迎えた。
 今は、どちらに進むか迷うほどの人生の大きな岐路に立つこともない。転轍機のないぺんぺん草の生えた廃線を、ゆっくりと歩いているような毎日である。それが妙に心地よい。
 ところでこの日の散歩、確かに岐路はなかったが、果たして何㌔歩いたことやら……。
   山口県岩国市 工房主宰 沖 義照(65歳)
   2008/1/6 毎日新聞鹿児島版「の気持ち」欄掲載
   写真エッセイ&工房「木馬」

新年特集 (下)

2008-01-06 15:23:18 | はがき随筆
「まるく収まる」   鹿児島市 鵜家育男(62)
 年明けにいろんな食材の値上げが予想される中、昨年の鏡開きに妻が言った言葉を思い出す。「あなたの退職後は食費がかかり過ぎ」。退職したのだから、これを食べたい、あれも食べたい、あのお酒を欲しがらないでちょうだい、と言うわけである。新年早々、妻の言いぐさに「一生懸命働いてきた。少々ぜいたくしても……」と反撃。妻は「食費つまりエンゲル係数が高いのは文化的生活ではない」と切り返す。腹が立ち、元野球選手のおれは大食いだと的を射ない返答をした。が、「我が身の栄養」を案じての妻の言葉であると思い直し、納得した。
   
   
「夢抱く古稀」  出水市 岩田昭治(68)
 2008年新年の朝、古稀になる。新たなる気持ちになる。古稀にふさわしき生き方を、一日一日を無事に暮らすことを、と思う。社会・家庭・自分自身のために努めていく。はがき随筆、投稿して6年目の新年。今年も月1回は投かんできる自分づくりにと、随友の作品から学び続けていこう。創作にもプラス思考が身につく。
 昨年から始めた「昭ちゃん新聞」の第2号が元日付となる。よちよち歩きだが、独り立ちできるようにと願って努めていこう。小学校2種免許状が3月に取得できる。随筆、新聞とともに夢ふくらませて生きよう。


「新しい年の祈り」   鹿児島市 萩原裕子(55)
 「仕事の夢ばかり見る」と、入院中の夫が言う。私の心臓は、ドキリと音を立てる。
 昨年の4月まで現役のデンティスト。花の口腔外科出身で、バリバリ働いていた若き日の夫の姿を想像することがある。そんな時に出会ってみたかった。そして、もう一度、夫の白衣姿が見たい。
 夫は、いつでも優しく頼もしい存在だった。これからは、私がそのお返しをする時間を、神様に与えられたのだと思っている。
 今年こそ家族3人で暮らせるように、と水仙の優しい香りのする部屋で、10歳の娘と祈る。


「愛猫と元日」   姶良町 小野美能留(60)
 私はペットが好きである。
 寒がりの私は湯たんぽを使っているが、ある元日の夜、愛猫のリリィが布団の足元から忍び込んできて、ちゃっかり私と一緒に寝ていた。
 このリリィは、いつも私の床に来て一緒に寝たがる。ある時なぞは、私の首に体をまたがって寝るという快挙に及んだこともあった。猫というのは可愛いものだ。のどをゴロゴロ鳴らせて眠る。まるで私を恋人と間違えているみたいなのだ。
 その愛猫も、今はいない。
 寂しいものだ。


「ぜんざい会」   出水市 清田文雄(68) 
 習字にくる生徒たちが書き初めをした後の楽しみは、ぜんざい会。もちの焼ける香ばしい匂いや、煮込んだアズキの甘い香りが台所から漂ってくる。ぜんざいの誘惑に生徒の緊張感がうすれ、心は居間の方に傾く。
 「このおいしいぜんざいを、お母さんにも食べさせたい」とつぶやく女の子。「来年はいつするの?」と聞いて笑わせる男の子。「お代わり」の連続に女子中学生が妻を手伝う。ぜんざいを作る妻は右手が不自由だが「年の初めに、ぜんざいを喜んで食べる生徒を見ると、疲れも吹っ飛ぶ」と言ってくれるのがうれしい。


「白寿の母」   姶良町 平松 潔(81)
 毎年、元日は本家で「よって正月」を催す。私は昨年12月、弟夫婦に電話で「体調に自信がなく欠席」と言う。初詣では自宅に近い狭霧神社に妻と祈願。
 私の母は幼児を残して昭和9年に他界、父は3年後に継母を迎えた。継母は私たち家族をよく見守ってくれた。子供は2人で共に所帯持ち。本来なら継母は実子が世話すべきだが長年住み慣れた所をと希望。父は昭和46年に他界し遺言通り、弟夫婦が母を見守る。
 時たま電話で様子を尋ねると妹が「母は、デイサービスが生きがいのようです」と話す。3月で白寿。いつまでもお元気で。