大戦下の昭和17年~18年ごろ歌われた<とんとん とんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ……> 当時住んでいた神戸の下町は固いきずなで結ばれ、食糧の配給で命をつないでいた。1歳で亡くなった弟を手厚く葬ってくれた人々。父の戦死でここ山川に引き揚げた。記憶のなかの隣組。63年たち、私も老いた。もう、このごろのことにはついていけない。今、回覧板も時々、無言で回ってくる。私も呼び鈴を押して、さして御用のお方でもあるまいと郵便受けに差し込む。指先で何でも済む今、機器オンチの私。昭和一桁は切なく悲しい。
指宿市 宮田律子(74) 2008/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載
指宿市 宮田律子(74) 2008/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載