瀬戸港そばの万葉歌碑を見に行った。その後、ふと、事故死した長島の教え子の家に、足が向いた。道すがら、赤土の段々畑サツマイモが目につく。
亡き勇君のお母さんは、うちにおられた。「線香をあげさせてください」とお願いすると「今年はちょうど、勇の十三年忌でした。息子が呼んだのでしょう」と喜ばれた。
彼女はお茶を準備しながら「今でも、勇が死んだとは思っていません」と話される。
私は、ハッとして心を打たれてしまった。
お母さんの勇君への思いは、赤土よりもなお赤かった。
出水市 小村 忍(65) 2008/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載
亡き勇君のお母さんは、うちにおられた。「線香をあげさせてください」とお願いすると「今年はちょうど、勇の十三年忌でした。息子が呼んだのでしょう」と喜ばれた。
彼女はお茶を準備しながら「今でも、勇が死んだとは思っていません」と話される。
私は、ハッとして心を打たれてしまった。
お母さんの勇君への思いは、赤土よりもなお赤かった。
出水市 小村 忍(65) 2008/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載