はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

大隅能

2008-12-18 18:11:27 | アカショウビンのつぶやき
 地方では、文化的な催しに触れる機会が少ない。今回、2回目となる「能公演」を楽しみに待っていた。

出演は「観世流梅若研能会・梅若紀年」
演目は「安達原」

まず「能学入門」があり、分かりやすく解説してくれる。さらにパンフには、台本が印刷され、マンガでストーリーが紹介されていた。これなら難解な台本の内容もよく理解できる。初心者にも親切な計らいが見られ好感がもてた。
そして「舞い」「謡い」「お囃子」ともに素晴らしく、あまりなじみのない舞台なのに引き込まれて見ていた。「安達原」の背景となった伝説に登場する「岩手」という女性の哀れな生涯を知ると、鬼女となり果て消えていく姿が哀れでならなかった。

オペラや演劇の壮大な舞台にも感動を覚えるが、日本の古典芸能に触れることも素晴らしい体験だった。

外に出るとクリスマスの街を彩るイルミネーションが輝いていた。

はがき随筆11月度入選

2008-12-18 16:25:47 | 受賞作品
 はがき随筆11月度の入選作品が決まりました。
▽伊佐市大口上町、山室恒人さん(62)の「11月の蚊」(21日)
▽鹿屋市寿7、森園愛吉さん(87)の「親近感の感動」(28日)
▽指宿市十二町、有村好一さん(60)の「農作業」(2日)──のの3点です。
 
 遠山に浮き出たイチョウが金色の象眼のように鮮やかに輝いています。11月は優れた作品が多く、優秀作を選ぶのに苦心しました。
 山室さんの「11月の蚊」</fontb>は、季節はずれの蚊の弱々しい羽音に、団塊世代の老後の不安を重ねた内容です。誰にでも訪れる不安を、身近な昆虫で表現した効果は光っています。太宰治に「哀蚊」という、老婆の悲哀を描いた小説があります。
 森園さんの「親近感の感動」</fontb>は、来日したベトナムの楽団の日本語の歌声に、昭和17年に「駐留」した往事の記憶がよみがえり、懐かしさを感じたという内容です。日本とベトナムとの関係は、植民地・侵略・戦争などと政治概念で把握されますが、人の感情はまた別の次元で働く心模様が表現されています。
 有村さんの「農作業」</fontb>は、荒れ放題の畑地の草刈りの時、なぜかトンボが集まってくる。子供のころ稲刈りする父親の周りにやはりトンボが群がっていた記憶がある。トンボは雑草から飛び立つ小さい虫が狙いらしい。細かい観察によって自然界の不思議と亡父の思い出と労働の心地よさが、見事に表されています。
 優れた物が多かった中から、いくつかを紹介します。
 武田静瞭さん「月下美人」</fontb>(3日)は、ご夫婦で上弦の月の光の下で2輪咲いた月下美人を楽しんだ内容。口町円子さん「指名される」</fontb>(22日)は、お孫さんのお守りで指名されるのはかけっこの時だけ、それでもうれしいものです。上野昭子さん「ありがとう」</fontb>(24日)は、60年前の教え子からの連絡に、重い病をおして出かけ30分だけ会えた内容。鳥取部京子さん「百円の思い出」</fontb>(7日)は、八つの時の夕方のお使いで、それを感心した知らない人に小遣いをもらった時の、その人の手の記憶が描かれています。竹之内美知子さん「バイキング」</fontb>(20日)は、娘さんと満腹するまで食べたバイキングの、罪の意識?から、ご主人の夕食にはサンマを一品増やした話です。
(日本近代文学会評議員、鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)
 係から
 入選作品のうち1編は27日午前8時40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。


おーいお茶

2008-12-18 15:29:57 | はがき随筆
 妻が入院して70日がすぎた。
 2人の子供はそれぞれ家庭を持って遠くに離れ住んでいるので、何もかも一人でしなければならなくなった。しかもまだ現役の開業医で、仕事が急にふえ悲鳴を上げそうになる。
どちらかと言えば亭主関白ですごしてきたので、一人になると一層こたえる。看護師さんの加勢をもらっているからいいようなものだが、そうでなければ大変である。
 「おーいお茶」と言える妻がいることは有り難いことなのだと、今更のようにしみじみ思うこのごろである。しかし負けずに頑張りたいものである。
   志布志市 小村豊一郎(82) 2008/12/18 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はkymbさん

勝ちゃん

2008-12-18 14:14:24 | はがき随筆
 義弟の勝ちゃんは仕事好き、働き者の頑張り屋。夫婦で元気なころは肥育牛を20頭くらい飼っていた。先日、新聞で「わらこずみ」を見た。彼のもきれいなわらこずみ。底辺が大きく円すい形、私たちも時折手伝っていた。その時分は、伊佐の田んぼはわらこずみが林立だったが、今はもう機械こん包になって見当たらない。20年前に嫁が病死してからも、1人でおいしい伊佐米を作っていた。働きずくめの無理からか6年前にアルツハイマーを患い、入院の日まで働いたがついに6月、逝ってしまった。働き者の勝ちゃん。安らかな眠りを、冥福を祈る。
   伊佐市 宮園続(77) 2008/12/17 毎日新聞鹿児島版掲載