古い中国の映画を見た。小高い丘の上の墓地に向かって楽団が先頭に立ち、ドラや太鼓、笛で調子を取り、踊り子の後ろに家族がぞろぞろと登って行く。墓参りだが、曲が昔の日本の軍歌だった。私はしばらく考え、この楽団が昔、日本軍の慰安に行って覚えたんだと気がついた。
日本でもそういうことがあった。終戦当時のジャズバンドは盛んに米軍キャンプに演奏に行っていた。中には家族を食わせるために、裏の仕事に手を染める娘もいた。「パンパン」「従軍慰安婦」などを考えあわせると、戦争はするのではないなとつくづく思った。
鹿児島市 2012/1/11 毎日新聞鹿児島版掲載
日本でもそういうことがあった。終戦当時のジャズバンドは盛んに米軍キャンプに演奏に行っていた。中には家族を食わせるために、裏の仕事に手を染める娘もいた。「パンパン」「従軍慰安婦」などを考えあわせると、戦争はするのではないなとつくづく思った。
鹿児島市 2012/1/11 毎日新聞鹿児島版掲載