40歳前後から視力が衰え始めた。あちこちの眼科を受診したが原因が分からず、脳外科でMRIを撮ったら大きな腫瘍がみつかった。
手術室に入ったのは46歳最後の日の朝。47歳最初の日は集中治療室で迎えた。
腫瘍ができてから10年以上もたっていたそうで、癒着がひどいため温存手術になった。残った腫瘍がまたいつ大きくなりだすかという不安にさいなまれた。退院後も一向に元気になれず、引きこもり、捨て鉢な気持でただ生きているだけだった。
見かねた母が「何か新しいことを始めるといいかも。ハープなんかどう?」と勧めてくれたのがきっかけで、姪と一緒にハープを習い始めた。
天使の声のように清らかでやさしい音色のハープは、干上がって固まりかけていた私の心を徐々にほぐし、生き生きとした気分にしてくれた。私が飽きてやめてしまわないようにと、母は姪にもハープを勧めたらしい。その心遣いに気づいて涙がたくさん出た。
私は今も楽しむ程度にしか弾けないが、姪は上手になり、多くのコンサートに出演して活躍するようになった。
「もしあなたが病気しなかったら、S子がハープを弾くことはなかったろうね」と母がしみじみと言う。
姪も「おばちゃんのおかげ。ありがとう」と言ってくれる。
鹿児島市 馬渡浩子 2012/3/5 毎日新聞女の気持欄掲載
手術室に入ったのは46歳最後の日の朝。47歳最初の日は集中治療室で迎えた。
腫瘍ができてから10年以上もたっていたそうで、癒着がひどいため温存手術になった。残った腫瘍がまたいつ大きくなりだすかという不安にさいなまれた。退院後も一向に元気になれず、引きこもり、捨て鉢な気持でただ生きているだけだった。
見かねた母が「何か新しいことを始めるといいかも。ハープなんかどう?」と勧めてくれたのがきっかけで、姪と一緒にハープを習い始めた。
天使の声のように清らかでやさしい音色のハープは、干上がって固まりかけていた私の心を徐々にほぐし、生き生きとした気分にしてくれた。私が飽きてやめてしまわないようにと、母は姪にもハープを勧めたらしい。その心遣いに気づいて涙がたくさん出た。
私は今も楽しむ程度にしか弾けないが、姪は上手になり、多くのコンサートに出演して活躍するようになった。
「もしあなたが病気しなかったら、S子がハープを弾くことはなかったろうね」と母がしみじみと言う。
姪も「おばちゃんのおかげ。ありがとう」と言ってくれる。
鹿児島市 馬渡浩子 2012/3/5 毎日新聞女の気持欄掲載