はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「梅一輪一輪ほどの・・・」

2012-03-14 11:54:47 | アカショウビンのつぶやき




2012年03月11日 | 趣味・・エッセイ 
   友の二階から眺める親水公園の梅の花        自画自賛

3月11日、14時46分。10回連続で吹鳴されるサイレンに合わせて黙祷。
改めて、自然の猛威と恐怖に思いを致し、心から哀悼の意を捧げた。
永遠に忘れることはない東日本大震災。一年たった今もなお、大きく開いた傷口は閉じるどころか、大きな大きな後遺症として多くの人を悩まし続けている。
梅一輪、一輪ほどの暖かさと言われるように、今年も遅咲きではあったが一輪ずつほころぶことで春を招き寄せてはいる。しかし、被災地東北地方では、梅は咲いてもまだまだ本当の春到来など思いもよらないことなのだろう。
今までも、これから先も、自分に出来る支援の手を差し伸べることを忘れはしない。

ここにも一輪ずつ開いて、小さな春を見つけた気分に浴している男がいる。
自分で勝手に始めた趣味の世界での出来ごとなので、別に自慢するほどのことでもなく、他の人から賞賛を浴びようとも思わないが、思わず笑みがこぼれる嬉しさはある。
人前で名前を呼ばれ、賞状を押し頂くなどはもう忘れた感覚である。
これまでに他の人のそういった晴れがましい席に拍手要因として欠かさず出席してきた。その都度「いずれは自分もあの席に・・・」という程度の感覚は持っていたと思う。それが、図らずも今回その晴れがましい席に座らせて頂いた。
たとえその出来栄えが大した事はなくても、こちらは精一杯書くだけ。選ぶのは向こう任せ。一旦投稿したからにはこちらはまな板の鯉。言ってみれば、嫁に行った晩の娘の心境、好きなようにして・・・かな。

何はともあれワンステップ踏んだことに違いはない。
しかしまだまだ上がある。到底手が届きはしないだろう領域がある。そうは言ってもやってみなけりゃ分らない。ヒョウタンから駒が出ることだってないわけではない。
ただその時には、自分自身はもとより、誰からも認められる納得のいく内容になるよう切磋琢磨していくことかな。
でも考えてみれば、誰からも認められることを求めること自体思い上がりなのかもしれないね。所詮人それぞれに見方がある。となると、やはり最終的には自分自身が如何に納得できるか、そこが問題だ。やはりややこしい世界ではある。
もっともっと広い世界にも目を向けて行かなくっちゃね・・・。

このページは、山口県岩国市の随友、yattaro-さんのブログからお借りしました。
yattaro-さま、年間賞受賞おめでとうございまーす。山口は年間賞が3名なんだそうです。

鹿児島はまだ年間賞の発表がありませんが、待ち遠しいですね。
と言っても投稿なしの私とは無関係なんですが…

記念日

2012-03-14 10:58:41 | アカショウビンのつぶやき


2012年03月10日 | エッセイサロン           

今日はひとつの記念日となった。

定年から数年目、エッセイ同好会に仲間入りさせてもらった。エッセイを創作し自己研鑚をはかろうというこじんまりした会。創作した作品は月例会で自らが読む。会員は聞いた感想や評をのべる。それを参考とし次の創作へ生かす。外部からの先生や講師は不在、それでもピシャリと決まるのはリーダーの人格と思っている。

作品は新聞へ投稿する。投稿は勇気がいる。勇気はいるが採用され掲載されたときはいい気持ちで一日が過ごせる。掲載にはそのくらい力がある。その作品は同人誌へ掲載される。年100編あまりが同人誌を飾る。

そんな投稿先のひとつに毎日新聞(西部)の最高252文字で纏める「はがき随筆」という欄がある。毎月50編余りが掲載され、そのなかから月間賞3作品が決まる。月間賞の中から年間賞が選定される。昨年6月の入選作が年間賞の末端に入り、今日、その授賞式へ出席した。投稿を初めて6年目のことだ。

正面だけを見てさっさと歩いていたような自分の歩みが、エッセイ同好会へ入って、少し変わったかなと思うことがある。なにげなく見て通り過ぎていたことに足を止めたり、小さな張り紙におっ、と感じたり、道べりの雑草の中の小さな花に目が行ったりと。少しだがこうした自分の変化を感じる。

こうした変化がいつの日か、掲載される作品のように心をうつ、心にしみるような内容につながっていけたら、と改めて思い直した今日だった。

山口県岩国市の随友tatu_no_koさんのブログからお借りしました。

tatu_no_koさま、年間賞受賞! おめでとうございます。鹿児島も頑張ります。