はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

思い出の永久保存

2007-10-20 21:16:33 | はがき随筆
 生来、収集癖があるのか旅のマッチや記念品のタオルなどは使わずに大事にとっている。最近のマッチは厚紙製のミニタイプが多いが、古いマッチで老舗旅館などのものは形も絵柄もきれいで品がある。いろいろな思い出が詰まっているので、ビデオで写して好きな音楽とコメントを付けて「永久保存版」を作ろうと思っている。
 記念品としてもらったタオルは、文字も絵柄もすっきとした木綿タオルを縫い合わせて台所ののれんを作った。以前勤務していた中学校の創立記念や息子の剣道大会のものは特に愛着があり、思い出が色あせることはない。
   鹿屋市 上村 泉 2007/10/20 毎日新聞鹿児島版掲載

緩和ケア

2007-10-19 08:19:44 | アカショウビンのつぶやき
 毎日新聞の「健康と高齢社会世論調査」によると、一番怖い病気は相変わらず「がん」。
 しかし「死に至る病」から、「生きられる病、治る病」に変化していることに希望が見える。がん対策の充実を期待する声は更に高まるだろう。
 12年前、リタイア後、旅と登山に明け暮れていた夫が、いきなり「末期がん、余命半年」の絶望的な宣告を受けた時、それまで他人事と思っていた「がん」という病に対して無知な自分に気づかされ大きなショックを受けた。
 あれからのがん治療は日進月歩、もう少し時間があれば、夫も治ったかも知れない…との思いを消すことはできないが、全体の4割近くの人が「治る病」と思えるようになったことは本当に嬉しい。
 然し、緩和ケアに対しての意識がなかなか改められない面も見える。がんの怖さに「痛み」があるが、QOL向上のためにも痛みを取ることは大きな課題である。
 夫の場合、在宅で看取ったために医療者側には多くの犠牲を払って頂き感謝したが、痛みに対する処置には不満が残った。
 自宅で過ごした3カ月、訪問看護士として、昼夜の別なくケアしてくださったAさんが、夫の死後、話してくださった一言が今でも心に残る。
 「同じようなケースで亡くなられた方に、ご主人の倍ぐらいのモルヒネを処方したところ痛みを和らげることができました。私たちの無知のため、ご主人には本当に申し訳なく思っています、これからは痛みを取る治療を積極的に行いたいと思います」と率直に話してくださった。
 痛みの緩和治療について、医療者も家族も患者自身も、もっともっと理解してほしい。
 そして患者の痛みは、ただ「肉体の痛み」だけではなく、「精神的な痛み」「魂の痛み」もあることを理解して頂きたいと切に思う。
 
 写真は夫が眠るスイスのグリンジゼー

 

とんぼ

2007-10-19 08:19:21 | はがき随筆
 小公園に道草する。
 「やったあ、赤とんぽめっけ!」
 けれど、昔のきっぱりした赤い色をどこに置き忘れてきたのだろうか。
 鹿児島の方言でとんぼを「ボイ」と言う。
 ジャンボな「タノカンボイ」を釣って、黄金色にうねる稲田のあぜを駆ける男の子がまぶしかった。絹糸のような「キンカンボイ」が、わき水にぬれた草の葉陰で遊んでいるのを、おとぎの国の小人になり、息をひそめ見入っていたっけ。
 きのうのことのような気がするけれど……。
   鹿屋市 伊地知咲子(70) 2007/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はamateurさんにお借りしました。

軽井沢を訪ねて

2007-10-18 08:08:56 | はがき随筆
 うだるような暑さから逃れて信州、北関東の旅をした。都心の風景を後にしてバスは一路、軽井沢へと向かう。静寂な落葉松林の両サイドに点在する数々の2階建ての別荘は、いずれも目を見張るような高級な建物ばかり。気温も18度と避暑地としては打ってつけで、さすがに有名人やブルジョアたちが選定した価値ある候補地である。私も有名人気取りになって、周辺を時間の許す限り散策してみた。空気がうまい。実に気分爽快だ。夜は自然ゆう出量日本一を誇る草津温泉の湯船に実を沈めて、旅の疲れを心ゆくまで癒した。
   霧島市 有尾茂美(78) 2007/10/18 毎日新聞鹿児島版掲載

今日すること

2007-10-17 13:48:33 | はがき随筆
 3時すぎ、目がさめた。
 新聞はまだ来ないが、明けの明星をみるため庭へ出ると、カネツキがヒツヒツヒツと鳴く。ラジオをききながら申込書をかき、今日のメーンの集金関係の書類を確認して、はがき随筆を1枚かく。
 メダカにひとつまみの餌をやり、亡夫に線香をあげ、いつものペースで動く。今日の花をメモして5時、湯をわかし、お茶をあげる。
 ありがとう。今日も元気な朝です。
 5時半、新聞が来て楽しみが拡大し、今日はいつものコースの朝の散歩に出る。
   鹿児島市 東郷久子(73) 2007/10/17 毎日新聞鹿児島版掲載

小さい秋

2007-10-16 08:37:09 | アカショウビンのつぶやき
 庭の隅でみつけました ♪♪

紅葉する樹の中で一番目立つブルーベリー
なぜか、一番ちいさな一本だけが見事に彩られています。
酷暑の夏を過ごし、急に朝夕の気温が下がったせいかなぁ。

日中の暑さはまだ30度近くまで上がるけれど、
ここだけ、ほんとうにちいさな秋が…。
これから少しずつ少しずつ秋の色が広がっていく。

記憶

2007-10-16 08:30:06 | はがき随筆
 頭に焼きついて離れない光景がある。カメラでシャッターを切るように、脳に記録されて消えない記憶。甑島の港でたばこを吸っていたK君。「まだ未成年でしょ」と言ったら「うっさかなあ」と笑いながら火を消した。彼はもういない。二十歳そこらで病気で死んでしまった。あの時、もっと違う言葉をかけていればよかった。お説教じみた言葉ではなく。この喜界島でも、たくさんの生徒に出会ってきた。これからもたくさんの生徒に出会うだろう。私は考えよう。どんな言葉をかけるか。どんな記憶がこれから私の脳裏に刻まれていくのだろうか?
   喜界島 福崎康代(44) 2007/10/16 毎日新聞鹿児島版掲載

14%

2007-10-14 19:16:34 | アカショウビンのつぶやき
 毎日新聞の活字が14%大きくなった。まだ一部の記事だけだが、従来の活字の記事と較べてみると確かに読みやすい!
活字を大きくすると言うことは紙面が小さくなる訳だから、大英断と言えるかも知れない。毎日新聞の姿勢を鮮明に表現したものと評価したい。
 
 若い頃から、ド近視の私は、有り難いことに古稀を過ぎても老眼鏡が要らない。そそっかしく転倒しやすい私の眼鏡は足元と遠くを見るための遠近両用。近くの物を見る時には、この眼鏡を外すことになるが、これがまた厄介…。どこではずしたか記憶にないことが多く、一日中眼鏡探しをすることもしばしば。
 いつだったか「返事してくれないかしら 捜し物」という万能川柳があったが、外した時に「ピーッ」と鳴ってくれるような眼鏡が欲しい。
ともあれ、たった「14%」だけど、大きく太くなった活字、これが非常に読みやすい。12月が待ち遠しい。




褒める

2007-10-14 15:20:44 | はがき随筆
 褒めることは難しい。
 人間、褒められて悪い気はしない。ましてや怒る人はいない。
 初めてのことを趣味として始めるのもしかり。できるかなと恐る恐る始めたものでも、先生の一言がやる気を起こさせる。年老いても、褒められると心がニコッとなる。褒めて伸ばすことは指導者の鉄則かもしれない。
 しかし、褒めてばかりでは増長する。そこで、厳しさも必要となる。愛情を持って、この甘辛を取り混ぜる難しさは永遠の課題ではないいか。
 顧みて、子育てに褒め言葉を忘れがちな母だったことが悔やまれる。
   霧島市 口町円子(67) 2007/10/14 毎日新聞鹿児島版掲載

心に残る人

2007-10-13 08:22:25 | はがき随筆
 職場を離れて13年。第二の職場の代表者Kさんより時々、はがきや封書を頂く。書面は達筆で字が輝いている。
 Kさんへの返書に「私は、はがき随筆に熱中して7月24日の掲載で40回。50回を目標にしていますが、健康的に不安です」と書き添えた。すると返書に「50回と言わず自分の年齢までは続けて下さい。これが健康の秘薬ですよ」と激励のはがき。
 Kさんの企てで平成13年より年に1回、九州管内、島根、山口を含め、在職中お世話になった方々にOB有志の皆さんでお礼のあいさつまわりをいまだに続けておられる。
   姶良町 谷山 潔(81) 2007/10/13 毎日新聞鹿児島版掲載

初めて見た花火

2007-10-12 12:19:00 | はがき随筆
 3歳と1歳の娘を連れて東京から帰省中のめいが「3歳の娘に花火を見せたい」と夏祭りの日にやって来た。
 「いつもは8時に寝るんだけどね」とめい。9時過ぎ。「ドーン、シュルシュルシュル」。夜空に色とりどりの花火が舞う。「わあ、きれい。落ちてくるよ」と言って小さな両手を広げ、花火をすくい、母の持つうちわの上に「これ、お土産よ」と載せる。その仕草の何て愛らしく可愛いこと。
 「オギャー」と生まれて3年。初めて見た花火にわくわくどきどきしたことだろう。また見に来てね。楽しみにしているよ。
   出水市 山岡淳子(49) 2007/10/12 毎日新聞鹿児島版掲載

秋桜

2007-10-11 08:41:24 | はがき随筆

 国際電話のたびに「おはんが帰って来るまでは」と話していたあなたが、病に力尽きて7年になりました。
 余命数ヶ月と知りつつ豪州に単身赴任。奇跡を信じていたものの、私はあなたに悟られぬよう涙の別れをしました。花好きだったあなたの野辺の送りは秋桜(コスモス)が満開だったと聞き、遠い他国で一人、大泣きしたことを思い出します。今年もまた咲き始めました。満開のころには天国のあなたをしのび、子供や孫が一同に集まります。楽しみにしていて下さい。
 あれから一度しか夢で会えません。お義母さん、どうしていますか。
   指宿市 有村好一(58) 2007/10/11 毎日新聞鹿児島版掲載

イエライシャン

2007-10-10 22:50:53 | はがき随筆
 リーン、リーン……亡き母が好きだった南部鉄の風鈴が澄んだ音を響かせています。まだ月の出ていない夜でした。庭の角にあるイエライシャン(夜香木)が白く細長い花を咲かせ、甘い香りを振りまいています。
 買い物帰りと思われる女性が通りかかり「あら、いいにおいがしますね」と声をかけていきました。懐中電灯で害虫を捜していた妻は「ありがとうございます」と、まるで自分の手柄のようにニッコリ。そして「母も毎年楽しみにしていたわよね」とポツリ。
 風鈴がリーンと一段と高い音を響かせました。
   西之表市 武田静瞭(71) 2007/10/10 毎日新聞鹿児島版掲載

ある演奏会

2007-10-09 22:18:40 | かごんま便り

 霧島市牧園町高千穂の「みやまコンセール」を初めて訪れた。お目当ては、四半世紀ぶりに復活した大型ピアノトリオのコンサートである。
 ピアノの中村紘子さん、バイオリンの海野義雄さん、チェロの堤剛さん。中学生で日本音楽コンクールを制し、ショパンコンクールで日本人初の上位入賞を果たし天才少女とうたわれた中村さんを筆頭に、いずれも若くして華々しくデビュー。その3人がトリオを結成したのが74年。千両役者がそろい当時「三千両トリオ」と称されたが、81年秋を最後にトリオとしての活動を休止していた。
 現在、中村さんは浜松国際ピアノコンクールの審査委員長、海野さんは東京音大学長。堤さんは桐朋学園大学長。かつての若きスターたちは今や楽壇の重鎮となった。人生の年輪を重ねた彼らがどんなステージを繰り広げるのか、わくわくしながら開演を待った。
 演目はアンコールも含めて3曲。情熱的でダイナミックなピアノ、温かな美音のバイオリン、骨太でしかもよく歌うチェロ。素晴らしい演奏だった。
 今回の公演は全国4会場だが、3大都市圏を除く「地方」は鹿児島だけ。都留鏘(たかし)・副館長によると、地理的ハンディから平日開催は集客の点で難しく、日程的に当初は開催が危ぶまれたという。だが結局、堤さんが施設のバックグラウンドである霧島国際音楽祭の音楽監督を務めている縁や、ホールの音響の良さなどが幸いして実現したとのことだ。
 インターネットの登場で中央と地方との情報格差は大幅に縮まったが、音楽や演劇、美術などの「本物」に接する機会は、中央と地方とでは雲泥の差がある。地方で「本物」が見られるためには資金面など運営側の条件はもちろん、興行として成り立つかなどさまざまな制約がある。幸運な聴衆の一人となれたことに感謝しつつ、質の高い文化事業が今後も鹿児島の地で展開されることを望みたい。
 毎日新聞 鹿児島支局長 平山千里
 2007/10/1 毎日新聞鹿児島版掲載

教え子たちの還暦

2007-10-09 12:46:26 | はがき随筆
 昭和33年、社会人として第一歩を踏み出したのが旧串木野市立荒川小学校であった。赴任2年目に担任した6年生の還暦同窓会に招待された。学年1クラスの小規模校で全校児童が200人余りではあつたが、団塊の世代と言われる彼らのクラスが特に多かった。
 あれから48年、各地から集まったのが23人。あの幼かった面々が白髪を交えた初老の紳士・淑女となり、親しく話ながら、一人一人の昔の面影を手繰り寄せるのに懸命だった。泣きながら集団就職列車に乗って働きに行かざるを得なかったことや定年後の事などなど時のたつのも忘れて話した。
   志布志市 一木法明(72) 2007/10/9 毎日新聞鹿児島版掲載